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2021年09月27日11:57

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下駄の勧め。正代関読んでくれたら良いな

私達団塊の世代は、幼い頃には下駄を履いていた記憶が有ります。
下駄を履いてカケッコをしていた時に、よく転んだ子供の多くは、私の記憶を辿ると、やはり運動神経が悪かったと思います。
私達の青春時代には、柔道や空手といった武道系の強い人間には、鉄下駄を履いて鍛えているという噂が多々有りました。(真偽は不明で、噂だけが多かったのですが)
暴走族は、私達全共闘世代が闘争に敗北してから生まれましたから、私達世代の、今で言うヤンチャ系人間の争いでは、武器を持たない喧嘩が主流でした。武器を持つ事は卑怯だとされていたからです。
そう言いながら、安保・学園闘争では、角材を使いましたけど、それは完全武装の機動隊相手だから………との事で、私は参加した友人から、仕方ないんだよ。と聞きました。

話を戻します。

子供時代の私の遊びは、夏は三角ベースの野球で、冬は相撲でした。そして、中学からは柔道。その合間に喧嘩。

下駄で走っても、余り転ばなかった人間は、やはり相手にすると強かったです。
私は子供の頃は滅茶苦茶相撲が強く、小学生の頃には、下駄でよく転んだでいた上級生相手には、相撲では投げ飛ばして勝っていました。
二学年違うと、身長は頭1つくらいは違いますが、それでも勝てました。そして負けた上級生は、余り下駄で転ばなかった人でした。
小学生になると靴で学校に行きますから、下駄は儚くなります。が、小学生時代には、お祭りには浴衣と下駄が主流でしたから、それで活発に動ける子供、動けない子供は判ります。女の子でも、やはり同じ姿でしたし、動ける女の子は、やはり運動神経も発達していました。
ですから逆に、下駄は、体全体のバランス感覚を養うのには最適だった。と、今は考えています。
体重移動が自然に行われるようになりますから、格闘技では特に、攻める時も受ける時も、自然に動くようになるからでしょう。

昔の力士は、下駄で電車に乗り、吊革を使わないで立っている。そんな訓練をしていたそうです。
体格は今の力士の基準なら、全て小兵力士に当てはまる程度でしたが、腰から下の安定感は、今の力士には殆んど見当たりません。
体の体重移動のバランスが良いから、のど輪などで顎が上がっても、下半身は腰が伸びていませんから、結果としての四つ相撲が多く、見応えが有りました。
現在の力士では、宇良関が最も昭和40年代までの力士に近いかと思います。が、現在の宇良関の体型ですと、当時としてはアンコ型(太ったタイプで、痩せた力士はソップ型と言います)になります。逆に言えば、宇良関の素晴らしい運動神経と反射神経に感心されられますが、宇良関がもう少し背が高くて、早い時期に現在の体型になっていたなら、膝を傷める事もなく、今頃は大関だったかも知れません。
下駄は、体のバランスが崩れると、先ず足首が影響を受けますが、その時に敏捷に膝の力を操作する事で、足首の骨折を避けられますから、これが身に付いていたら、宇良関も膝の怪我は無かったかも知れません。
私が今、一番下駄を勧めたい力士と言えば、大関の正代関です。正代関の欠点は、踵がしっかりと土俵に着いていない事です。しかし、一年も下駄を毎日使用していれば、かなり克服される。と考えています。
今の相撲の親方達は、下駄を知らない世代だと思いますから、こうして私が書いてみました。

相撲好きとしては、もう少し内容が濃い相撲を見たい。
それで書いてみました。

しかし新横綱照ノ富士関は立派な横綱相撲でした。この相撲を続けて欲しいですね。

投稿しようとしていたら、白鵬関が引退というニュースが入ってきました。
この横綱は、横綱としての心が無かったのだと、改めて感じました。
白鵬関は確かに、名古屋場所で全勝優勝をしました。しかし、照ノ富士関との相撲での白鵬関は、危険なかちあげという名の肘打ちを繰り出しました。
これが何故非難されるかというと、本来のかちあげは、相手の胸を、肘から手首までを平行にして当て、相手の体を起こす為の技です。が、白鵬関のかちあげは、首から上を狙い、肘を先に相手に当てに行きます。これはプロレスで言うエルボースマッシュで、かちあげと似て非なる技だからです。
先場所は、これを照ノ富士関に叩き込みました。そして何発も張り手を使いました。
今場所の照ノ富士関は、当然ながら、このような技は出していません。
これこそが横綱の姿で、私は照ノ富士関が、正々堂々の横綱相撲で、白鵬関に勝つ事を望んでいました。
私は、名古屋場所の相撲を再現しても、照ノ富士関は対策を考えてきて、しっかり組止めて勝つと想像しています。
白鵬関は横綱ですから、私がこうして書くまでもなく、本人が良く理解していると思います。が、引退すれば負けていないと言えます。
中身はともかく、記録は立派な全勝優勝ですから、勝てば良いと考える人達からは、素晴らしいと称賛されての引退だとなるでしよう。
再度、病気を理由に困難なコロナ対策から逃げた、あの安倍前首相と同じで、さもしい根性が透けて見えます。

白鵬関は、相撲の普及の為に白鵬杯という、子供相撲大会を主宰しています。それは誠に素晴らしい事ですから、私もそれは立派だと思います。
が、だからこそあの相撲が許せないのです。あの相撲が子供達のお手本になるのか?と声を大にして言いたくなるのです。
白鵬関も、以前は良い横綱でした。白鵬杯は、その良い横綱の時代から始めました。
東日本大震災の時の土俵入りも、私は嬉しかった。が、そこからが違う。
良い事をしたり、優勝記録を更新したりすれば、何をしても良い。と、いうわけではありません。相撲は古代からの神事でもあります。
江戸時代に、神社仏閣の勧進興行の相撲と神事が結びついて、吉田司家が横綱を認可する事になりました。それが現在の横綱に繋がります。

それが白鵬関には理解できないのか、理解させられなかった師匠と、相撲協会の責任は重いと考えます。
横綱は、神のヨリシロとして綱を張っているのです。ですから、横綱は正々堂々と受けなければならないのです。
本来ならば、横綱には立ち合いの待ったも無いのです。
膝が悪い照ノ富士関が、呼吸を合わせて立つ。これはかなり無理難題ですが、それを希望して終わります。
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