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2021年01月16日16:36

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朝日新聞の記事について

今日1月16日付けで朝日新聞の長野版に私の事が載っていました。
土屋の運転技術が未熟だと信じる気にならない。と書いていましたが、何回も書いてきた通り、あの場所で事故を起こすほど未熟だとは少しも考えていません。言葉じりを責める積もりはありませんが、訂正をして置きます。
理由は私が書いてきた物をご覧下さい。

短い文面にする為と、世間の事故原因に対する印象と、もう1人の記事との整合性を考えた書き方かと思うので、その部分を少し反論したいと思います。
片方の運転手は森嶋で、こちらの記事は登録しないと読めないので、私はその分は読んではいません。が、見出しで内容は見当がつきましたので、それを元に反論します。
読まれた方、とんちんかんでしたらごめんなさい。

あの日、確かに運転手が四人いましたが、その時に居た人間に、直ぐに電話して確認をしました。
離れて止まっていたし、記憶には無いが喋ったとは思わない。という返事でした。
憶測になりますが、森嶋が死んだ勝原に、その場でそんな事は言えないよ。森嶋の記憶違いだと思うとの事で、だとすると、森嶋の危ないという意見は、土屋と同行した後の勝原への報告という事になります。
ならば記事の中の、最初の私の評価と変わらない事になります。

信号で停止した時に、車間距離がムラに感じるのは確かに事実です。が、それは殆んどのドライバーが、ブレーキを踏もうと判断してそのまま止めた状況と同じです。
私はプロとして、大体同じ距離になるようにブレーキを調整して止めますが、気にしない人間は気にしません。
車線変更のタイミングが少し遅い。という指摘も、森嶋自身が少し強引に変更する事を考えたなら、私には土屋の方が慎重で良いと思えました。
それから、センターラインの無い大型車がすれ違いできる道で、左に寄り過ぎるという指摘も、私は土屋になるべく左を走れと言っていましたから、森嶋の走り方とは全然違います。
森嶋だけでなく、このような場合に真ん中を走る運転手は多いのですが、私はこれは反対なのです。それは、ギリギリですれ違いをしなければいけない道で、真ん中を走る事を考えたら判ります。このような道は、見通しも悪いはずで、出会い頭に左に車を寄せた場合は、車が斜めになり過ぎている為に、簡単にすれ違いは出来ません。左に寄せて走れば、斜めになっている角度が違い、その分だけすれ違いが楽になるわけです。
互いに斜めになっていると、それをなるべく真っ直ぐに直しながら、互いに寄れる分を見ながら少しづつ動かす事になります。が、互いに真っ直ぐに近い状況なら、判断もしやすいわけです。
これは基本的には、運転の際の目の使い方を知らない人間がする事で、何となく不安だから真ん中を走るのです。
詳しく知りたい方は、以前書いた物をお読み下さい。
土屋は、確かに暫く大型は運転していませんでしたから、やはり慎重になり過ぎていたとは思います。その意味では滑らかさに少し欠けていたのも事実です。森嶋はこれをモタモタしていると判断していたようです。
運転の技量とは、確かに主観の部分は大きなものですが、目の使い方とか、道路標示のラインの太さやら、サイドミラーやドアミラーの見え方などは、知っていて運転に生かす事ができれば、安心して走行できるので、それが他人の目に少し近いと感じられたとしても、科学的にはぶつかりません。

これらの報告は、私も勝原から聞いていて、勝原も問題無いと判断したから、同乗する事になっていたわけです。

もう1人と私は、上田警察署の最初の取り調べが一緒で、車中や昼飯も一緒でした。が森嶋が土屋の運転が危ないと言っていた。という話は聞いた事もありません。
この日の事も書いていますから、改めて読み返しました。しかし、やはり土屋の運転技術に関して話した記憶はありません。
この時に話したのは、運転していたのは土屋ではなく、勝原だと思っていた。という事で、彼も私も、それなら納得だという意見でしたから、森嶋がそう報告していたなら、それを知る立場にあった彼にも伝わっていたはずで、事故直後にそれが全く無いのは、やはり森嶋得意の嘘だと判断を致します。

森嶋という人間は、勝原の葬儀の時に、土屋に三千円貸したと言っていたそうです。
ところが、土屋と同行した時の事は、現地から土屋が電話を寄越していて、そんな事はあり得ない事を知っていましたから、この貸したという話は嘘です。
勝原の葬儀の時には、私が土屋を紹介した経緯は全員が知る状況でしたから、格好を付けて言ったのでしょう。
この時の事を思い出すと、同僚が集まって、何故勝原は土屋に連続して運転させたのかと、我々運転手の常識とは違う事をした勝原を非難する言葉が出ていました。
その中に森嶋も居たわけですから、森嶋が本当に危ないと感じていたなら、誰かに呟いていてもおかしくありませんが、私に金を貸したと言ってきた人間にも、そんな事は話していませんから、信用は出来ません。この金を貸したと言っている。と言ってきた人間は、あまり他人に忖度はしないマイペース人間で、金の話は土屋の葬儀の時でしたから、この判断は正しいと思います。
私が12月30日に土屋にお金を渡したのは、実は私の姪が証人になれます。が、私はその事を話していませんから、森嶋は嘘をつきやすかったのでしょう。
当時、森嶋を含めて同僚の関心事は、やはり次の仕事であり、原因追及や犠牲者を悼む気持ちは、比較すれば順位は低かったと思います。
警察の取り調べで、私は土屋の技量未熟に調べの重さが傾いているのを感じ、技量未熟は否定しました。が、車両が正常だったとの事も踏まえ、事故原因はミステリーだと答えるようになったのです。

私の軽井沢バス事故関連をお読み頂くと判るのですが、この森嶋が食べれなくなって、私が現在所属している会社に紹介しました。私が森嶋に金銭的な援助をしたのは当然ですが、その時森嶋は、土屋に貸した金を三万円だと言っていました。
貸した金の事で森嶋は私から逃げています。が、その時のやり取りは、しっかりボイスレコーダーに録音してありますし、検察もコピーして所持しています。
その時森嶋は、恩着せがましく土屋の運転技量の話をし、ある意味では私を脅すとも受け取れる言動をしました。
ですから、その時点から検察の調べに危ないと思っていたと、証言を翻した可能性はあります。
ただ、こんな話は、この記事を書いた記者さんは知るよしも無いわけで、森嶋の話を記事にしたのは仕方がない事だとは思います。

私は、裁判で真相を明らかにしたいと願っています。
それを書いてくれたこの記事には、私は本当に感謝しています。

ただ、主張が違う部分はこうして書かせて頂きました。

検察は、事故調査委員会の報告のように、土屋の運転技量不足が原因だと判断しているようです。
あの坂であのスピードで、軽くブレーキを踏んでいたとも判断しているようです。
私達の常識なら、下り坂で速度が上がってきて、センターラインをオーバーする状況なのに、軽くブレーキを踏んだとは判断はしません。が、検察はそれを技量未熟の証拠だと判断しています。
その理由は、私には全然見当もつきません。
お分かりになる方は、是非ともご教示ください。

朝日新聞さん、感謝と同時に私なりの見解を述べさせて頂きました。

全ての疑問が解消し亡くなった皆様に、心から成仏して下さい。と言える日が早く来るのを待っています。
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