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2021年07月23日22:18

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今だから敢えて書きます。日本軍蛮行証言の嘘を見抜く方法

私が戦争に行った父親世代から子供の頃に聞いた話や、観光バス運転手として、戦友会の仕事で出会った元兵士達に聞いた話から、そういう事かと納得出来た事を書いてみたいと思います。日本軍に全然蛮行が無かったというわけではありません。ただ、誇張され数倍数十倍以上にも膨らまされた部分は、排除したいと思います。

1・日本軍の蛮行の証言の中で、婦女暴行・強姦に関しての話で、パンツが出てきたら嘘。

今はズボンをパンツと呼びますが、1960年代までは、パンツといえばトランクスタイプで殆んど白でした。これは世界的にも共通でしたから、パンツが出てきても、それを当然の事だと感じていました。が、これが嘘の証拠だったのです。
日本軍の兵士は、基本的には越中ふんどしなのです。
越中ふんどしとは、判りやすく書けば、手拭いのはじに紐を着けた下着です。実際には白い綿の布で、手拭いより少し長いかも知れません。
紐を腰で結び、お尻から股を通して布を下から紐に通して前に垂らします。
戦場に行く兵士は、三角きんという三角形の仮包帯を持参しますが、越中ふんどしは、この仮包帯の変わりにもなるとの事で、これも必ず持参したとの事です。
日本軍は輸送力が弱く、優先順位は兵器に弾丸と弾薬、食糧の順で、医薬品などはその後の後でしたから、これは頷ける話でした。

近所に陸軍伍長(自衛隊なら三曹)で中国戦線に居た人が居て、この人は物質購入にも関わっていて、代金を上乗せする事で、現地女性と関係を持っていたという事です。
駐屯地の倉庫の中とかを利用していたとの事ですが、見付かれば処罰されます。
しかし、扉が2つあれば、ズボンをたくしあげ、上のボタンだけを止め、上着をきちんと伸ばせばバレなかった。というのです。確かに越中ふんどしですから、足に絡みつく事はありません。ズボンは軍袴(ぐんこ)と呼ばれ、乗馬ズボンに似た形ですから、どちらかに垂れていても判らないでしょう。
ちなみにズボンは、ベルト部分が広く作られていて、ボタン2つで止めていたと思います。ですから、少し余裕がある作り方だったみたいです。
これが日本兵の下着事情ですから、パンツをたくしあげながら…………等という証言は成り立ちません。

特記〓支払いは軍票という専門のお金でした。軍だけが使用できた物で、日本円と交換が出来ましたから、敗戦までは価値が有ったのです。
昭和天皇の中国国民への謝罪の気持ちには、この軍票を含めた日本円の紙屑化が有ったとも言われています。その金額は、現在に換算すると数兆円とも数十兆円とも言われていますから、貧しい生活での紙屑化は、心が傷んだのだと思われます。

2・苦力(くーりー)
日本軍は補給が弱い為に、少数を捕虜にした場合には、武装解除をして解放していたそうです。駐屯地なとでは特にそうで、そうしないとゲリラになるからです。
国民党軍に限らず、中国軍は現地の若い住民を強制的に兵隊にしていたそうで、解放する事で恨まれ無くて信頼された。というのです。ただ、現地の人間ばかりではありませんから、そんな場合には、苦力という人夫として、部隊の移動に従って、生まれ故郷に戻る。または近くまで行くのだそうです。
日本軍の中には、かなり中国語が判る将校も多く、中国生活が長い兵隊も居ましたが、細かい部分を説明する場合には、苦力は役に立ったという事です。苦力の半数以上は元捕虜だったとの事で、目指す方向が違う場合は、部隊同士の話し合いで、苦力の入れ換えも有ったそうです。
この苦力の説明も、強制的だと言っていれば、嘘の可能性は高いのです。
とにかく日本軍は強く、相手が数倍では負けませんでしたから、逃げ遅れた捕虜は常に存在していました。ですから強制的に徴用する必要は無いし、そして僅かでも軍票で日当は払っていましたから、貧しい当時の中国国民には良い仕事だったのです。
捕虜を解放する。苦力にする事を、現地部隊では処理したと表現していましたから、辻政信参謀のように、偽物の命令で捕虜殺害をさせた場合にも、言葉は同じ処理。ここは注意するべき点ですね。

3・便衣兵(べんいへい・ゲリラの事)
便衣兵とは、民間人の服装をした兵士の事です。私達が侵略された場合に、敵軍を私服で攻撃したら便衣兵になってしまいます。義勇軍として認められるには、相手に軍隊である事が簡単に判る隊旗とか共通する腕章とかが必要だとされています。相手軍隊の服装で襲撃すると、これはスパイと判断されます。そして、便衣兵もスパイも即時処刑が認められています。(ハーグ陸戦規定。国際的な戦争法規で、現在でも有効です。)

この規定が何故あるのかというと、無関係な民間人を保護する為なのです。相手からすれば、民間人の服装で攻撃されたら、区別が出来ません。ですから必ずオーバーキルになってしまいます。反撃は軍隊に認められた正当な権利ですから、裁判とは異なり、疑わしきは先ずは攻撃をして、自分を守るわけです。
ベトナム戦争のソンミ村事件も、本来なら虐殺と非難する以前に、ゲリラ戦を実行したベトナム軍が責められるべきだったのです。
中国では国府軍も共産党軍も便衣兵を多用しましたから、民間人が犠牲になる事は想定内だったはずなのです。
この戦争法規を無視した虐殺という非難は、アメリカ軍兵士を苦しめたと言います。
当時は共産主義を讚美する風潮が有りました。ですから、声高に虐殺と攻撃された事により、戦争精神症が多発し、帰国後も精神を病む人が大勢いました。
子供や女性がいきなり銃撃してくるわけですから、心を病むのも判ります。日本軍の戦争犯罪だとして断罪したアメリカが、間違いを認めたという報道が有ったと記憶しています。
便衣兵狩りは、額の生え際の皮膚の色で判断したそうで、私が雑過ぎませんか?と質問したら、それは仕方がない。という答えでした。
処刑の時に、周囲に地元民が居た場合には、苦力が居れば苦力に説明させたそうです。
また、地元民から異議が有った場合は、解放する事も有ったそうです。
見分け方の理由は、便衣兵は元来が兵隊ですから、常に軍帽を被っています。ですから生え際は日焼けせず、肌の色が他に比べると白いのだそうです。
ですから、駐屯地での処刑は殆んどが正当な処刑だとの事でした。
進撃途中では、そこまで調べている時間の余裕が無く、応戦して相手が逃げたら深追いはしないとの事でした。
南京大虐殺と言われる事例では、軍服を脱いで安全区に逃げ込んだ兵士が便衣兵になる事例が多く、 それを民間人と誤解されたのだと考えられます。この額の生え際の色での判断は、理解されなかったという事でしょう。

4・オープンシティと安全区
オープンシティとは、守備軍と都市幹部が折衝したり、守備軍が撤退したりして、都市内に軍隊が駐留していない事を確認し、攻撃軍に戦闘行為をしないで進駐する事を求める事を言います。
安全区は、広大な城壁都市の中に、市民の避難所を設け、それを攻守両軍が認める事で成立します。当然な事として安全区内に軍隊は居ない事が条件になります。共に軍隊が存在しない事が前提条件であり、首長や安全区の責任者にはそれを守る義務が生じますから、安全区では特に、バリケードなどで戦闘区域との差別化が必要になります。
この条件は重大な遵守事項です。これを破ればその時点でオープンシティも安全区も攻撃の対象にされます。
大東亜戦争では、フィリピンのマニラがオープンシティになり、安全区は南京に設置されました。

5・南京大虐殺
日本軍が虐殺をしたとされる事例では、マレー攻略戦後の辻政信参謀の偽物の軍命令による華僑殺害と、海軍の捕虜殺害、それに私の敬愛する阿南大将の第二方面軍でも、勝手に現地住民を処刑した事件があります。華僑殺害は数千人、海軍は数百人、他は数百人以下の人数だとされていますが、正確な数は残念ながら判りません。
南京大虐殺と言えば出てくるのがラ―ベの日記ですが、このラーベという人は、南京安全区の国際委員長という責任ある立場でした。彼はナチス党員であり、その経歴がこの日記の信憑性を高めていると思われますが、この当時は、ナチスドイツは日本を敵視していました。
この南京事件の発端は、ドイツが支援した上海事変からの流れで、彼は勤めていた会社の支社長で、武器輸出の責任者でもありました。
この日記には、彼が実際に見た殺人行為は無く、中国人からの伝聞だけが書かれています。また、中国よりな言動により、南京占領から約2ヶ月後に強制退去によりドイツに帰国しています。
この南京安全区国際委員会の名で、日本軍に感謝状が贈られています。それは、日本軍の砲弾が、安全区に1発も撃ち込まれ無かったからです。
ラーベは、帰国後ヒトラーに上申書を提出し、6万人近くが虐殺されたと書いていて、映像や写真も有ると書いています。が、彼はナチス党員としてソ連とイギリスに逮捕されていますから、その映像や写真が本物ならば、東京裁判で中国が南京大虐殺を持ち出す前に、イギリスが騒いでいたはずなのです。
当時は、国民党政府が様々な宣伝映像を制作していましたが、その中には、日本軍の残虐さを強調する映像も有ったそうです。しかし、それらは現実では無いとして、相手にされていませんでした。
当時の中国には、今以上に欧米人が高位の存在として滞在していましたし、自由に行動していましたから、名誉白人としての日本人を正当に評価して、中国の宣伝には乗らなかった。という事でしょう。
ナチスのユダヤ人虐殺のホロコーストは、東京裁判に先行するナチスドイツの裁判で、重大な問題になっていたからです。
中国人からの伝聞の部分も、便衣兵の部分をご参照頂ければ、理解頂けると思います。
南京の揚子江岸で、夜中に捕虜が騒ぎだし、捕虜の数分の1の日本軍が発砲し、数千人が死んだのは事実です。が、これも捕虜の暴動という事ですから、合法で虐殺とは違います。

中には話をすり替えて、侵略したからだ、とか、それを拡大して、居たから悪いという論者も居ますが、それは日本を悪者にしたい詭弁だと断定して置きます。

ドイツ以外にも、ソ連も似た事をしていますし、広島長崎への原爆投下も、厳密に言えば戦争犯罪ですし、第二次世界大戦後でも、南北朝鮮軍による虐殺や、ベトナム戦争じの韓国軍の虐殺など、世界にはまだまだ蛮行が存在しています。
だから日本だけが悪いわけでは無い。という論点では無くて、虚報は正す必要があるという観点から、これを書かせて頂きました。
悪い事は悪いし善い事は善いと冷静に判断する事が、全ての基準であるべきで、日本だけが戦争犯罪国家だというような論点も、次の世界を考える上では論外でしょう。
その現実をしっかり知る事から、改めて世界を眺める視点が必要だと思います。
理想を語るだけでは世の中は変わりません!
理想をどう実現するのか?
その為にも、真実を判断する必要があります。
これをその一助にして頂けたら幸いです。
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