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2019年12月11日12:40

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三文字で生きようかと思う

 父を亡くして半年が過ぎた。
 気持ちの整理が着いた頃、悲しみと入れ替わりに申し訳ないという感情が僕の心を占拠し始めた。恩を返したい、親孝行したいと考えてはいたが、多忙を言い訳に、「またいつか」、「何かの機会に」と先延ばすうちに、「いつか」を失してしまった。

 父の大事にしていた鉢植えを、ベランダに三つ並べている。
 鉢植えは実家の庭に並べられていたものだ。父は庭いじりが趣味だったが、足を悪くしてからは放置気味になり、雑草が蔓延るままになっていた。
 ベランダに並べた鉢植えから、雑草が生えてきた。実家の庭から種か芽を貰ってきたのだろう。僕にはそれを引き抜くことができない。どうしてもできない。理由を突き詰めようとするが、心に壁があって、結論に辿り着けない。
 「面影を感じるからではないか?」という推察が辛うじて浮かぶ。「あの荒涼とした庭を見て父は何を思っていたのだろうか?」自問は自責に近く、心苦しくなる。

 面影、年を経て、鏡に父の面影を認めるようになった。真正面からみるとそうでもないが、目を離す瞬間にチラリと映っている顔に、父の面影が濃くある。僕の心は、その面影に縋ろうとしていた。父の考え方や生き様を、手すりのように握りながら歩いてゆこうと。
 でもさっき髭を剃っているときに、ちょっと考え直した。思い出や面影を頼りに生きること、父は良しとしないのではないか?(まぁこの考え自体、父の考えに縋っているわけだが)
 だから「おもかげ」から一文字削って「おかげ」で生きているのだと、そう思うことにした。なにか腑に落ちた。言葉遊びを尽くすなら「かげ」になってしまう程には、心を削ることなく留めておこう。
 いつか春になって晴れた日にでも、雑草を抜こうと思う。
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