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2020年09月30日01:35

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竹内結子さんまで……虚無の風に吹かれたのか

三浦春馬さん芦名星さん藤木孝さんに続き、竹内結子さんが亡くなりました。

皆さんそれぞれ個性がありますから、伝えられている性格は違いますが、関係者が突然だと言い、寸前までそんな様子が無かったという意味では共通しています。
竹内結子さんに至っては、僅か10分前にご主人が会っていたとか………

私には虚無の風に吹かれたように思われます。
虚無の風とは何か?
それは頑張り過ぎた人や、ベストを追い求めた人に吹き易いと考えています。

私達は
頑張る
頑張れ
もう少しだ、頑張れ
一緒に頑張ろうな
等と比較的簡単に使います。

ベストを尽くせ
ベストの状態
ベストを繰り返せたら
ベストという言葉も、比較的簡単に使います。

勿論、この言葉は、励ます為の言葉であり、ある意味では目標にもなる言葉です。
しかし、私は東日本大震災や災害の被災者の皆様に、頑張ろうとか頑張ってとか書いた事はありません。
何故なら、頑張って頑張って精一杯の人に、それ以上頑張れとは言えないからです。
ですから、頑張り過ぎないで身体を労ってと書きます。

ベストに対しても同じです。
私達の人生では、ベストとは一瞬の出来事です。
勿論、そのベストを得る為にベストを尽くすという事も沢山あります。
私は、沢山戦記を読んできましたが、日本人の凄さは、負け戦の玉砕寸前まで、ベストを求める事です。
しかし、この場合のベストとは、定められた状況でのベストであり、如何に死ぬのかという答えがある中でのベストです。
戦記を読みながら、泣けてくるのは、自分の死をベストにしようとする素晴らしい意志の力です。
そして、その究極のベストの為に頑張る事です。

ただ、これは定められた死という物が存在する、日常とは別な状況でのベストです。

私達の日常生活でのベストとは、繰り返される生と共にあるベストであり、頑張りでもあります。
ベストを尽くした先が死と、ベストの尽くした先が生とでは、全然違うという事を先ずお断りしておきます。

何故このように書くのか?
それをこれから説明したいと思います。

先ず、ベストと頑張るはセットに近いとお考え下さい。
頑張るは途中経過で、ベストはその先の目標だという事です。

ベストとは、その時点での最高と思われる結果です。
しかし、時の経過と共に、ベストだと思った結果が変わって来る事もあります。
極端な事を言えば最悪のバッドだという事もあります。
それが早く現れるか、かなり時間が経ってから現れるか、それは条件によってかわりますが、私達な人間であり、神ではありませんから、全ての判断がベストだった等という事はありません。
例えば、昭和の野球少年なら判ると思いますが、かっては肩を冷やすなと言われていました。
今は逆で、肩をアイシングする事は、投手なら常識になっています。
これなどは知識の不足というより、まだ科学的な解明がなされていなかったからです。
が、知らなかったとは言え、野球少年達はベストだと考えて、夏の暑い時でも、窓も開けずに我慢していました。
これは極端な例ですが、こんな逆転もある訳です。

スポーツ等では、勝利という形で一瞬のベストは完結します。
しかしこの一瞬のベストは、次の一瞬のベストを保証する物ではありません。
一瞬のベストで満足したら、次のベストは遠くなり、人はそれを知るから頑張ります。
その頑張りの中には、様々な要因が含まれ、頑張り過ぎた結果として体調を崩したりもします。
頑張りが無理に繋がったり、方法が間違っている事も有り得ます。
それを実行している本人は、ベストを尽くしているつもりですが、結果は神のみぞ知るで、神ではない私達人間には判りません。
結果重視の人間に為りすぎると、結果が伴わないと心が折れてしまいます。
真面目な努力家の頑張り屋さんほど、心が折れてしまうのです。
こんな時に、虚無の風か吹きます。

私は、頑張る事・努力する事を否定している訳ではありません。
ただ単に、ベスト至上主義に警鐘を鳴らしているのです。

私達は神ではありません。
ベストを一生続ける事などは不可能であると認め、自分の努力・頑張りはベターなのだと考えて欲しいのです。
理由は簡単、私達は神では無いから………

体調が悪いのに無理をした結果、周囲に迷惑をかける事もあります。
体調が悪い為の単純ミスもあれば、その体調の悪さが重大な疾患の前触れだという事も有り得ます。
ベストを尽くそうと考え過ぎるから、無理に無理を重ねてしまうのです。
ベターで良しと考えるなら、無理の程度は下がるはずなのです。
私は常に、ベターで良しとしてきました。
目標努力はします。
頑張ってもいます。
そして結果は?
神のみぞ知るわけですから、後は『なるようになる、ケセラセラ』なのです。

そしてもう1つ、大切な考え方があります。
それは『善悪一如』という事です。
これは善は悪を含み、悪は善を含むという考え方です。
例えば、勝利の陰には必ず敗者が居ます。
恋愛が成就したとしても、魅力的な相手なら、魅力が有れば有るほど、泣いている人間が居るはずなのです。
有頂天になるのは当たり前ですが、僅かでも泣いている人間が居ると考えたなら、その泣いている人間の為にも、相手をより大切に思えるはずなのです。

残忍な連続殺人鬼が、世の中にはたまに出現します。
その事実だけ考えるなら、これは悪百%です。
しかし、その人間が何故そうなったのか?
手口はどうなのか?
防ぐ方法は有ったのか無かったのか?
それらを知り、対策を考える事が出来たなら、次を防ぐという意味で、善の部分が生まれます。

日本の神道では、猛烈な祟り神を祀る事で、善神となるという考え方があります。
天神様の菅原道真公などは、その典型ですし、神田明神もそうです。
先程から書いてきた、ベストを求めるあまりの結果至上主義は、いわば善悪二元論の、一神教的考え方だと思うのです。
私達は、シャーマニズムの多神教から、一神教に進化したと考えてきました。
その考えが、無意識に一神教的な結果第一主義になるのだと思えるのです。

私は、何回も縄文に戻ろうと書きました。
多神教的な多様性、柔軟性が現代こそ必要だと考えたからです。

真面目な人ほど、虚無の風に吹かれ易いと書きましたが、人間は何回も書きますが、神ではありません。
完璧な人間など居ないし、居たらその人は人間ではありません。
人間には不可能な完璧を、求めるのは止めましょう。
三浦春馬さんや芦名星さん、竹内結子の評判は素晴らしく良くて、真面目で努力家で気遣いのできる素晴らしい人だと判ります。
亡くなる時に、何を考えて亡くなったのかは判りません。
しかし、私には、ベストを求め、ベストと思われる人生を歩み、僅かにベストとは異なる何かを感じた。
そこに虚無の風が吹いたのだとしか思えないのです。

私達は、神では無い人間なのですから、そのような欠けた部分が在って当然。
それを何時か埋めれば良い。と、そんな風に考えて貰えていたら……と思えてならないのです。

三浦春馬さん芦名星さん、藤木孝さん竹内結子さん。
まだまだあなた方を見たかった。
ご冥福を心よりお祈り致します。
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