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2019年03月26日09:08

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走りぬいた二年間・・・無事に修了 感謝の言葉

2017年5月、心を新たに和多志は新しいスタートを切りました。
そして半年間突っ走って一つの目標を達成しました。
だけど目標は達成した時点でそれはただの通過点になり、そこから更にギアを上げて止まることなく走り続けて一年半弱・・・。
昨日、RYT500無事に修了しました・・・。
そして二年弱、通い続けたこの学校もとうとう卒業です。
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↑まずはコレを読んだ上での本題です↓

RYT200を修了したとき、もう少し知識が欲しいと思った。
それは中途半端な覚悟でこのヨガの世界に入ってきたわけではないとゆう、自分なりの覚悟でもあったのかもしれない。
もう少し上の知識、それとヨガとゆう分野の中でもいろんなジャンルの広い知識と「オレはコレだ!」と思える自分の専門性のようなものを見つけたかった。
どうせ随分と遠回りしてきた人生だ、すぐに現場に出なくても、もう少し知識を学びながら自分のタイミングで自信が持てたら動き出そうと思いました。

そう思って更に突っ走ったこの一年半で
・瞑想指導者
・陰ヨガ指導者 
・ ヨガニドラー指導者 
・リストラティブヨガ指導者
・ロコモヨガ指導者
と、各指導者ライセンス。

それから
・ハンズオンアジャストメント
・哲学アドバンス
・解剖学アドバンス
・アーユルヴェーダベーシック
・FS認定
・INJURY MANAGEMENT
のトレーニングや講座が終わり、最後の約8カ月間のTSUクラスも昨日無事に終わり、卒業となりました。
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そしてこの一年半で自分の中の”専門性”とは「瞑想」の分野なんだな・・・と、はっきりとわかりました。
自分のバックボーンに瞑想的なエッセンスがあるのならば自分が目指すのは紛れもなくラージャヨガなのでしょう。
日々の生活や食事、自分の在り方そのものが段々とそうなってきているのを日々感じます。

200時間の時にヨガ哲学に興味を持ち、学びを深め、RYT500がスタートする頃に瞑想を知り、瞑想をするようになり、過去の嫌だった自分を和多志は肯定できるようになりました。
長い暗闇をずっと歩いてたと思えた十数年前からニ年前までの間、 「この先もずっと暗闇が続くのかなぁ〜?」って思って前に進むのも嫌になってた時期もありました。
この世界の充てがわれた価値観にどうにも馴染めずにうんざりしていました。
でもね、死のうと思える程の覚悟があれば人はなんだってできるんです!
どうせ昔から世間の歯車からは外れてきた人間、だったら好きなことに挑戦しないで後悔するよりも醜態晒しても挑戦した方がいいかなぁ〜?って・・・。
人はそれぞれ歩くスピードも歩き方も違います、「自分は自分の歩き方で他の人とは違う景色を見ながら歩けばいいや!」 そんな開き直った氣持ちで再び歩き出した二年前。

自分の道がこの先どうなってるかなんてわかってる人なんて一人もいないよね?
だったら自分にできるのは諦めて立ち止まっていじけてるか、一歩でも前に進むかの二つだけ。 どっちでも好きな方を選べばいいなら進む方を選べばいい!
危険を冒して前へ進もうとしない人、未知の世界を旅しようとしない人には人生はごくわずかな景色しか見せてくれないんだ。
自分の人生を引き受ける覚悟をしたらどうなるか?
最悪なことに誰のせいにもできなくなるんですよ!
「できなくてもしょうがない」は終わってから思うこと、途中で決めつけてたら絶対に達成できないんです。
自分自身を裏切らない努力の姿勢が未来の結果として現れてくるんだ。

和多志がよく言うでしょ?「できない」「無理」は楽したい人の言い訳!って。
この前も言ったけど「人生はなんとかなる」もんじゃなくて「なんとかする」もの。
「なんとかなる」とか最初から他力本願決め込んでる奴は肝心な時に必ず逃げ出して失敗全部を人のせいにするんです。
もうね、そんな生き方はやめたんだオレ、そうやってずっと逃げてた自分は自分の人生を歩く覚悟すらもできてなかったんだなと・・・。
このRYT500が修了に至るまでに自分が見つけて出した答えがきっとこれだったんだなと・・・。
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200時間の時のTT同期は今もこれからも大切な仲間、500時間のTSUクラスにもこれからもずっと大切だと思える仲間が沢山できました。
このクラスで得たものはきっと知識云々ではなく、仲間や絆みたいなものなのかなぁ〜?って和多志は思っています。
中でもまったく同じ日に入学して同じ日に卒業できたユキ姉にはホントに感謝しています。
”生き急いでる!”が口癖だった自分と同じことを言いながらいつの間にか自分の遥か先に行ってしまったユキ姉はホントに凄い、amazingな姉ちゃん。

”同じ日に入学した”って縁だけでこうやって仲良くしてくれてるだけでもとてもありがたいことなのにいつもアドバイスをくれたり、背中を押してくれたり、そんな人と同じ日に入学して同じ日に卒業ってホントにスゲェ〜ことだしメガっさ嬉しい。
エネルギーの塊みたいな物凄い人が近くにいたから自分も止まらずに走り抜けたんだろなぁ〜?って・・・。
昨日の打ち上げの後に一緒に歩きながら今までの感謝の言葉を伝えた時にこの学校に入学する前に精神崩壊してぶっ壊れてた時期のこととかをゆき姉が言い出して、「ゆき姉はあかの他人の自分のことをずっと近くで二年間見ててくれたのかぁ〜?」って思ったら突然涙がドバ〜したよ。
その後、マコト先生や他の先生達も自分がどうゆう理由でこの学校に入学してきたかって経緯を知ってた上で、自分に接してくれてたんだぁ〜?って初めて知って、「だからあなたがこの学校で物凄く変わっていく様子がホントに嬉しかった・・・。」って先生も言ってくれました。
「キミはやっと本当の自分に戻れたんだよ!」って・・・。
なんかさ、お酒も入ってたし、嬉しくていい歳こいて先生とかゆき姉と駅まで「イェ〜イ!」って手ぇ繋いで歩いたりしてたんだけど、先生に「何で握り返さんの?」的なことを言われて初めて氣づいたのは「あっ!オレ、人と手を繋ぐことすら拒むくらいあの頃ぶっ壊れてたんだ・・・。」って・・・。
いい歳して人と手を繋ぐってことすら忘れるくらい他人と距離をとってたんだなって・・・。
この前も、ゆき姉にアーサナを見てもらってる時に體の緊張がなかなか抜けない自分に「もうツッパらなくていいよ〜」って言ってたな・・・とか。
思い返せば自分の人生、この世の中に対してずっとツッパって生きて来た人生でもあったしね、だから心が壊されないように必死に抵抗してたんだなぁ〜って・・・。
ゆき姉はきっとそうゆうの全部見抜いて知ってたんだろなぁ〜?って思いました。
もうね、ホントの姉ちゃんですよ!頭があがりません。
ゆき姉、ホントにありがとうございました。

そしていつの間にか”ブラックカンパニー”なんてチーム名を付けた仲良しグループのてつお氏やかおり様、みゆきさんにピロコピーとの放課後不良飲み会や一緒に課題達成はメガっさ楽しかった。
みんな大好きだから卒業旅行も今から楽しみじゃ〜!
昨日も最後だから一緒にお昼食べて、打ち上げが始まるまでいつものはな舞で0次会。(笑)
思い出写真も撮りまくったよ。
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・・・二年か、いろいろありましたね。
入学間もない最初の頃は怖がられて挨拶してもなかなか馴染めなかった和多志だけど、繰り返し続けることで少しづつ他の生徒の人たちとも距離も近づけて、いつの間にか”ピンクの人”とか”ネコの人”とか”逆立ちしてる人”とかこの学校では有名人になってたし、学校に行くのがとても楽しかったです・・・。
”学校”って言い方はきっと和多志の勝手な言い方なんだろうけど学生時代ってのが高校一年までしかなかった自分にとってはホントに”学校”って感覚だったんだろうなって・・・。
解剖学や哲学、アーユルヴェーダにロルフィング、それからアーサナといった感じでそれぞれ授業があって、終わると仲良しの連中とお茶したり酒飲みに行ったり・・・放課後って感じでホント楽しかった。
このTSUクラスでも見事に不良チームに所属になり、忠実に学生時代を再現しました。(笑)

途中、自分の目指すスタイルとこの学校の教えることの方向性が変わってきてしまい、苦しんだこともあったけどそれでも無事に卒業です。
知識は自分が満足しなければ勝手に学ぶもの、だから学ぶことに関してはこれからもずっと”現在進行形”です。
今年は外にたくさん修行に出るのだ!
学生時代は勉強なんかまったくしなかったから今は知識を学ぶことがホントに楽しい・・・。
今年になり、ようやくヨガのインストラクターとしての活動も徐々にスタートすることができました。
この二年、学んだことを活かすも殺すもこれからの自分次第!
世間の言う「普通はね」「一般的にはね」なんて言葉に惑わされずに、周りに流されずに、自分の道を歩き出そうと思います。
自分が大好きになった人たちは見た目のファッションや個性も「そのままのあなたでいいんだから!」って言ってくれました。

先日のワークショップで「なんで?」と言われた答え。
イントラ名の”Rumina”はギターリスト時代の名前です。
お客さんに何も言わずに突然ビジュアルシーンから消えた時にお世話になってたライブハウスの人に言われました。
「あなたの名前と床まで引き摺るようなピンクのスーパーロングヘアは立派なトレードマーク!お客さんには強烈に印象に残ってるはず」と・・・だから畑は違えど人前に出る仕事をしてたらもしかしたらこの名前とピンクヘアーで思い出してくれる人がいるかもしれないかな?と・・・。
それとね、Rumina→ Luminaの語源はラテン語で「輝く光」とか「星の光」とかそんな意味です・・・。
華やかなステージで輝く自分が見たかったから、闇を抱えて生きてた自分でも誰かを照らしてあげる人になりたいって思ってつけた名前でした。
残念ながら華やかなステージに立つことはきっともうないと思うけど、今はヨガとゆう違うステージで和多志は自分に関わる人に優しさを振り撒いてあげたいと思います。
自分みたいな過去に闇を抱えた人に、光の届く場所まで導いていけたらと思っています。
語源の意味は「輝く光」とか「星の光」・・・だったら闇を抱え続けて生きて来た自分にはピッタリじゃ〜ん!ってね・・・。
自分の背中を見せて相手をグイグイ引っ張って行くことも大事だけどさ、後ろから見て誰かが遅れてるかな?ってその人の背中を押してあげれる、そんな人に今はなりたいかな?

これもこの前言ったこと、嫌々ながら周りにうまく合わせて取り繕って、良い人っぽく振る舞って他人に好かれようなんてもう思わない、周りに合わせて誰かのようにならなくてもいいの、オレはオレだから!
孤立してもいいと覚悟して自分を貫いてけば本当の意味で喜ばれる人になれるから。
他の皆ができることができなくても、誰にもできないことができたらその方が素晴らしいのだ!
そうやってね、人に好きになってもらうんじゃなくて、自分が好きに生きてそれを認めてくれる人たちを自分も好きになろうって・・・。
その和の中で自分は楽しく生きていこうって今は思ってます。

人の魅力は失敗や挫折からどう這い上がったかどうか!
周りと比べて「みんなに負けたくない」って唇噛みしめて生きるんじゃなくて、「自分に負けるもんか!」ってホントの強さを知る人になればいい。
失敗?大いに結構!
そこで芽生えた氣持ちや感情を沢山積み上げた方が中身の濃い人になれるんじゃないかなぁ〜?
どうしようもなく追い詰められたとき、最終的に自分の力になってくれるのは家族や友達じゃなく頑張った過去の自分だけなんだからね。
自分がわかっていないことをわかるということが一番大事なのだ。

これから先、自分がどうなってくのかなんて全然わからない、だから「お先真っ暗」とかよく言うけどさ、見えないから逆に楽しそう・・・「明日はどうなんだろ?」って全力で今を楽しめる。
おかげで過去を振り返ればつまんねぇ〜人生だったけどね、今は楽しくやっていける。
スマートじゃなくてもいいの!泥臭くってもいいの!
今はね、ようやくやりたいことが見つかり、ゆっくりですが歩き出しています。
過去の経験があって、こうゆう人生になれたこと、 今は全然悪くないなぁ〜?と思えるようになりました。

自分が見つけた専門性、瞑想の効果や奥深さ、心の在り方、その素晴らしさはきっとこうゆうところにあるのだ!
自分の見てる世界だけが絶対ではない!
情報1st物理2ndな情報空間を持ってる方が物理場では圧倒的に強いし、つまらんことで苦しまな〜い。
ただし・・・瞑想家の情報空間は

” 愛 が な け れ ば 視 え な い ”よっ!

・・・否定ばかりの人生より肯定的な人生の方が幸せなことは日々の生活から学べるでしょう?
これもこの前も言いました。
ヨガ哲学に触れ、そして瞑想を知り、素敵な先生に出逢い、和多志は息苦しいだけだった世界から抜けることができました。
数年前まで鬱病で毎日死ぬことばかり考えてた自分からしたら、またはその頃を知ってる人からしたら今の和多志は別人でしょう・・・。
この学校で出会った先生、スタッフ、生徒の人、皆が言ってくれました。
「入学した頃とは全然雰囲気が変わったね?」って・・・”普通に笑える”ようになったんです。
内部表現を書き換えるとはそうゆうこと、今の和多志を見て自然だと思う人がいるならそれがきっとホントの和多志・・・。
過去の和多志は息苦しいながらも”この世界の常識”になんとか合わせようとしてたから・・・そう思った時点でもう自分じゃないよね?
今は枠の中から抜けたところで和多志は和多志として生きています。
だから 「 私 」 ではなく 「 和 多 志 」
” 多 く の 志 を 持 っ て 和 す ”
自分にできる精一杯で自分なりにこの世界との調和を持って生きていきます。

「自分はいったい何者なんだろ〜?」って・・・。
後ろでニコニコしながら自分を見てる観察視座のもう一人の自分がいます。(謎)
・・・きっとね、自分が目指すゴールはお金や地位とかではなく”心の在り方”なんじゃないかな?って・・・ずっと生き辛かったこの世界から抜け出せて本来の自分で居られること。
それが自分の中の最高価値なんだろうなぁ〜って!

かあちゃんが最後に残してくれた言葉を大事に胸にしまってやっと歩き出すよ。
これだけは過去も、今も、そして無論これからも変わらない。
和多志が生きてる上でのテーマは
” 努 力 に 勝 る 才 能 無 し ! ” 
” 自 分 を 信 じ て 我 道 驀 進 ! ”

この歳になって思ったことは、そうやって生きて来た自分の人生のその答えの先にきっと自分のやり方でヨガと瞑想の素晴らしさを伝えること! ・・って道が続いてると思っています。
人を壊すことも、壊されることの辛さも充分わかって生きてきたから人と人との繋がりをとても大事にする人間になれました、だから和多志は自分にとって大事に思える人への感謝は忘れない、困ったときに手を差しのべてくれた相手に対して精一杯自分にできる努力は惜しまない。
自分を救ってくれた人たちへの感謝は自分の目指す世界で恩返しをしていきます。
いよいよ新しいスタートだ!

長文、最後まで読んでくれた人、どうもありがとう!
そしてこんな世間知らずな和多志ですがこれからも宜しくお願いします。

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