mixiユーザー(id:44534045)

2020年06月29日02:14

135 view

 ゆず湯とか菖蒲湯とかそういう発想は海外にもあるのだろうか?それこそデミグラス風呂とかオートミール湯みたいな。まあどうでもいいが。
 実は試してみたい趣向がある。その名も湯豆腐湯。読んで字の如し、豆腐と共に入浴するというスタイルだ。
 これはちょっと誤解が有りそうなので言っておくが、この湯豆腐湯というやつは、ゆず湯と勝手が違うのである。つまりゆず湯は風呂の中にゆずを浮かべる、人間が入っている風呂にゆずが入ってくるという寸法であるが、湯豆腐湯は風呂桶をなべに見立て、豆腐を入れることにより湯豆腐を成立させ、そこに人間が入るという段取りなのである。この違いはどうでもいいように思えるがも知れないが、実は重要である。重ねて言うが、「湯豆腐の中に人が入ってゆく」のだ。具として。
 具としてである。あくまで主役は豆腐。入浴せし者は豆腐の引き立て役であり、出汁に味を付ける役目を担う。湯の中に一日の疲れや皮脂、心の澱のようなものを溶かし出すのだ。
 シミュレーションしてみよう。まずは下拵え。軽く水流で体を荒い、呼吸を整え、湯が適温になるのを待つ。湯に入る直前に口をすすぎ、髪にまとわり付いた水気をよく切る(これを怠ると湯豆腐によけいな雑味が付く)
 湯に入るときには覚悟を決め人間性を捨て去ろう。もう後戻りは出来ない。湯に浸かった瞬間に、貴方は名字も名前もない一つの具になるのだ。しっかりと肩まで浸かろう。そして身体の芯までじっくりと熱を通してください。煮えてください。心を清らかにしてください。雑念が湯に溶けぬよう、美しいことを考えましょう。野の花や鳥のさえずり、黄昏の海などを思い描くと良いかもしれません。これは多くの食材がそうしていることです。自らを育んでくれた大自然の恵みに思いを馳せるのです。貴方の先輩である大根や春菊もそうしてきました。そういった具の走馬燈こそが旨みなのです。さあ、貴方にも美しい思い出があることでしょう。まあ、大根には劣るかも知れませんが、恥じらわずに思い出に身を委ねましょう。
 悲しいことも時には美しいものです。望まぬ別れや癒えることのない失恋の痛手など、湯気の中に幻灯のように浮かべてみてください。泣いても構いません。いや寧ろ泣け。丁度塩気が足りないなと思ってたんだ。具の癖に口答えしないでください。

 豆腐が貴方を見つめています。
 貴方を吸い取っています。貴方の成分を存分にその白い肌に染み込ませて色づいてゆきます。貴方が豆腐を育てたのです。貴方の主体はもはや貴方の中には無くなって、豆腐の中に吸われました。貴方に教えることはもうありません。今や貴方はどこに出しても恥ずかしくない立派な具です。明日からは人間としてではなく、ひとつの具として生きてください。
 

 あ、言うのを忘れてました。湯に入る前に両脇にネギを挟んでおくことをお忘れなく。
1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する