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2020年09月19日12:54

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縄文の心が必要です

私は縄文の心と何回も書いてきました。
どうして縄文の心なのでしょうか?

縄文人は、当時としてはかなり文明的な人達でした。
縄文中期(5000年前位)には農耕の遺跡も存在しますから、世界四大文明のようになる事も可能だったと思います。
しかし、そちらの方向には行かなかったのです。

縄文人は、かなり遠くの人達とも交易(物々交換)していました。
天然石の翡翠やら水晶などを加工し、勾玉だけでなく、櫛らしき物やら首飾りを作り、お洒落もしていました。
この天然石は、各々産地が違いますから、交易と加工のシステムの存在も確認できるわけです。
ただ、縄文集落の保管倉庫らしい建物から考えても、必要以上の保管はして居なかったみたいです。

私が評価するのは、この必要以上は求めない心です。
その心は、現在では神道の中に入っています。
そして、この心ともっとも相性が良かったのが、仏教だったという事です。
明治政府の政策で、私が残念に思う事は、神仏分離令で、従来の神宮寺が廃止された事です。
平安時代に神仏は融合して、八幡様は八幡大菩薩になりました。
徳川家康は、東照大権現という神号で祀られました。
縄文の心を、仏教の生命に対する教義で補強する関係、理論的な裏付けが可能になったという事です。
勿論、仏教理論がそのままではなく、私のような門外漢からは、戒律の影響が強いと思いますが、その上澄みのような部分が浸透し、食事をする時の感謝の言葉などになっていると考えられます。
そして、それが自然に対する敬意にも繋がっていると……

啓典宗教では、食べ物を与えてくれた造物主に感謝しますが、日本人は生命に感謝するわけです。
この造物主に感謝する思想から、家畜の生命だけでなく、生命に対する軽視が生まれたのだと思います。
何故なら、それらは造物主が与えた食料であり、他者に対する敬意は生まれないかと思われます。
儒教の考えですと、この地球の全ては、天命を受けた皇帝の支配下にある。と、いう事になります。
単に支配下ですから、天帝を敬うだけで良く、史記でしたか、我が子を王様に食べさせた話が書かれていましたし、三国志演義にも、劉備に奥さんを食べさせた話もありましたし、近代でも、国共内戦の時に食べていたという話もありました。
食べ物に感謝する事とは、真逆だと考えて良いでしょう。

私は、この縄文由来の自然や生命に感謝する心こそが、今の地球に必要だと思いますから、明治の神仏分離令は、余計に残念なのです。
神仏を分離した事で、国家神道への道が拓かれましたし、祈る存在として定着していた天皇が、概念の中から、はっきりと現実の君主へと形を変えてしまいました。
私は、この変形した天皇の形を、自然に対して敬意を払い生命に感謝する象徴として、日本人の貪欲の戒めとして存在する形にしたいのです。
それは明治以前の姿に近く、
形が漠然とした自然や生命に対する私達の祈りの象徴としての姿です。
それは、啓典宗教の神父や宗教指導者に近く、神主さんや住職さんと同じです。
長く祈る存在だった皇室という家系は、その意味でも得難い存在だと考えています。

私達の祖先の縄文の人達は、貪欲ではありませんでした。
自然を敬い、生命に感謝して生活をしていました。
この事実は、人間として考えても誇らしい事です。
数千年前の祖先に出来た事ですから、それを私達も是非、実行致しましょう。


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