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2019年10月09日08:45

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金田正一さんの逝去で思った事

金田正一さんが逝った。

私達の世代が野球を始めた頃には球界を代表するエースでした。

西鉄が三連覇したのが小学校の四年から。
六年生の時が伝説の長嶋さんのデビューした年。
日本中がまだ貧乏だった時代で、田舎の少年は中々野球道具も無くて、ゴムマリを竹の棒とか角材を削って作ったバットで打っていた。
人数も居ないから三角ベースは当たり前で、4月から11月始めまでは野球の季節で、その他は相撲が遊びのベースだった。
時間が無い時や人数が少ない時には、メンコとか独楽での鬼ごっことかビー玉とかをする。
勿論夏休みには川や近くの高校のプールに無断で行って泳いだ。
今の子供に比べると、食料事情は悪かったが間違いなく体幹や地肩は強かったと思う。
たまに人数を揃えて軟式野球をする時は、バットとグローブを持ち寄った事もある。
私達の年代の一番人気は野球で、男の子の大半は私と同じような体験をしていたと断言できる。
その中で上手い人間が中学校で野球部に入る。
極端に足が早ければ陸上部に行き、私のように格闘技が好きなら柔道部に行くが、好きで上手ければ野球部に行くのが当たり前だった。
他の部に行った人間でも20代前半くらいまでは、体を動かしたくて、沢山あった草野球のチームに入っている人間も多かった。
私もそんな中の1人だ。
硬球は余り触る機会は無かったけど、20年近い長い草野球歴からの体験で、軟球と硬球の違いは判る。
私達世代の20代の終わり頃に日本にスピードガンが入ってきて、密かなブームになり、草野球でも無理してスピードガンを買った人達がいて、投球スピードを計った事が何回もあった。
私はそこそこ速球派の投手であり、軟球では120キロを出したし、硬球では130キロを出した。
硬球は重くしっかりしているから、同じ人間でも速くなる事を知った。
打つと、芯に当たらないと手に凄い衝撃があり、手が痺れるが、芯に当たると痺れなどは無くて、より高く上がり遠くまで飛ぶ。
当時の草野球の頂点には、大学でレギュラーだった人や、都市対抗野球の選手を引退した人等が居て、その人達の居る地域最高クラスに行くと、私は面白いように打たれた記憶がある。
当時の監督の話だと、その人達には私の速球は、バッティング投手の球速だから合わせやすいという事だった。
大学時代の速球派でも私より20キロは早いという事ですから、単純に考えても彼等速球派は140キロ近い球速だったはずであり、その速球派よりも早いプロでも一流の速球派は、やはり150キロは出ていたと考えるべきだと思う。

私達の世代が、月給で10万円を得れたのは25歳過ぎになった頃であり、昭和40年代の後半だ。
その頃には、身の回りの道具も格段と良くなっていたのだから、野球用品も同じだと思う。
金田さんは、その過程を生きた方だったのだ。

私達の20歳寸前に圧縮バットが出来て、その圧縮バットで打つと、打球が軟球でもかなり飛距離が伸びた。
私の草野球での体験ではあるが、基本的な造りの観客席のある球場では、右打者だった私は、年間10試合で、飛ばない軟球では左中間にギリギリ入るホームラン2本がやっとだったのが、圧縮バットではバッグスクリーンに届いて驚いた記憶がある。
飛ばないという事は、それだけ速度も出ないという事であり、王さんがホームランを量産した時代は、圧縮バットと硬球の質が劇的に良くなった頃だと思う。
金田さんの記録の前半分の時代は、そんな飛距離の出ない時代だったのは確かで、それはバットだけではなく硬球じたいも速度が出ない時代だったのだ。
昭和28年だったか、怪童と言われた西鉄の中西さんが36本のホームランを打った。
が、それはパリーグの2チームの年間本塁打数より多かったという時代なのだ。
私達の前の世代だから、当然ながら身長などは低いけど、家の手伝いやら前記した遊びやらで、私達よりもっと体幹や地肩や体力はある世代で、持久力も半端ない。
そんな世代の天才達は、私達の想像の先に居る。
そう考えるのが正しいと私は思う。
中西太さんのホームラン数がチーム年間ホームラン数より多いという事実。
さすがに昭和30年代にはそんな事は無くなったが、そんな時代の球速は、同じ人なら現在よりかなり遅いと考えるべきだと思う。

更に言うと、私の20歳の頃にバッティングセンターが出来て、その頃の体験になるが、130キロなら楽に打てるけど140キロになると中々芯に当たらなくなった。
私は、草野球リーグのランキングで、上から二番目のクラスではホームランバッターで強打者として通っていたし、飛距離もかなりあったから本格的球場でも軟球でホームランが打てた。
春と秋のシーズンが終わると入れ換えがあり、都合2シーズンでホームランは1本だったけど、下のクラスではシーズンで5本は打っていた。(本格的球場以外を含む数字です。準決勝や決勝は本格的球場が使えたのです。)
上のクラスは軟球でも130キロ台の投手がいて、変化球も良い球を投げる。
それでも大学や都市対抗野球の選手上がりには打たれていたのだから、プロではやはり150キロ近くの球速が無いと速球主体では抑えられないと思う。
バッティングセンターでは楽に芯に当たる130キロの速球でも、草野球といえども試合になると打てない。
軟球で120キロの私が、下のクラスではそこそこの速球派だと書いたのも、そんな体験があるからで、レベルの違いは試合になるとはっきりとわかる。
草野球の頂上が軟式で130キロなのだから、それよりレベルが上の大学ならもっと速くなり、その上のプロならもっと速くて当然。
それを当時の速球派の代表である金田さんが、140キロ未満とは、プロをバカにするにも程がある。
金田さんの逝去の記事に対するコメントの中に、結構球速に関するコメントがあり、その中には精々140キロだというコメントも目につき、それに反論する気持ちでこれを書いています。

先に書いたように、私達の子供時代は地肩や体幹は現在の子供達より上であり、世代人口も倍近く居る。
それこそ僅かでも、野球をかじった人口は男子のほとんどだと言える。
広島の山本浩二や衣笠に星野仙一や田渕も同世代であり、我々世代の才能の代表達が打てなかった金田さんは、やはり凄い速球派だったと私は信じている。
稲尾さんに杉浦さん、米田さんに小山さん、村山さんに梶本さん、鈴木啓司や江夏や堀内もやはり凄く速かった。

昔の人気の無いパリーグで、人集めの為に行われた試合前のアトラクションでの事だったが、先着数十人が打てるという企画で、江戸っ子エースと言われた土橋さんと私は、バッターボックスで対戦?する機会があった。
軽く投げた速球が、揺れぎみにシューっと音をたてて来て本当に驚いた。
勿論当てるのがやっと。
滅茶苦茶手が痺れたが嬉しい体験だった。
その体験を含めて、当時の速球派の投手が150キロ以下の球速などとは絶対に信じられない。
証拠が無いから150キロと書いているが、私の中では金田さんや江夏は160キロ超えのピッチャーなのです。
勿論、名前を上げた投手は当然150キロ超級。
その中でも400勝の金田さんは、稲尾さんと共に別格中の別格でした。
国鉄時代の金田さんは、巨人時代の晩年に比べても躍動感がかなり違いました。
晩年のゆったりしたフォームしか知らない人が、140キロは出ていないとか言っているのだと思いますが、いつの時代でもプロは別格であり、練習方法や用具が進歩したとしても、人間の能力はそんなに進歩はしていません。

陸上の短距離の日本記録を考えたら判ります。
今のようなトラックが整備され、スパイクも良くなる前の記録でも、現在でも優に全日本の準決勝クラスなのです。
投てき種目でも同じ。
昔の人の能力を余りにも軽視する傾向には反論したくなります。

もちろん昔は凄かったと言う積もりはありません。
しかし、金田さんや稲尾さんや米田さんらは、やはり現在でも一流の投手だと言いたいのです。
超一流だった人達は、半世紀が過ぎても十分一流として通用する。
それを認識して欲しい。
そしてその認識から十分に敬意を払って欲しい。
そんな気持ちで書いてみました。

金田さん、貴方は偉大な投手でした。
私は今でもカネヤンが大好きです。
国籍の話もコメントの中にありましたが、貴方は私の中では立派な日本人です。
国籍など関係ありません。
貴方は日本球界の偉大な星でした。

合掌。

金田さんの逝去に便乗して、忘れられていそうな名投手の名前を上げてみます。
カネヤンなら喜んでくれると思います。

別所さんにスタルヒンさんは晩年でした。
魔球の杉下さんに権藤・権藤雨権藤の権藤さん。
サブマリンなら秋山さんに足立さんに山田久志。
弱いチームのエースだった長谷川良平さん。
短い期間だけど凄かったのが尾崎に山口。
惜しかったのが黒い霧事件の池永。

金田さんに関するコメントはほとんどありませんが、カネヤンなら笑ってくれるでしょう。


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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月09日 08:50
    1962年生まれの僕が小学生の頃、「三角ベース」はありました。軟式テニスボールで、バットはなくてグーにした手の手首あたりでテニスボールを打っていました。しかし、5〜6年生ではドッジボールに熱中して三角ベースは消えて行った記憶があります。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月09日 08:53
    カネヤンの記録を更新する人がいない事に驚いています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月09日 10:06
    いい投稿をありがとうございます。
    私は1941年生まれで、だいたい同じような体験、そして同じスポーツ感です。
    とくに、私は、田舎育ちでしたので、道具もなく、野球は高級スポーツで、するものは、相撲、野球はみるもの、でした。
    カネやんのご冥福をお祈りします。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月09日 12:45
    母がまるで知っている人のように「かねやん」と呼びます。
    王さんや長嶋さんは「さん」をつけるのに、なぜでしょう。
    豪快な方だけど、やさしさを感じていたんでしょうね。私も優しい人だと思いました。
    (もちろんテレビを通して感じたイメージです)

    亡くなってから知るエピソードに感動しています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月09日 17:38
    > mixiユーザー 
    体幹の強さや地肩の強さの違いに加えて、自己管理力の違いがあると思います。
    体験から少なくともベターと思われる練習方法を確立して、それをとことんまで実行しましたからね。
    その、とことんまで実行の部分の積み重ねが違うのだと思います。
    同じ努力をする選手が現れたとして、現在の環境では地肩の強さが足りないと私には思われます。
    体幹の強さも、科学的トレーニングでどこまで迫れるのか?
    そう考えるとほとんど不滅の記録でしょうね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月09日 17:44
    > mixiユーザー 
    私より上の世代ですと、それは納得します。
    多分人数の問題もあったと思います。
    同じような感覚を共有でき、有難いコメントを頂き感謝致します。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月09日 18:00
    > mixiユーザー 
    カネヤンという人は、自分を追い込んで追い込んで頂上に君臨した人ですからね。
    上の世代にはスタルヒンさんや別所さんや藤本さんがいて、下には稲尾さんや米田さんや杉浦さんがいました。
    そしてカネヤンには日本シリーズは縁が無かった時期が全盛期でしたから、沢山の葛藤があったと思います。
    その葛藤の中で、カネヤンというキャラクターが生まれて、優しさも湧いて来たのだと思います。
    長嶋さんや王さんは、常勝巨人の主力で神に近い存在として君臨していましたから、その違いが呼び方の違いだと思います。
    稲尾さんや杉浦さんもさん。
    カネヤンは神ではなくて人間なんですよ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月13日 14:49
    素晴らしい日記を読ませていただきました。

    おもいやりとユーモアに溢れ、真っ直ぐで純粋すぎた男カネやん。
    人間カネやんが大好きです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月16日 10:55
    > mixiユーザー 
    コメントありがとうございます。

    カネヤンという人は、他人に優しく自分には厳しい人だったんだと思います。
    それて、絶対的な自信があったから、敢えて道化役も出来たんでしょうね。
    私も仕事には自信がありますが、カネヤンの真似は出来ません。
    それは自信の絶対量の違いかも知れませんし、世間的な知名度の違いや実績の違いだと思うのです。
    自信の上に道化役も出来たという事は、心のゆとりという面での差でもあります。
    残念?ながら、我々とは持って生まれた器量の大きさの違いなのでしょうね。
    その大きな器量が親しみを呼んだんだと思います。
    改めてコメントに感謝!

mixiユーザー

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