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2022年06月23日11:12

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みろくの夜明け前-24 全ての辞書が意味を間違えた【地獄の沙汰も金次第】

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=760

 イエスの有名な教えに【富んでいる者(金持ち)が神の国に入るよりは、駱駝が針の穴を通る方が、もっとやさしい。】があります。誰が考えても駱駝が針の穴を通るなどはありえません。それはある意味、イエスは金持ちは天国界に絶対に行けないと断言しているような言葉です。

 そうした教えをキリスト教の牧師から聞かされた西洋のある文豪は、大金を持っていては天国には行けないと全財産を教会に寄進して無一文となって最後は野垂れ死にをしたと言われています。


 金持ちは絶対に天国界に行けないのかと言いますと、確かに金持ちが天国界に渡るのは難しい話です。それは金持ちになると、下の者を人とも思わない不遜な態度をするからです。天国界にはそんな不遜な人は存在しないからです。それは金持ちだけで無く、権力を嵩に着てパワハラをする人も同じです。そうした性格の人は死後は地獄界にと向かいます。人は死ねば天国など、誰がそんな大嘘を広めた?。のかです。一部の宗教でしょう。


死後に天国は、この世で世の為に人の為に尽くした人


 人は自分が犯した罪の行為を反省するのでは無く、地獄に墜ちたくないから【地獄の門番たる邏卒の鬼達に、節分の煎り豆で鬼は外】と打ち付けているのではないのですか?。そうしたことの反省に立った人が今の世にどれほど居るでしょうか?。大本教から【節分の煎り豆にも花が咲く】と宣伝されても、それでハットー気づけた人がどれほど居るかとなった時、居ないなのです。


 人の魂は【輪廻転生】をしており、時には【王】の地位に就く人生もあれば、その多くは【貧しき者】として世に出ることが多いとなります。そこに自分は【偉い者】だはありません。たまたま恵まれた夢の様な人生もあったなのです。


人は魂の学びの為には、王の時もあれば貧乏人もある


 いくら金持ちは天国界は難しいとしても、例外はいくらでもあります。その財を多くの貧しい人達の為に使った(分け与えた)ような金持ちは、イエスの教えに関わらず天国界に行くことも出来ます。逆にそうした財を使って多くの人を助けるは貧乏人には出来ませんが、金持なれば出来ます。そこにあるのは多数の人を救う財力は富める者の方が強いなのです。問題はそうした財を貧しい人達の為に吐き出せるか吐き出せないかです。そうした道理を知るならば、イエスの教えは極端論が目立ち過ぎるがあります。

 イエスの教えとして、【私の名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受け継ぐであろうと言っています】。この私の為の部分は神と置き換えている書もありますが、置き換えるべき場所です。ここをイエスの名を置くことによって、イエスに対しておまえさんは本当に主の一人御子かとなるのです。

 神の為に家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の命を受け継ぐに止めるべきことだったのです。イエスはなまじ私の名などとしたことが大失態だったのです。イエスは自分を見て創造神たる父なる神を見よ!。と言うほどの絶対的自信家だったと言えます。イエスをいくら見ても、創造神のことなど解りません。


人の身で、神の世界の為に尽くす行為をした者も天国界


 それらはイエス云々ではないのです。それはイエスが全霊界においてどのような立場であったかを知る必要があります。識界レベルとして創造神を第十識界とするならばお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界とする説がありますが、イエスはお釈迦様のレベルには達しておらず。イエスの教えを絶対と思い込むのは危ないなのです。

 一部の霊能力者からは第一天国界にはキリスト教徒は入れていないとする説がありますが、イエス一人を主と仰いでいれば第一天国界は無理だとなります。


 霊的世界を知るならば、世に神と呼ばれる存在は一柱では非ず。多数の神と呼ばれる存在があると解ります。しかも神々の世界とは全ての神々が善神には非ず。悪神とか邪神と呼ばれている神々の方が数は多いのです。私達日本人は大多数が仏教徒であり、仏教では死後に私達の魂を裁く【閻魔大王】と呼ばれる存在を耳にしますが、その冥府の長官はキリスト教では【サタン】扱いにしており、世界の宗教の教えは宗派によって違っているなのです。

 スピリチュアル標榜者の場合、その多くの人は過去世で西洋キリスト教社会に生きた意識が根強くあります。為にその意識からイエスが主の絶対式から抜け切れていないがあります。・


 優れた霊能者であれば、人はそれが正神か邪神かを判断する能力が無い。為にそれが邪神であろうとも、正神だと思って信仰していれば、その神の為に自分を犠牲にして来た者はその姿勢(至誠)だけは天に通じる。それが正しい答えなのです。

 私などはイエスの様に自分を信じれば天国に連れて行く等のそんな恐ろしい言葉など発言出来ません。自分は実に至らない者で欠点だらけの者であり、自分と創造神を同一線上に置くなど絶対に出来ません。為に私は常に自分は【いと小さき者】としているのです。イエスは何の欠点も持たない人だったのでしょうか?。私なら疑問を持ちます。


 私は霊能力者から貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと告げられることがままありますが、本守護神とは肉体の私と比較対象が出来るような存在ではありません。それは私は本守護神と呼ばれる存在の魂と正守護神と呼ばれる存在の魂。そして肉体に宿る魂の大きさはまるで違うことを理解しているからです。そこには【月とスッポン】以上の差異があります。スピリチュアルのハイヤーセルフなどは、魂の大きさをまったく見ていないとなります。次元界が違うと魂の大きさがまるで違っているのです。

 優れた霊能者がイエスを見た時、高次元界の魂であることは認めますが、そんな創造神の一人御子だと言うような立場の存在では無いと言います。イスラム教の開祖であったムハンマドがイエスは尊敬されるべき大預言者と言った様に、主の一人御子ではなくて大預言者なのです。イエスが見せたような奇跡は他の霊能者でも見せるはあります。インドのサイババも然りです。


人は常に主(創造神)の僕(しもべ)でしかない


 キリスト教においては、イエスの教えを信じる者はイエスが再来した時、未来の世で永遠の命を、その差し出した富の幾倍もの富を受けるという教えです。しかしイエスがこの世を去って二千年も経過しているにも関わらず、未だ【神の千年王国】だと言っているわけです。私から言わせればいい加減に目を覚ましたらどうなのですかなのです。

 しかもその後にある、【幸いなるかな貧乏人】という言葉は解釈によっては惑う内容があります。それは心貧しき者とする書もあるからです。どうして心貧しい者達が幸いなのか?。弟子達によって言葉の意味の解釈が合致しないのです。牧師の解説を聞いていると、実にいいように勝手な解釈しているがあります。実際に霊的世界を見聞しないで、書かれた書物だけに頼ってしまうとそうした危険性が高くなるのです。


 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【新約聖書は我が書には非ず。人の子達が為した書である。】と告げられましたが、新約聖書では【真理】に到達するのは不可能があります。

 大本教の出口王仁三郎聖師は、【地獄界を覗けば、牧師や僧侶で一杯だ!。】と残しておられますが、多くの宗教家が天国どころか地獄界に落ちているのは、地獄界を見聞してくれば事実と受け止めざるえないがあります。それは別にイエス一人だけが主の御子ではなく、そうした【人たる存在】を絶対的な神たる存在と信じた宗教家は天国界は難しいとなります。


 お釈迦様は菩提樹の下で【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】と覚られた後、仏教と呼ばれる教えを開かれたのですが、そこには後生の者に【慈悲の言葉】置き換えられていたがあります。お釈迦様の教えは原始仏教(小乗仏教)として大乗仏教の前に消え去り。お釈迦様の悟りが正しく続いていた期間は【正法】と呼ばれる僅か五〇〇年間程度であり。大本教から五十六億七千万の【みろく大神】が世に出されるまで、誰も考えもしなかったことなのです。

 キリスト教自体は、イエスを通じないと創造神には出会えないと言う教えに固執しているがあります。イエスを創造神と同一線上に置くなど、創造神とは実に小さな存在と人々に思わせてしまい。創造神を愚弄することにもなります。


 そもそもキリスト教の教学では、人の魂の【輪廻転生】を司っている冥府(閻魔庁)の長官をサンタ(悪魔)扱いにしているがあります。そこにイエス一人を主の御子と信じれば人類の【原罪】が赦されるなどの誤った教義がはびこったと言えます。イエスを主の一人御子と信じたら神の御国の教えに、輪廻転生を司る冥府などあってはならない存在となります。冥府の長官をサタン(悪魔)扱いにするはイエスの教義の整合性から言えば解りますが、それではお釈迦様の悟りで在った【人には良心と呼ばれる神が内在している。】などは出て来ません。

 私は人に魂の点数が出るを見て来て、この点数は何だろうと霊能力者の方達にも聞いて来て、人の魂に出るのは【良心神の点数】であると解って来ました。それを論理として説くことが出来るのが大本教神諭の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】となります。そこにはイエスを主の一人御子だと信じる要素など、どこにも無いだったなのです。

 また【キリスト】とは真理そのもののことであり、人たる肉体を持った存在を指した意味では無いなのです。


 大本教から、【妙霊、黒住、金光、天理の先走り】が出されました。その天理教の中山開祖に対して【貧に落ち切れ】の神の教えは【家や田畑を売り払いたまえ教】とも揶揄もされ来ましたが、そこにある意味は信徒に家や田畑を売り払うことが神の思し召しの意味とは違うのです。


貧は自己の財(貝)を分け与えることで我欲から離れる


自分の財(貝)を分け与えた貧は、幸いなる者なのです


 イエスが説いた【幸いなるかの貧乏人】は、そうした説明がなされていないと何を説いたのか意味不明なのです。


 宗教教祖が【我欲】に走っているでは、そんな宗教は宗教とは言えないのです。況んや金の金の亡者の教祖など、信徒を案内するのは地獄界なのです。


 私は豊受姫の命令で神界の御用の為に今の地に家を建てました。当時の私にはそれだけの財も無く、私の母がコツコツ貯めた財も必要でした。渋る母親に豊受姫は【金はあの世には持っては行けない。この世で使え。】と告げられて、親子の全財産を吐き出してこの地に家を建てました。母が老後の為に残した財は無くなりましたが、一度、神界の為に自己の財を使い切るは自己のカルマの解消の道に繋がるがあるのです。


自分の財を吐き出せば、自分の過去世のカルマが消える


 大天使カブリエルと称して出て来る霊達によって創られたキリスト教やイスラム教には、魂論の説明がありませんから【輪廻転生】の教えそのものがありません。為に正負の原則から起きる【縁起(演技)】に【カルマ】が関わっていることがまったく説かれていません。為に【贖罪】によって【カルマの解消】が出来ることが理解されていません。

 その財の吐き出しの意味を間違えると、某大宗教団体の様に幹部が信徒に向かって教団に大金を寄進しろ。教団に大金を寄進しないと地獄に落ちるぞと信者を脅かして行くことになります。それは神界の為ではなくて、その教団の為でしょう。またその教団の教祖や幹部の自己顕示欲の為の寄進と言えます。またその教祖の贅沢です。その宗教団体に所属して大金を寄進しても、天国界行きの切符など得られません。教祖が地獄界に墜ちるのに、その信徒は天国界は難しいのです。

 私はその大教団を見た時、いったいこの大教団は何の為にあるのか?。未だにその教団の意味も価値も目的も解らないがあります。無論その教団の信徒が天国界に行くなどは、針の穴に駱駝を通すようなものではあるのです。


 日本の格言とか諺(ことわざ)に、【地獄の沙汰も金次第】があります。これはどの辞書を調べても、地獄に墜ちて受ける閻魔大王の裁き(沙汰)も金次第でどうにでもなる。為にこの世は全て金次第でどうでもなる世の意味となっています。しかしどの辞書もその言葉の内容がどこから来たか、その【原典】となる事柄を書いた書が見つからないでしょう。

 私はある人から【地獄の沙汰も金次第でどうにでもなると言われている。閻魔大王とは賄賂でどのように転ぶ存在なのだ。金を貯めなければ。】と言われて、思わず吹きだしたことがあります。


世に閻魔大王は、金でどうにでも転ぶと思われている


 私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声から数々の教えを受けたことから、本当にそれは旧約聖書の神だろうかの疑いから多くの霊能者の霊査を受けて来ました。そうした霊能者の全員が全員ではありませんが、そうした中で7〜8名の霊能者の方から貴方の本守護神は国常立尊様ですよと告げられては来ました。が、私自身が霊的に見たのは【閻魔大王】と呼ばれている姿だけです。

 仏教における閻魔大王とは冥府の長官ですが、キリスト教の教義からすると冥府の長官はサタン(悪魔)とします。大本教の神典などを見ると【国常立尊=閻魔大王】ともなっていますので、仏教で説かれる閻魔大王と大本教から出された【牛虎金神】のイメージは、そんなに大きくかけ離れてはいないと思われます。私自身は自分は【閻魔大王】様の配下で結構ですと言います。私はスピリチュアルで語る蝶々的な羽根を付けた天使などではありません。逆にその天使と称する者達の羽根とやらを、もぎ取ってあげようかなのです。

 私から見ていると、自称救世主でもスピリチュアルでもこの人はその信徒諸共地獄界に向かう人だと見えて来るがありまして、何が自分は信徒を天国界に案内するなどと法螺を吹いているのかとなります。それは私その者が【閻魔庁】に関係して来ることから地獄に墜ちる者達は見えて来るなのです。


 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【私の書は旧約聖書なれども、旧約聖書は暗号書であり。私の教えは日本昔話や民話に入れてある。】と聞かされました。その日本昔話の中に【地獄の沙汰も金次第】があるのです。その昔話を読むと、表面的には地獄の沙汰が金で変わったのですが、その内容が意味することはまったく人々が思っている事柄とは違っているのです。


 その日本昔話の骨子は、ある山寺の和尚の元に麓の長者が亡くなられたので葬儀をして欲しいと依頼が来ました。そこで和尚がその長者が死後にどのような世界に行くのかと見ると地獄界です。それはその長者が多くの小作人達を長年虐げて貯めた財宝を所持していたからです。

 それが見えた和尚は、小僧に文を渡してその長者屋敷に走らせました。その文の内容は、このままでは長者の霊は地獄界に墜ちる。為にその長者が持つ米や財宝を小作人達に葬儀前に分け与えなさいという内容です。葬儀前に分与するのが重要なのです。

 その和尚が葬儀場に到着すると、既にその長者が持っていた米や財宝は全て小作人達に分配されており、葬儀を終えた和尚がその長者の霊がどこに行くのかと見ると地獄行きは免れていたという話です。すなわち【本来は地獄行きの沙汰が地獄界に墜ちる手前で、その財宝を貧しい者達に分け与えたことで変わった。】の話です。それが地獄行きの沙汰が金で変わったの意味です。


自己の財を貧なる者達に分けると地獄行きが免れる


 確かに表面的には地獄行きの沙汰が財を払ったことで、地獄界に落ちずには済んだの話ですが、閻魔大王が金で地獄行きの沙汰を変えたという話ではないのです。ところがその意味を取り違えると、閻魔大王とて金で転ぶ的な意味と間違えて、先に書いた某大宗教の様に教団に大金を寄進しろ。寄進しないと地獄に落ちるぞと信徒達を脅迫恐喝するになるのです。


宗教団体に寄進で無く、福祉等に寄付でカルマの解消


 前回のブログ記事の題名は【損して徳を得なさい】ですが、社会福祉等に寄付するのは【損】をする行為だと言われる方達がありますが、実は社会福祉に寄付するは人が過去から積んだ【カルマの解消】に繋がっているがあるのです。ただそれは人には前世があり。その前世の行為の罪滅ぼしの側面なのです。


 私は霊能者から貴方は閻魔庁所属の判官の一人でもあると指摘されることがありますが、例え数億円数百億円と大金を積まれても、それで罪を軽くする様な判決はしません。まして天国界の切符も金では渡せません。また自分を神として拝んでくれたら天国に行かせます等もいたしません。天国界に行くのが相応しい人だけに、天国界行きの切符は渡せるなのです。逆に閻魔庁の判官を買収しようとしたならば、賄賂を贈ろうとした罪を加算して差し上げます。さらに下の地獄界に落とすです。

 それどころか、別に私が一々そうした判決を下す必要そのものが無いのです。何故ならば各自の魂には良心神の点数が出ますので、その点数に応じた世界に進んでいただければよいだけの話なのです。スピリチュアルの神は愛だから神の愛で何をしても赦されるなどは絶対に無いなのです。スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!、で地獄界に行く。魔女界に墜ちて行くなのです。


 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【そなたはナザレのイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えよ。】と告げられました。確かに霊界見聞をして来ると、ナザレのイエスの愛の教えは【弊害】を起こしているなのです。そこには各自一人一人が【神の子】であるが出て来ないのです。


 私が霊界の閻魔庁に居た時は、地獄界に墜ちて来た霊達の言い訳を聞いていたなのです。地獄に墜ちるには墜ちるだけの理由があり。その言い訳の理由がもっともであれば、その罪を減じる処置をしていたなのです。


人が犯す罪には、やむ得ない理由がある場合もある


何事も【真実】を知らないと、正しい判断が出来ない


 そうしたやむ得ない罪の理由には、その人の良心神だけでは解らない面があるからです。為にやむ得ない理由を聞いて判断する場合が起きて来るなのです。


為に閻魔庁の判官は、この世で人の苦や情などを学ぶ


 この世で自らが【人の苦や情】を体験しないと、何も解っていない者となります。この世が魂の修学場と言われているのはそうした為でもあるのです。私はスピリチュアルが言うエンジェルなど、【泥水を啜った体験を持たない赤子だ。】と批判するのもその為です。


サンスクリット語における【南無妙法蓮華経】とは


私は泥水の中でも純白の花を咲かせる仏に帰依します


 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する霊の声を聞いていました。その声は、【私はそなたが本当は何者か?、神々にも解らないようにしておく。もしそなたが本当は何者かを明らかにしておくと、新しい世で自分の栄達を望む者達がそなたに近寄ってそなたを利用しようとする。為にそなたには何の神力も与えない。】でした。


 この世の私がしているのは、蛇霊などに向かって改心しなさい。改心しなさいと説きまくっているなのです。
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