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2019年11月30日21:43

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中曽根元首相の訃報に接して

中曽根大勲位が亡くなった。
これで戦争を詳しく知る政治家は居なくなった。
大勲位は、海軍主計将校(確か中尉だったと思う)として終戦を迎えました。
その前は内務省のキャリアでしたから、多分激戦地には行かなかったと思います。
しかし、敗色が濃くなる戦況の中にいて、大型軍艦がどんどん沈められ、海軍主計の役割は減る訳ですから、戦況は理解していたと思います。

大勲位が旧内務省でどんな役職だったのかは存じません。
しかし、旧内務省は現在の国交省や総務省や厚労省や警察庁等の母体になった組織であり、宗教関係も管轄下にありましたから、強大な権限がある組織でした。
その組織に属した人達は、国家を実質的に動かしていましたから、大勲位には政治家に転身するのは、その流れの中だったと思います。
田中角栄氏は、アメリカの虎の尾を踏み、イランに採掘権を獲得したり日中国交回復を行いました。
これがロッキード事件に繋がるのですが、このロッキード事件で最初に名前が出たのは大勲位でした。
児玉誉士夫氏との関係の深さからの事です。
このロッキード事件で田中角栄氏は闇将軍にならざるを得なくなり、やがてその後ろ楯で大勲位が首相になります。
これは私見ですが、ロッキード事件でアメリカに弱味を握られた大勲位は、アメリカとの同盟を強化するように動きます。
この動きの中に、日航機が御巣鷹山に墜落する事故も起きます。
この事故報道の中で、陰謀論が存在しますが、私は大勲位なら有り得る事だと考えています。
田中角栄氏も大勲位も、大戦中の事は良く知っています。
三角大福中の中で、多分二人が一番知っていたと思うのです。
日本はアメリカの石油禁輸で戦争を決意しました。
そしてアメリカの兵器の性能と物量とに圧倒されました。
弾薬と食糧不足で敗れた陸軍とは違い、大勲位は惨敗を繰り返した海軍です。
田中角栄氏も土建業が生業でしたから、破壊の凄さは実感出来ていた事でしょう。
田中曽根の言われながら長期政権を支えたのは、アメリカとの同盟の中で、日本も普通の国として防衛力を高めるとしていう共通認識があったのだと思います。
大勲位は、憲法改正論者でしたが、自衛隊を2条に明記する事を提唱していました。
国際社会の発言力とは、軍事力と経済力が無くては発揮されません。
侵略に対して、跳ね返せる防衛力を持つ事が、日本の発言力を担保すると考えていたのでしょう。
私はかって、政治家は国家にどれだけ貢献したのかを評価するべきだと書きました。
汚職をしようが国家に多大な貢献をし、私腹だけを肥やさなければ良いのです。
田中角栄氏は、現在では評価が上がっています。
では大勲位は?

最高責任者の大統領や首相には、大所高所から考えて、血を流す事を躊躇してはいけない場合があります。
その部分では大勲位は持っていたかと思います。
そして、民主主義の形を崩さないように、強行採決もしませんでした。
ただ、その後の自民党政権を考えますと、美味に大勲位の路線からの解離が見られますから、大勲位の評価はまだまだ先の事になるのでしょう。

大勲位の後は、政治家がどんどん小粒になり、小市民的な思考のクセに、尊大で傲慢な首相まで出現しました。

三角大福中の時代。

彼等の全てが大政治家だったとは思いませんが、あの頃には政治に熱気がありました。
大勲位と共に、そんな熱気は歴史になりました。

大勲位の選挙区の伊香保に何度も泊まりの仕事で行き、大勲位と福田氏との激烈な支持者争いも知りました。
その渦中で貴重な体験も致しました。
それも懐かしい思い出です。

あの時代の熱気を思い出す時には、必ず大勲位も思い出す事でしょう。

さようなら。
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