小亀説の紹介と、高野説との比較、自分の見え方の答え合わせです。
小亀説に関して解釈のおかしいところがあったらご指摘ください。
命題「鏡像の上下は逆にならないが、左右が逆になるのはなぜか?」を、『鏡の問題』と呼びます。小亀説では、命題そのものから疑問視します。
小亀説で鍵となるのは、自分の鏡像は自身の幻影であると強く意識して見るという事です。例として、自分の顔を映したとき、うっかり鏡に口紅を塗る人はいないはずだと指摘します。また、自分の鏡映とその他の鏡映では異なる認識をします。
小亀説では、実像の座標系ですべて考えます。
観測者の頭部に固定した座標系を『視覚座標系』とします。
『左右』とは、鏡面に平行で水平な方向を指します。また、観測者から見て右を『右』と定義します。
この定義のために、鏡と向き合ったとき、自分から見て右側にあるのが鏡像の右手です。また、右肩を鏡と隣り合わせて立ったとしても、顔は鏡の方を向くので、鏡像の『左右』は反転しません。また、自分の鏡像の右手は左手の形をしています。(『視覚座標系』が寝転がった時の『左右』方向は未定義です。)
物体は2種類に分類出来て、『有基準の物体』と『無基準の物体』です。
『有基準の物体』は、記憶と比較できる非対称なものです。
・知っている文字や記号
・見慣れた風景
・他人の頭の前後
・街を歩く他人は頭が上
『無基準の物体』は、それ以外です。左右に関して無基準の物体は
・自分の顔
・横向きに置かれた魚
・鉛筆
・無地のマグカップ
・初めて見る風景
・街を歩く他人の進行方向
・球体など対称な物体
鏡像でも実像でも『有基準の物体』は、記憶と比較して反転かどうかを認識します。『無基準の物体』の鏡像は、鏡面を反転面とした対掌体です。
『鏡の問題』は、自己像を見た時の混乱としています。
・対面した他人は自分と左右が逆になるはず(経験則)
・鏡像の自分は左右反転しない
この二つが重なるので、鏡を見た時「左右逆の逆」と感じます。これが『鏡の問題』の正体で、「鏡像の上下は逆にならないが、左右が逆になるのはなぜか?」への回答は「鏡像は左右も逆にならない」です。
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小亀説を、『多重プロセス理論』(高野説)と照合します。
『視点反転』
(小亀氏は)鏡像に関して視点反転は無いです。実像の対面者の左右を考えるときでも、相手の視線を想像しません。(制御的な心理過程)
『表象反転』
『有基準の物体』で実物が見えない場合が該当します。文字や記号だけでなく、記憶にある非対称な3次元物体が含まれます。
・文字や記号(自動的な心理過程?)
・見慣れた風景(自動?)
『光学反転』
実像と鏡像の両方が見えている場合です。『有基準の物体』でも非対称な『無基準の物体』でも成り立ちます。
・他人が鏡と隣り合って立つ
・実物と鏡像の文字盤が両方見える時計
その他(左右反転しない場合)
『無基準の物体』の実物が見えない場合です。
・自分の顔(制御)
・自分が、右肩を鏡と隣り合わせて立つ
・初めて見る風景(自動)
・街を歩く他人の進行方向(自動)
・横向きに置かれた魚(自動)
・鉛筆(自動)
・無地のマグカップ(自動)
答え合わせできないこと
・『鏡の問題』は設問が間違っていて、「左右逆の逆」の違和感が答え
・『左右』の定義
・『制御的な心理過程』で視点反転を感じる人
・自分の鏡像と他人は、認識の仕方が根本的に違う
結果
多重プロセス理論の範囲に収まる部分については、多重プロセス理論と矛盾しません。左右反転以外の点について、いろいろ感じるところがあるようです。
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その他の感想です。
小亀説は、自分で考えたと書いてあるので、一個人の感じ方そのものです。小亀説の論文は文章が難解な上に例えが不完全な部分や感情的な部分があって、国語力のない私には困難でした。わかったと思った部分だけ抽出しています。
鏡像が鏡像にしか見えない人にとっては、『鏡の謎』は「左右逆の逆」であるという考察は、素晴らしいと思います。私も左右そのままに見えますが、この点は指摘されて初めて気付きました。この話は、何か重要な伏線と思われます。
上下の認識については、重力との関係を指摘しています。また、歩く他人は頭が上の『有基準の物体』であるとしています。この2つから、実像であっても頭が下の人は「上下反転」と判断できます。
小亀説では、『右回り』について、『右手を上に挙げて右に倒す』と定義します。右手の方向を『右』と定義しないのは一見回りくどいのですが、よく考えてみると、『右』の定義がわからなくなっていきます。時計の前は文字盤側、針は右回りなので、前後と左右の関係が人と逆転します。右回しのねじは、ねじ頭を右に回すと刺した方向に進みます。このとき、進行方向が前なのか、ねじ頭が前なのか、そもそも頭を上と呼ぶべきなのか、わかりません。『右』という概念が怪しくなっていきます。
この説では明記していませんが、命題を「対面した他人の上下は逆にならないが、左右が逆になるのはなぜか?」と書き換えると、「人が対面するときの風習で、上下を軸に180°回転してお互いに向かい合うから」となりそうです。NHKで、シャチはお見合いするとき横並びになると紹介していたので、シャチの見た他のシャチは前後が逆になりません。この問題はヒト独特の世界観を含みそうです。
小亀説では、鏡像の自分の認識をいろいろ解説しています。子猫は、鏡像を他の猫と認識して、喧嘩したりじゃれたりするそうです。ヒトは、鏡像が自分であると認識した時点で、相手の左右とか気持ちとか、いろいろな思考のスイッチを切っているのかもしれません。だから、「左右は反転して見えますか?」と質問されて初めて、左右について考える人もいると思います。
参考:
小亀 淳 (2005) 鏡像認知の論理 Cognitive Studies, 12, 319-337.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/12/4/12_4_319/_article/-char/ja
小亀 淳 (2008) 『小特集 — 鏡映反転:「鏡の中では左右が反対に見える」のは何故か?』より 第1部: 小亀説 「鏡像の左右逆」とは何か Cognitive Studies, 15, 498-503.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/15/3/15_3_498/_pdf/-char/ja
TVでた蔵 / 「2012年2月26日放送 19:30 - 20:00 NHK総合 ダーウィンが来た!生きもの新伝説 超絶ハンティング!海の王者シャチ」
https://datazoo.jp/tv/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%8C%E6%9D%A5%E3%81%9F%EF%BC%81%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E6%96%B0%E4%BC%9D%E8%AA%AC/547595
ねこちゃんホンポ / 猫は鏡の自分が理解できる?無反応な時の心理やリアクション
https://nekochan.jp/cat/article/2674
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