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2021年02月07日20:52

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軽井沢バス事故で取材を受けて考えた事

『この国に「朝日新聞」は何をしたのか』という本があります。
福島原発事故の吉田調書の誤報と誤報と指摘した産経や読売とのやり取り、そして誤報を認めた謝罪と誤報取り消しが書かれています。それに、従軍慰安婦問題の顛末と、長い時間を経て誤報と認めるまでが、かなり詳しく書かれている本です。
また朝日新聞は、これとは別に、本多勝一記者が書いた中国関連の記事で、現在の毎日新聞が戦前に掲載した『百人斬り』記事を引用し掲載した事で、論争と裁判に発展しています。この裁判は、証拠不十分で捏造記事とは認められない。という無罪判決がでましたが、その判決の内容としては、この記事が全て真実だとは認めていません。
要は元になる多少の事実の存在は認め、それを膨らました事は認めていて、捏造とまでは言えない。という事です。

この記事が原因で、百人斬り競争をしたとされる野田・向井の二人の将校は、戦後の極東軍事裁判で死刑になりました。が、捏造かどうかの裁判は戦後60年経ってから行われていて、私の私見では、この裁判が昭和50年代までに行われていたら、大部分は捏造だと指摘されていた。と考えています。
何回も書きましたが、私が仕事で出会った戦友会の元兵士達との会話や質問を通じて、この話はホラ話だよと断言されているからです。
彼等元兵士が語る戦場の話では、砲兵や副官が白兵戦に参加して、敵兵を切る事など有り得ないし、例え参加して敵兵を切ったとしても、冷静に数など出来ない。という事でした。この二人は当時は少尉であり、新米の将校です。ですから余計に無理だというのです。新米がそんなに冷静になれるほど、戦場は甘く無いという事でした。
彼等二人は、逃げる敵兵は斬らない。とも語っていると記事にありますが、それが逆にホラ話の証拠だと言っていました。
この元兵士達が、何故世間に向かって捏造だと言わないのか?
それは、戦後のGHQによる言論統制に繋がります。この統制は非常に巧妙な物で、統制に違反したら、記事の大小に関係なく、発行差し止めにされたのです。新聞が発行出来なくては死活問題ですから、新聞社は統制に従います。当時はGHQの報道統制で、日本悪いのオンパレードでしたから、当然ながら抗議も訂正も通らず、嘘も百回繰り返せば真実になる。という状況が存在したからです。

私は元兵士達に説明されていますから納得していますが、その頃の事を知らない裁判官では、かなり判断は難しいと思います。ですから曖昧な捏造とは認め無い。という判決になったと考えています。

何故このように書き出したのか?

それは日本のジャーナリズムに共通する欠点、欠陥を指摘したかったからです。
菅首相の子供の総務省幹部への接待は、本来なら五輪組織委員会の森会長の発言より、数倍も数十倍も大きな問題であるはずですが、森発言にばかり報道が偏っています。
どの問題を大きく報道をするのかは、確かにマスコミに選択権があります。が、それを理由にした忖度が存在するのではないでしょうか?

また、軽井沢バス事故の話になりますが、日テレのバンキシャで事故直後に私は運転手を代表する形で謝罪をいたしました。次はテレ朝の報道ステーションに出ましたが、その条件とした私との約束を破り、観光バス運転手全体を貶める発言をされました。
放送の翌日が上田警察署での取り調べで、上田からテレ朝に抗議をした結果、謝罪かどうか微妙ですが、番組の公式ネットで訂正をさせました。
次がNHKの記者さんと会い、土屋運転手の適性検査結果に対しての説明をしました。この時に始めて事故前の走行中の動画を見せられました。
この適性検査の設問には、はい。いいえ。どちらとも言えない。の3つの答えが用意されていますが、『悪口を言う人がいる』『サボっている人がいる』という質問もあります。これは人間社会なら居て当たりなのですが、これにハイと答えると点数は低くなります。ですから絶対的な検査ではなく、参考程度の判断が正しい。と伝えました。
が、それ以後NHKの取材はありません。

これらは全て、私は過去に書いています。そして今回の朝日新聞との話という事になります。
既に書きましたが、朝日新聞対する記事は、見出しから判断して書いています。ですから内容と違っていたら謝ります。それを御承知の上でお読み下さい。
それを改めて取り上げる理由は、あの記事の見出しにあります。
森嶋運転手が土屋の運転技術に危険を感じた。という内容で、それを強く主張したら事故は起きなかった。それを後悔して観光バスの運転手を止めた。というニュアンスの記事だと判断しました。
読んでいませんから、憶測になりますが、私は見出しを見ただけで読む気持ちは無くなりました。
これも過去に書きましたが、森嶋は嘘が多い人間で、私が生活費をかなり援助し貸してもいたのですが、その金も返さないし、後から知った事ですが、他に勤めていた頃に、勤務先の近くの居酒屋や飯屋に数万円の付けをし、それも払わずに逃げているとの事でした。
私と森嶋とのやり取りは、私がしっかりボイスレコーダーに録音してあります。これも過去に書きました。が、過去の森嶋の言動に信用が出来なくて用意したものです。
私に食べれないと言って頼って来たのは、事故から2年後の事で、私が勤務する会社に紹介して入社したのです。
そして辞める月に、検察から呼び出しがきましたが、森嶋は約束をすっぽかし、2度目は会社に電話が入りました。金が無いという事なので、社長が森嶋に金を貸し、出向くように話をし、森嶋も了承して返事までしながら、またもすっぽかしました。
その後で直ぐに退社を求め、私には一言も退社の話もせずに退社しましたから、私は録音する必要を感じたわけで、この録音は、検察に押収されましたし、取材に来た朝日新聞の記者にも、コピーして渡しました。
その記者が、あの記事を書いた記者ですから、私は違和感を感じているのです。
記者は、代々木公園で森嶋に会ったとの事ですが、私が貸した金の問題に、検察からは何回も森嶋と連絡が取れないかと電話が来たりで、森嶋の居場所を探す必要があり、元の森嶋の同僚達に、貸した金の話もしていますから、森嶋は地元の山梨県でも、悪名で観光バス運転手は出来なかったのだと判断しています。

金にだらしない森嶋が、取材のためにワザワザ代々木公園に来たのは、そこに謝礼付き取材の約束が有ったし、事故の出発地を選んだ意味も、記事を強烈にする為だろうと感じたのです。そう判断したから読む必要を感じ無かった。という事になります。

私は、テレ朝に行った時も、掛かった交通費も請求しませんでしたし、勿論謝礼は受け取っていません。取材を受けても、せいぜいコーヒーですが、この時は軽い食事をファミレスでご馳走になった位ですから、こうして忖度せずに書いています。

私の事は、記事の最後に裁判になり、真実が明らかになる事を望んでいる。と書かれていました。が、あの記事の見出しでは、土屋の技量未熟が強く打ち出されていて、私には検察を応援する記事だと思えました。
ボイスレコーダーの会話の中身を知っていて、借金の話でも、払いたく無いから、平気で嘘を言って逃げている森嶋の言葉を、あそこまで大きく取り上げる。
それは私には、検察への忖度だとも感じられたのです。
記者は、技量の問題は主観の問題が含まれる。と言っていましたし、あのボイスレコーダーの録音の後から、土屋の技量未熟を検察に話しているようだ。それは私に恩義を感じて、検察にも忖度して言わなかったと思う。と、言っていましたが、それに対して少し反論をします。
私と森嶋は、実は余り会話した事はありませんでした。
観光バス業界は、後輩運転手が先輩運転手に対して、『今日は宜しくお願いします』と缶コーヒー等を持って挨拶に行くのが伝統なのです。
森嶋が土屋と同行した日は、私は日帰りで横須賀三浦方面に行っていましたから、三笠公園で、東郷ビールなどを計20本も買って帰り、森嶋には8本も渡しましたが、それはこの伝統が有ったからです。
土屋はそんな伝統を教えられる会社に勤めた経験がありませんから私が渡したのです。
ですから、私に忖度する必要等は無いわけで、あの見出しが森嶋の本心だとは、私にはとても思えないのです。
あのボイスレコーダーの録音の中にも、私を脅すような口調で、森嶋は土屋の技量の話を持ち出しています。それは私に借金をまけさせる為の当て付けだと、私には思えたのです。

記者は、森嶋の言葉を確かに記事にしたのでしょう。しかし、その言葉を本当に信じて書いたとしたら、私は記者の人間に対する判断基準が理解出来ません。
嘘が多いから、話の辻褄が合わなくなるのは、注意して話を覚えていれば判ります。

残念ながら私は、軽井沢バス事故で起訴はされませんでしたが、出来るなら、森嶋と朝日新聞から名誉毀損で訴えられたいと思い、これを書いています。
そうすれば裁判で森嶋と対峙する事が出来ますし、私には貸した金を返してもらえる可能性が生まれるのと同時に、土屋の運転技量に関しても森嶋と正面から論争が出来る可能性が生まれるからです。
それは、軽井沢バス事故の原因究明に、1人で足掻いている私に取っては、誠に好都合だと思えます。

記事の選択は新聞社の自由であり、確証の無い事は書けない。と取材の度に言われましたが、記者の心証として納得ができ、それが核心に近いならば、このような疑念・疑惑が考えられるが、真相はどうなのだろうか?と、書き方を工夫して書く事こそが、本来のジャーナリズムだと思います。
冒頭に書いた本には、微妙な捏造とも言える事例が載っています。
今回の朝日新聞の記事も、微妙ではありますが、ある一定の効果を狙ったという疑念を私は、感じます。

私は、軽井沢バス事故に関して、全て書いてきました。
前立腺肥大とガンで、私の右の腎臓は殆んど機能していません。ですからコロナに感染して腎臓が負ければ、簡単に死亡する事が考えられます。
ですから、こうして全て書き残しているわけです。

土屋は森嶋と同行し、翌日の休みの日に、現地から電話を寄越しました。が、その時のやり取りから言える事は、土屋が森嶋からお金を借りる事など有り得ない。という事です。それは互いに話こともろくに無かったからで、これは勝原にも、土屋からの電話の話をしました。
その私の話と、森嶋の勝原への報告とを勝原が判断した上で、最終的な確認の意味を込めて、土屋と同行する事になりました。
そして事故が起きてしまったのです。

勝原は、結局は土屋に運転を全て任せたわけですが、それは勝原が私の判断を是としたという事だと判断できます。
本当に危険だと判断していたら、そんな事はしないと思います。

朝日新聞に批判的な事を書きましたが、軽井沢バス事故に関して言えば、全ての新聞社もテレビ各局も、警察と検察の発表に沿って報道しています。
朝日新聞の記事は、その中で目立つ事を狙ったからだと私は考えています。
たまたま冒頭の本がありましたから、私は重ねて書きましたが、これは全てのマスコミに対する私の疑問です。
菅総理の息子の接待疑惑も同じ、記事を選択し、どのように扱うかはマスコミの裁量です。そしてその裁量の中に、権力に対する忖度があったり反発もあるわけです。
これをお読み頂いた皆様に、それをしっかりと意識して頂けたなら幸いです。

ありがとうございました。
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