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2019年11月23日11:19

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テーブルの上の一秒

 テーブルの上に一秒があった。
 一秒が透明なままテーブルの上に滞空している。テーブルの向こうには彼女。僕と彼女の視線が無垢な一秒を宙で挟み込んでいる。
 テーブルの上に、カップが二つあった。
 カップには、北欧の暗海みたいなコーヒーが注がれていて、僕が揺り起こす振動で、目に見えないほどの微小な満ち引き繰り返している。シュガーボトルが今にもカタカタ笑い出しそうだ。そう、僕は怯えている。
 一秒がすべてを内包していた。窓から差し込む気怠い陽の光も、店内の有線も、擦り傷だらけのショルダーバッグも、プランクトンのように舞う埃も、小さ過ぎる腕時計も、そして、僕も彼女も。すべてが一秒の中にアーカイブされている。
 僕の心臓だけが一秒の圏外にあって、ただひたすらにドラムを叩いている。叩き方も知らない幼稚園児のようにがむしゃらに。
 彼女の顔はよく見えない。乱れた血流が僕の視界を呆然とさせているから。でも笑っていないのは分かる。
 僕は言葉を継ぐべきだと思った。が、目の前にある一秒に相応しい言葉が見当たらない。何とかしなければ……という焦りが、僕の腕に血液を一気に流し込み、水風船が膨らむようにびーんと腕が伸びた。テーブルの上へ。僕の腕の先、親指と人差し指が希望を掲げている。煌めいている、今は。しかしこの一秒が去った後には、光は無いかもしれない。
 一秒、有史以来のすべての刻が、目の前の一秒に集約されている。
 指は待っている。宇宙が産まれた瞬間から、ずっと待っている。彼女の指を。
 一秒も待っている、結末を。テーブルの上の出来事が終わるのを待っている。次の一秒が後ろに並んでいる。その後ろにも一秒、行列になっている。僕は焦る。
 彼女の指が来た。僕は感情が沸く前に動いていた。彼女の薬指に、銀のリングを嵌めた。その瞬間、一秒がやれやれという感じでテーブルの上から去った。血流が正常に戻る。鼓動が始まる。彼女は笑っていた。僕は泣いた。そして彼女も笑顔のまま泣き出した。
 これから沢山の一秒を彼女と過ごすだろう。でもさっきまでテーブルの上にあった一秒を、僕は永遠に忘れない。
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