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2020年01月29日12:21

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[鏡の反転] チコちゃんの『鏡の謎』

 チコちゃんの『鏡の謎』回で、
「なぜ鏡は左右逆に見える?」
の回答に、
「わからない」
と出ていました。古代ギリシャの哲学者が考えたそうです。煙に巻くアキレスと亀みたいな話です。わからない訳があるものかと思ったので、やってみました。

 まず、時計を持って鏡の前に立ちます。鏡の中の時計は鏡文字で、3と9の位置が逆になっています。時計は左右に反転して見えます。
 次に、12を上にしたまま時計の向きを変え、鏡の横につけます。映った時計は左右が反転したままです。
 更に時計を回転させて、文字盤をこちらに向けます。鏡の中の時計は向こう向きで、時計の前後が反転して見えます。

 次に、時計を鏡の方に向けたまま寝転がります。時計も90°傾きます。ここでも時計は3と6の位置が逆になっていて、左右反転して見えます。四角い鏡の4辺に上下左右と名前をつけておくと、鏡に対して上下が反転して見えます。最初と反転方向が変わりました。

┌───上───┐
│\\  \\ │
│ \\  \\│
左  \\  \右
│   \\  │
│    \\ │
└───下───┘
これは、時計をそのままに自分だけ起き上がっても、上下が反転したままです。

 最後に、鏡を床に置いてその上に時計を立てます。時計の上下が反転しました。鏡に対しては、手前と奥で反転しています。


 今度は時計なしで、鏡の前で踊る想定で実際します。
 まず、鏡と向き合って手足を動かすと、上下も左右も反転しません。強いて言うなら前後が反転します。自分は鏡の手前と奥で反転して見えます。
 つぎに、鏡に対して横を向くと、鏡の自分は自分と左右反転します。この時も鏡の手前と奥で反転して見えます。
 床が鏡張りだった場合は、上下が逆さまになった自分が映ります。このときも、鏡の手前と奥で反転して見えます。

 結果は、右でも左でも不自然ではないものは、鏡に対して手前と奥が反転していると認識されます。文字盤が映ったときだけは、鏡の左右、または上下が反転して見える事がわかりました。もっと言うと、表面に書いてある文字などは、文字自身の上下を基準として、左右が反転します。
 なお、この実験は測定者が私一人なので、何割の人がどう見えると言う番組での結果とは比較できません。


 ここからは考察してみます。

 チコちゃん番組では、上下前後左右のどれかが明確でないものは反転して見えないと解説しています。これはその通りだと思います。

 まず、上下について考えます。
 人は、上下の認識は先天的に持っていそうです。左右逆の鏡文字を書く幼児はどきどきいますが、大真面目にやって上下逆に書く子を私は見たことがありません。
 人以外では、上下を強く認識していない生き物もいそうです。『ダーヴィンが来た』(番組名は、あやふやです。)で紹介された猿は、一瞬だけ見せた画像を記憶して、次に見せた画像が同じかどうか瞬時に判別していました。あとから見せる画像は、回転させておいても即刻見つけます。樹上生活をするときに、どの体位にあっても同じ景色と認識できれば便利と解説していたと思います。回転した画像を比較するのは、人(特に『地図が読めない女』である私)には、高度な技です。

 人の頭がある方や時計の12は上と覚えると、時計を横向きに回転させても12が上と認識してしまいます。無意識に、まずどちらが上か感知しようとするのでしょう。


 次に、左右についてです。
 上下の天性の認識に対して、左右の区別は後天的に学習するものだと思います。少なくとも、幼稚園の頃左利きから右に矯正された私は、お箸を持つ手が度々わからなくなりました。
 時計を持ったら途端に左右反転に見えるのは、時計や文字の上下左右が絵の形できっちり記憶されているから。時計以外でも、知っている文字なら大概左右反転して見えます。全く知らない文字なら、鏡に映しても、上下も左右も反転しているとは認識できません。普段、紙を裏側から透かして見る人なら、鏡に映った時計の絵が反転像ではなく、透過像に見えるでしょう。

 人物に対する左右反転は、人によって認識が変わります。番組中の、『右手を挙げて鏡に映ると左手を挙げているように見えるか』という実験では、右手と答える人と、左手と答える人に割れていました。これは、回答者各々がどのように育ったかに依ると思うのです。

 自分の右側が対面した相手の左側になると言うのは、後天的に覚える知識です。うちの子の場合には、向き合った人の右側は自分の左側だと理解したのは、幼稚園の頃でした。これは覚えたと言うだけで、咄嗟のときに無意識に判断できるわけでなありません。

 子どもに対面で体操を教えるとき、幼稚園から小学校の先生は
「左手を上げて」
と指示しながら右手を上げます。子どもが、見た通りに動けるからです。
 今習っているお稽古では、
「左手を前に出して」
と言いながら、先生も左手を出します。どちらの方法で習ったかで、鏡に映った自分への認識は変わります。

 番組に出ていた美容師さんは、前から見ても切っているので、鏡を見ると分け目などが逆に見えるのでしょう。


 最後に、手前と奥についてです。
 手前と奥で反転して見える例は、先に挙げた踊りの練習や、バックミラーの車等です。
 番組中で、バックミラーは左右反転して見えないとしていましたが、これも訓練の賜物です。
 私は教習所で初めてバックミラーを見たとき、小さいし高さもおかしいし、後ろの状況が想像できませんでした。この時は、ウィンカーの方向は見たまんまと覚えて、他の情報は一切無視しました。私ほど下手くそドライバーではないにしても、バックミラーだけで後ろ向きに運転できる人は多くはないと思います。

 まとめると、
「鏡は手前と奥を反転させる。形を記憶しているものが、左右反転して見える。上下が反転して見えないのは、人はまず形の上下を意識するから。」
でしょうか。


 主観論ですが(^^;

 わかると思えばわかる。『世界は思うがまま』です。(言葉の使い方違う?(^^; )

参考:山田南平『紅茶王子』白泉社(1996-)より、イラストの頭身を参考。24巻セイロン王子の台詞は、「人生は思うがままだよ」です。
『チコちゃんに叱られる!選』NHK、2019年12月20日放送
アラン・ピーズ、パーバラ・ピーズ著、藤井瑠美訳『話を聞かない男、地図が読めない女 男脳・女脳が「謎」を解く』主婦の友社(2000)
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