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2022年05月12日13:04

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みろくの夜明け前-18 現世御利益で神の存在を知るのか?。人は自分の本質が神の分魂と知るのか?。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=754

 私は小学生の頃は旧約聖書の神と称する霊声を聞いていましたが、その事を自分の親にも言いませんでした。自分の親に自分に神様の声が聞こえると言っても、自分の親ですら信じてくれないであろうと思っていました。なまじ神様の声が聞こえる等と言って、親を心配させてはいけない。そうした思いです。

 私の小学生の頃に旧約聖書の神と称する声が自分に臨んで来ることを特に不思議とは思ったこともありませんでした。幼稚園児の時、参観で訪れた地元のキリスト教会で十字架に磔にされていたイエス像を見て、【イエスよ。私が必ず貴方をそうした十字架の磔から解放してあげる。】と、そうしたことを心の中で叫んでいたからです。


十字架に磔のイエス像を拝んでいる人々は間違えている


 その人類が間違えているという感覚はどこから来たのかは解りませんでしたが、幼稚園児でありながらイエスを救うというのは難しい問題だと認識していたなのです。多くの霊がイエスを救世主だと信じてその足にしがみついている。それ自体がイエスに対する【足枷】となっているなのです。

 私は小学生の頃に臨んできた旧約聖書の神と称する声から、【他人が犯した罪の償いを引き受けるには自分の徳分の中からであり、自分が持つ徳分を越えてまで他の人の罪を償えない。自分の徳分を越えた時は自分が地獄に墜ちる。】と告げられました。そこには【カルマ】の基本原則は簡単には変えられないがあったのです。

 人が今生や過去世で犯した罪は個々の魂の【借金】であり、他人の借金まで自分に払う余力があるのかです。数名の人の借金ならば払えるでしょうが、それが何万何十万人ともなり。やがて世界的宗教となって何億人とか何十億人ともなれば、その信徒の罪など開祖に支払えるかとなったならば、もう支払えないのです。


徳分という大金を持たないと、他人の借金分を払えない


 スピリチュアルでイエス霊に鎖の足枷を見た人は、それはイエスは自分達の為に【犠牲】になっておられるのだ。そうした取り方をしてしまいます。そうした姿を見て、それを【ありがた屋、ありがた屋】と拝んでいるのではなくて、私ならばその足枷をどうかして外して上げようと考えます。それにはキリスト教は終わらせなくてはならなくなります。

 私は弥勒の世にはキリスト教は存在して来ない。その映像を見ていて、何故にキリスト教には弥勒世たる未来が存在して来ないのか?。そこには他人の罪を安易に被っては行けない基本原則があるなのです。


他人の犠牲で自分の幸せを得るは、悪魔と変わらない


 私はスピリチュアル標榜者の大多数は【自分の尻を汚せば、自分で拭け。】の基本原則が何も解っていないと言います。自分が犯した罪を自分で償うともせずに、その罪の代償を誰かに償って貰おうと考える。根本的に思想が間違っているのではないかです。そうした内容は【カルマ】として説かれているにも関わらず、スピリチュアルでは【カルマ】そのものを見ていないがあるのです。カルマの存在を無視しすぎなのです。

 スピリチュアル標榜者にお釈迦様の悟りである【人に内在する良心神】を説いても、絶対に理解しないで【神は愛だ!】の連呼しかしません。如何なる罪も神の愛で赦されるで、実際に魂を腐らせている存在や破砕されている魂の存在を見ようとしないがあります。


自分の罪の祓いを誰かにさせるは【良心】が無い行為


 私が小学生の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んで来ましたが、それ以前から、私は自分は天から特別の密命を帯びて今回地上界に降りたが、私が神界では如何なる身分の者かは秘密裏にされており、日本の神社に鎮まっている段階の神々では本当の私が誰かは解らないだろうと思っていました。

 私に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたが本当は何者か世に出ておられる神々には解らないようにしておく。そうであってもそなたが誰か解らぬような神ならば使い物にはならぬ段階の神で有る。肉体のそなたはバカを演じていればいい。神界の御用で働くのは肉体のそなたには非ず。そなたの魂の方である。されどそなたの背後にはこの私が居る。それが解らぬ様な神は相手にすべき神達では無い。】そうしたことを告げられたなのです。


 私は初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫はその御代で在った私の最初の師匠の口を借りて、私のことを【貴方は言葉の神と呼ばれる貴い御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物で、貴方の言葉の教えを聞けないという神々は如何なる神であっても全て天帝により罰せられることになります。】と言われます。


私はその時、初めて【言葉の神】と言う言葉に触れた


 私はその豊受姫の言葉に触れて【言葉の神】とは何ぞやとなりましたが、西洋に残されていたある予言を思い出したのです。それは【言葉の神】を指した内容そのものでは無いのですが、【ユダヤ人では無い異国の人が異国の言葉で万軍の主を語る。その人はその国では「言葉の君」と呼ばれているが自分は万軍の主のことは知らないと言う。が、万軍の主は言葉の君のことを知っていて全ての裁きを終えた後、万軍の主はその言葉の君を召し出して万軍の主の権限を言葉の君に与える。その日をもってユダヤ人は救われる。】というものです。

 この予言がどこにあったのかは記憶していませんが、その内容だとそれは【ユダヤ人の救い主】を意味します。ユダヤ教徒は今日もナザレのイエスを救世主とは認めません。その理由は日本人で在る私にはよく解らないのですが、イエスはユダヤ教の神を悪魔と言っており、ユダヤ教徒の立場からするとイエスを旧約聖書の主の一人御子として認めることは出来ないとなります。

 私が言霊修業に転じた後、私の元に立派な羊の姿をした霊達がやって来ました。彼等は古代のユダヤ民族の族長達だったと言います。霊界から連合して私の元を訪ねて来たと言います。彼等はイエスが出て来た時、イエスはユダヤ民族の救い主かと思ったが違っていた。霊界からこの世を見張っていると、イエスと同じ様な光を持つ存在は幾人か出て来られたがどなたも救世主ではありませんでした。貴方が放っておられる光はこれまで見たことがない光で、もしかしてこの方が旧約聖書に予言された方かと思って貴方を訪ねて来たと言います。


敬虔なユダヤ教徒達は何故に羊の姿をしているのか?


私はその【異国の言葉】が日本語で成り立つかを試みた


 私の神霊界修業は豊受姫の庇護の元、伏見稲荷山で始まりました。伏見稲荷大社は全国の稲荷神社の総本社であり、日本の皇室神道とは別にはなりますが、京都の東寺でも解る様に稲荷と弘法大師は深い関わりがあります。

 西洋の一神教の世界からすると【狐の神】たる稲荷とは何ぞやとなりますが、逆に本当の神霊世界を学ぶになったのです。はっきり言えば一神教の世界では【神】が解らなくなるのです。一神教の世界だと神は一柱で語られることから、多様に展開する霊界論議がなされなくなります。次元界の存在の論理も失い、ただだだイエスを神とし拝む悪循環の世界に入ったなのです。


 日本の神社ではなく、大きなお寺に行きますと祠に【稲荷】神が祭られていたりします。仏教で日本神道系の稲荷神?。そこには稲荷神は仏教で説かれる【閻魔庁】に関わっているがあったなのです。豊受姫の御代であった最初の師匠は、仏教だからと言って閻魔庁に干渉など出来ない。だが稲荷神界は閻魔庁に申し入れが出来るです。為に寺院でも稲荷神を祭った方が霊の救いの為に良いと言います。

 大本教が世に出た後、閻魔大王は【ウシトラ金神・国常立尊】様の異相であるとは言われるようになりましたが、稲荷神界は稲荷大神秘文に【それ神は唯一にして、御形無し。虚にして霊あり。天地開闢以来、国常立尊と拝し祭れば】とあるように、神は唯一で国常立尊とお呼びしますとなっています。これが大本教から出された【世の大立替に白狐(稲荷)は下郎の役で奉仕する】になっていたなのです。

 その国常立尊様は仏教において【閻魔大王】として活動されていた。


大本教からの【節分の煎り豆にも花が咲く】は何を語る


西洋の一神教では、逆に唯一神たる存在が見えなくなる


輪廻転生を組み立てた閻魔大王とは、本当は何者か?


 世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、神界には天使長ミカエルなどは存在しないと言われていますが、スピリチュアルだと何事も天使長ミカエルさん今日はとか、大天使カブリエル等ばかり言っています。私から言わせるとそれらは実に【胡散臭(うんくさ)い】連中ばかりと言えます。

 私のあやふやな記憶からすると超太古の昔、天使は【羽根】を持っては成らないの天界の規則があり、それに違反している連中だからです。それでは彼等は正しい霊とは言えないなのです。

 私がスピリチュアル標榜者が説く天使と称する霊の存在を天使として認めないのは、彼等は霊界の【壁】を越える能力が無いからです。為に【次元界】を語って来ないなのです。

 私が伏見稲荷山の修業の中で見て来た神々とは、伊勢神宮の天照皇大神と言われている男神(女神たる存在もあるが、カモフラージュ的存在)。出雲大社の大国主命(別名大黒天・権太夫大神)様。伊弉諾尊・伊弉冉尊。仏教界の如来とか菩薩とか明王等多岐に渡ります。


 私はスピリチュアル標榜では無い行者とか神仏に仕える御代たる霊能者の方達が言われる神仏に関しては、どなたも本当にその姿は見ておられるとは言います。しかしスピリチュアルと称する人達が見ている存在には本物の神仏は少なく。蛇霊や狐霊の低級霊。それに個人の妄想が深く関わっているです。

 私は豊受姫から【ヘミシンク】の世界に入ると脳の組織が破壊されて【幻影】の世界を見るようになり。悪くすると【廃人】になると警告を受けました。脳が見せる幻影とは、実際の霊界の映像では無いのです。それは麻薬とか覚醒剤を多用することによって見る幻影の世界と同じ事です。

 霊的に見た世界とは俗に言われるアカシックレコード(電磁的記録場)と関係しており、優秀な霊能者ならばその霊的映像をビデオ再生の様にして見ることが出来るからです。 自分に天使長ミカエルとか大天使ガブリエル等と言っている間は非常に低い霊界に関わっているとなります。


 一般的にスピリチュアルの言葉に走っている人達の前世は古代のシャーマンや魔女等と呼ばれたりで精霊世界との関わりが深く、創造神を見たのでは無く、低い霊の誤った意識に左右されて来た過去世があります。そこに起きたのが人身御供等で、神の名を使って【人の命を捧げさせる】が起きています。為に今生でそのカルマを背負っているがあります。


創造神と呼ばれる様な神は、人の命など喰らわない


 その前世がシャーマンや魔女や巫女であった人達は、その時代に如何なる霊とコンタクトして来たのか?。霊界がよく見える人の前世がシャーマンや巫女で、その時に多くの人を【犠牲】の名で殺している場合、ある【病】に犯されているがあります。その病名を聞いた時、ある意味納得が出来るです。言葉の意味は恐ろしいです。

 三次元世界で肉体を持つ者は、その魂がどれほど高次元界に属していても、この世に命がある間は低次元界に所属します。その時、その意識はどうしても低次元界の意識に即応し、四次元世界とか五次元世界しか語れなくなります。


 霊的世界に関わると、自分が創造神です。救世主です。自分の前世はイエスでした。お釈迦様でした。そうした名乗りをする人達が多数おられます。統一教会の開祖であった文鮮明氏は自分の前世はイエスだと呼称しておられましたが、幸福の科学の大川氏は自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体で永遠の仏陀だと更に欲張ったことを言っておられます。だがその著本には魂は脳に在る等とトンチンカンのことを言っておられたりします。そんな人の言葉を信じる信じないは個人の自由の範疇で、神がそれを罰するではないのです。そうした名乗りを嘘だと科学的に証明することそのものが困難だからです。

 多くの霊能者は人の魂は【心臓】に宿るとしますが、人の魂は【脳】に宿るという多数の信徒を持つ宗教家がいても、それを科学として証明することは不可能に近いなのです。そこに邪神や悪魔神の横行も起きます。その宗教家が如何に多くのUFOを呼んだとしても、それをもって【正神界】ではないのです。


宇宙そのものに未だ正神と邪神の決着が付いていない


 為に悪しき宇宙人、悪しき霊人もまた多数あるからです。


要はどちらの派が勝つか?。勝てば官軍、負ければ賊軍


 為に自分が創造神ですとか救世主ですと名乗っている方を一堂に集めますと、自分以外にそうした名乗りをする人は【嘘つき】だとなって、霊剣を持って【戦い】続けなくてはならなくなってしまうのです。精神世界のブログランキングの世界では自分は光の剣で魔界を消しました等と言っている人が居られますが、消えてはいません。その時だけ本人には消えたように見えるであって、実体は消えていないなのです。何一つ変わっていないなのです。

 自分は創造神とか救世主等の名乗りをする人をそうした人だと信じて天国に案内されると思っていても、死後は地獄界に連れて行かれる。それが関の山なのです。そうした人達を見て可哀想だ!。可哀想だ!。と言っていても、自分の魂の中の良心神の存在に気付くことも無く、誰かが自分を救ってくれるという安易な中に居るなのです。


 私が豊受姫の庇護の元、稲荷神界に修業に入った時、豊受姫の御代で在った最初の師匠は、【貴方には現世御利益的なことは何一つありませんが、貴方の家族に現世御利益が降ります。】と言われます。確かに私には何一つ現世御利益的な事柄は降りませんでしたが、私の母親にこれは何と言うほど現世御利益が降りたのです。母親がくじを引くと、特等大当たり。そうしたことの連続です。

 それは私が所属していた伏見稲荷講社の講員さんの上にも、そうした現世御利益が降りていました。だが私が稲荷神界を離れて【言霊】の世界に転じると、それまで私の母親に降りていた現世御利益的な事柄は一切無くなったのです。そこまで違うかの驚きです。こうした現世御利益は入学試験や就職試験にも及びます。


その場限りの信仰でなく、継続信仰に現世御利益はある


 その最初の師匠がこの世を去る少し前、私に対して【自分は自分の信徒たる講員さん達を現世御利益で引っ張りました。そうではなくて、神とは何ぞやと教えるべきでした。】と私に対して謝られました。

 この世に生きている間だけならば、現世御利益だけで神の世界の存在を知らせることも出来ます。しかし霊界に存在する【魂の次元格】を上げるとするならば、お釈迦様が修業に入られた原点、【人は何故に死ぬのか?。人は何故に生まれて来るのか?。】。そうした基本論から【考察】しなければならないのです。


人が輪廻転生で得ようとしたのは魂世界での地位向上


魂がこの世の苦界に生きるのは御利益を得る為で無い


 私は4年間ほど伏見稲荷山で修業のお世話になり、言霊の世界に転じました。私はその言霊の世界で【言霊】とは何ぞやとなり、言霊とは何かが解った時、それまで私が持っていた神に対する概念が吹っ飛んだのです。 神は言葉成りとされていても、言霊の論議がほとんど無い。


釈尊やイエスの教えだけでは、人類に創造神は解らず


 人は【自然】を見て、種を蒔けば芽が出て葉が茂る。そして花が咲いて【実】をつける。それを見て自然で無く、そこに神の【息吹】を知るならば、自分の心にも神の心が宿る。そうしたことが解って来るなのです。


論理で万物の創造神を知るで無く、自然に創造神を見る


 人は創造神を知らずとも、生きて行くことに困ることは無い。


 が、死後の世界で【上】に上がるには、神を知る必要はある。
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