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2021年03月31日20:48

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正々堂々とは?古賀稔彦さんと照ノ富士関の報道から

古賀稔彦さんのご逝去と照ノ富士関の優勝と大関復帰、怪我を乗り越えたお二人の話題が続く事に、不思議な感慨を覚えます。

国民栄誉賞の山下JOC会長の五輪金メタルも感動しましたが、あの時は、相手選手の怪我をした足を攻めないという崇高な行為がありました。
この相手選手の行為は、人間として立派であり、山下さん以上に相手選手の人間性が光ました。
山下さんの実力が抜けていましたから、批判より賞賛が大多数でしたが、正々堂々という意味では、当時から私は少し疑問を感じていました。
明らかに足を痛めていると相手にも判らせた山下さんは、素晴らしい結果だとは思いますが、相手に精神的な負荷を掛けたという意味では、勝負する。という面では片寄りが有りますから、正々堂々では無いなと疑問が残りました。

古賀稔彦さんの場合は、相手にそんな忖度を与えずに、真に正々堂々と戦い、決勝の相手は最初から逃げ腰で、痛む膝への負担は大きかったと思います。が、それに耐えて攻め続けて勝ちました。

私は、相手に精神的な負荷を掛けなかったという意味で、古賀さんの方が山下さんより凄いと考えるのです。
正々堂々とは、相手に忖度しないしさせない。それが相手への敬意にも繋がると考えるのです。

そして照ノ富士関。
片方の膝は半月板が無く、片方の膝には前十字靭帯が無い状況での復活劇です。
解説者が、前に出る相撲は膝への負担が少ない。と言いますが、それを確認する方法があります。それは、足の親指に力を入れて歩くと判りますが、歩く速度が速くなり、膝から下に力がはいるのです。逆に踵に体重を掛けると、膝に負荷が懸かります。
足の親指に意識して力を込めるのは、普通に歩いている私達でも簡単には出来ません。
かなり意識を続けないと、簡単に力は抜けてしまいます。
私は、照ノ富士関はそれを真剣に体に覚え込ませた。と考えています。だから何とか膝が保っているのだ………と。

私達団塊の世代の幼い頃は、下駄を履いていました。昭和30年代後半まで活躍した信夫山という力士は、下駄で電車に乗り、足腰を鍛えたと聞いた事がありますが、昔は相撲だけでなく、柔道や剣道や空手でも、鉄下駄を履いて鍛えている人がいました。
瞬間的なバランスや体重移動にも、下駄は非常に効果的な鍛えられる履き物です。それを何故使わないのか疑問ですが、照ノ富士関には無理かも知れません。では……
照ノ富士関は摺り足を沢山したのかも知れません。多分、足の指でも砂を掴めるようになっているのかも、です。
努力というだけでは語り切れない積み重ねが有ったのは、私のような人間にも判りますが、その照ノ富士関に対して遠慮しない力士達も、私は立派だと思います。
実力差を埋めようと立ち向かう相手力士、それこそが正々堂々の精神だと思えます。
立ち合いに変化するのも私は正々堂々の精神だと認めるのです。それは、相手を認めた上での勝つ為の奇策だからです。
体重別では無い格闘技は相撲だけですが、それが相撲の魅力でもあります。重ければ強いわけでもありませんし、小さくても強い力士がいるのが相撲です。
栃若とか栃の海とか玉の海とかの横綱が居ましたし、角聖と言われた双葉山は、大横綱になる前は『うっちゃり双葉山』と言われていたとか。
後ろに反る腰の強さが大横綱になる資質だったのですね。
現在でも小兵力士の活躍も有ります。

横綱や大関が立ち合いに変化する事を責められる原因も、格下相手に変化するという事が、地位の重さを自ら放棄する事になるからです。
その意味では、横綱に張り手をしないという不文律も、横綱は神に準じる存在だから、張り手は失礼な行為だとされているのです。
土俵入りに着ける横綱の綱は、神に準じる事を表し、神社の注連縄と同じわけです。

私が白鵬を責めるのは、そんな横綱が張り手をするからですが、あのカチアゲも、最初から顔を狙うわけですから、やはり卑怯です。横綱に張り手をしない不文律を、白鵬は悪用しているわけですし、あればエルボースマッシュというプロレス技です。
相手の胸に当てて起こす。それが本来のカチアゲなのですから、それを拡大解釈しているのです。つまりそれは、神に準じる横綱がする事では無い。という事ですから批判しているのです。
横綱という地位がある相撲とは、勝てば良いという競技ではない。それをご理解頂きたいと思います。

狭い土俵の中で短時間に勝負する相撲は、体格や体重で階級を分けない格闘技であり、防御する道具も装置しませんから、筋肉の上に脂肪を付けて防御に役立てるという、珍しい格闘技ですから、横綱という準神様も生まれたのですから、正々堂々という事を私達に教えてもくれます。
格闘技ですから、当然ながら強さによる階級があり、関取と言われる十両以上が一人前の相撲取りとして扱われ、その下の階級の幕下は大激戦区であり、十両から落ちた力士も多くて、ここが大きな壁になっています。その下に三段目があり、その下に序二段、その下が序の口で、これが最下級になります。
照ノ富士関は、序二段まで落ちて昔は最高位だった大関に戻ってきました。
現在は十両の宇良関もそうでしたが、序二段で再起を掛けた元関取が復活して来ています。また、現在も序二段から再起したばかりの友風関も居ますから、照ノ富士関の大復活劇は、これらの力士にも励みになりますし、私達にも励みになりました。
照ノ富士関は、兄弟子に元安美錦の安治川親方も居て、この方も両膝の怪我をダマシダマシ長く相撲を取った方ですから、伊勢ケ浜親方を含め、復活の力になったのだと思います。勿論、奥様の内助の功も忘れてはなりません。が、相撲を通して、太い人間としての絆も感じます。
人種差別や性差別も話題になる近頃ですが、この絆は、その差別に対する答えも与えてくれました。
正々堂々の精神で勝負にかける人間、その為に人の数十倍も努力し、1日を大切にする姿勢は、周りの人間を巻き込んで太い絆を作るという、考えてみれば人間としての基本を教えてくれたわけです。
たゆまぬ努力をし、毎日を潔く生きる。
多分、結果は考えなかったと思います。だから集中が出来たのでしょう。

さて、今後の見通しですが、照ノ富士関は、張り手もエルボーもしません。ボロボロの膝で精一杯戦っています。
その為に踏み込んでいるのですが、攻め込まれて押され、
踵に体重が懸かれば照ノ富士関は残せませんから、やはり全勝する事等は望めません。
膝が保ったと仮定して、私は11勝が照ノ富士関の基礎になる勝ち星だと考えています。
しかし、現在の力は、白鵬と互角だと思われますから、白鵬に引導を渡す存在である事を望んではいます。
白鵬を私は、正々堂々の相撲取りだとは考えていませんから、現在の群雄割拠の大相撲には、私はある意味では満足しています。が、綺麗なうっちゃりが出来る力士を見たいとも思います。
初代若乃花の仏壇返しや、見事な出し投げも見たいです。

正々堂々の精神で金メダルを取った古賀稔彦さん、正々堂々と戦い、大関に復帰した照ノ富士関に、再度十両に復帰して、幕内まで後少しの宇良関。
総務省や厚労省の役人や、政治家に大マスコミの姿など、正々堂々とは縁遠いニュースの中で、この古賀稔彦さんと照ノ富士関のニュースは、本当に貴重でした。

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