はるか昔、私が育った家のあったところに、ミニストップ高輪3丁目店はあります。
そこのイートインスペースでミニストップのカフェ・オ・レを飲んでいます。
録音しに行った場所の近くまで行ってみたのですが、出入り口が分かりません。
車の音も聞こえません。
近くの道路は細くて、交通量が少ないのですね。
その道路からも、結構、離れています。
鳥もよく鳴いています。
昔は、毎日、セミ捕りをしていたのですが、今はもう入れないのかなぁ。
実は、高野山東京別院の墓地に行こうと思ったのです。
そういえば、高野山幼稚園ももうないなぁ。
高輪台小学校は、一部立て替えたようですが、東洋一とうたわれた校舎は、基本、今でも残っているような感じです。
輝く少年の日を懐かしく思い出しました。
偶然、仙成屋さんを見つけたので、お昼は、そこで食べようと思います。
昔は、トンカツとか魚のフライとかの揚げ物を売っていました。
よく買いに行っていたのですね。
魚のフライは美味しかったです。
あれほど美味しい魚のフライはもう食べられないのですね。
サメの切り身を使っていたのだそうですが、安くて美味しかったですね。
うちのじいさんのうちは、江戸時代から高輪に住んでいました。
二本榎通りで、乾物屋さんをやっていたそうです。
じいさんは、魚が好きでしたから、銚子から、魚をカゴで背負って、行商に来るおばさんが、うちに寄っていくのです。
うーん、恵まれていたところも、あるのね。
ばあさんのうちは、新潟の大きなお寺さんのおうちでした。
ばあさんのおねえさんの息子さん、うちの親父さんの従兄弟は、東京大学の医学部卒です。
教授の娘さんをもらわんかと言われて、私には好きな人がいますとか言って、下宿していたおうちの娘さんと結婚したとか、聞いています。
それで、大学に残れなくなりますので、私が会ったときは、築地の国立がんセンターの内科の医長さんでした。
そのあと、内視鏡の担当になり、内視鏡治療を開発した、第一人者として、有名な方のようです。
小黒さんという方だったかな、ばあさんは勘当されていたので、ばあさんの葬式で、初めて、ばあさんのことを聞いたようです。
たまたま、ばあさんの心臓病について、小黒さんは日本で権威と言われていたお医者さんだったので、治せないけれど、苦しみは軽く出来たのにと、がっくり来ていましたね。
ログインしてコメントを確認・投稿する