mixiユーザー(id:43480829)

2022年05月05日22:53

1686 view

みろくの夜明け前-17 【みろく】と呼ぶ言葉に仕掛けられた大仕組み?。弥勒とはいよいよ始まる改革の力?。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=753

 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が自分に臨み、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と告げられた事に対して、旧約聖書の神とは西洋の神で有り。その西洋の神がこの日本を【私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と告げられたことに違和感を持っていました。

 キリスト教などでは万物の創造神はその創造神の一人御子であるイエスを通じてしか出会えない神と説かれており、この日本では西洋と違い創造神等と呼ばれる様な神は説かれていません。この日本は八百万の神達です。


この日本は、西洋の神が説く教えが満ち溢れている?


 私は日本特有の日本神道の世界に修業に入り、日本神道と【旧約聖書の神】は異質の神では無いと解って来ました。日本神道とユダヤ人の神とは符合する事柄が多々あるからです。そうしたことは【日ユ同祖論】として語る方はありますが、それらの論は今の時代の論の観点から言われているのに過ぎず。そんな近世的な時代の話では無く。今の人類が知らない遙かなる超太古の時代を背景にしているなのです。大本教霊界物語は超古代のユダヤ人とは日本人の事だと定義したように、私達が知る歴史では解き明かせないことがあるのです。

 それはUFO等も飛び交っていた世界であり、超太古の時代と言うよりも次元界が違う世界とも言えるでしょう。本来の神の世界とは【宇宙空間も瞬時に移動の世界】であり時間の感覚が無い世界で、UFO等に乗るではないのです。UFO等を使用する段階は未だ神の段階では無く霊界人と言えるでしょう。宇宙人と言っても本来の神では無い霊人と言えます。


 聖書ではノアの箱舟で知られる【水の審判】が記載されていますが、大本教霊界物語にはノアの箱舟とは違う形で水の大審判があったと説かれています。そして世界の伝説を調べて行くと、そうした事柄が有ったのではではないかと思われる節があります。

 私は稲荷神界で4年間に渡る修行を終えた後、言霊の世界に転じました。その言霊学修行の時代に時間当たり50ミリ以上の大雨が降る夜に黒海黒龍神と呼ばれる存在の訪問を受け、その黒海黒龍神は私に対して【自分が聖書に記載される40日間の大雨を降らした。】と言います。古来より大雨と黒龍神は言われており、大雨にそうした龍の姿を見るはあります。


 科学者は聖書に書かれる大雨が事実であるとしたならば、この地球以外から雨の元となるだけの水を運ばないと不可能な記述だと言います。それが事実かどうかは調べようがありませんが、仮に大龍神と呼ばれる存在が関わっているならば異次元世界からそれだけの大量の水をこの地球に運ぶことは不可能とは言えないのです。この地球だけの視点で神を論じるのは狭すぎるのです。

 聖書のノアの箱舟に出て来る【水の大審判】たる洪水は、大本教から出された【霊界物語】以外には中国の神話にある程度です。その実証論となると、今ですら人類の目には見えない霊的な世界に存在する神とか霊魂を語ると直ぐに【オカルト】と叩かれるだけです。されど霊的世界に関わるとそうした時代も在ったのではないかとなるのです。


今の世の時代では無く、超太古に起きた神々の物語


 日本神道では今の世は【神世七代目】として、伊弉諾尊・伊弉冉尊から始まります。それ以前の神々の名は日本書紀や古事記に記載はされていますが、そんな超古代の昔の出来事は何一つ解っていません。そうしたなかで大本教から霊界物語が出され、三十五万年前に国常立尊の御引退話が出されました。それは今の人種は遺伝子レベルでは今から20万年前に現れた種で、それ以前の人種とは遺伝子が違うとされていることからしても、その時代のことはよく解らない事柄になります。

 私は霊的世界に関わり、今の世の時代の神々の世界では無く、今の世に出ておられる神達すら知ることが無い時代の存在の霊に関わるが起きました。それは三ツ目青黒憤怒相の仏との出会いです。それは今から30万年も昔の古代の大黒天として出て来ました。もしもそうしたことが事実ならば、私達は人類は実に狭い視野の中で神や霊を語っているとなります。


今の人類が知らない超古代には、三ツ目の時代があった


 古代の人種に三ツ目があったとされる額の部分は、現代の霊学では【心眼】がある場所とします。古代は左右の目と同じ様な目があったが現代はその部分が退化して頭蓋骨に塞がれてしまったが、霊的な世界を見る目が今日もある場所だとする説です。


 私は霊能力者とは言い難い者ですが、これまで幾人かの霊能力者の方達が私が住む土地を霊視して、綾部という土地は超古代には【神の聖都】があり。今の世に出ておられる神々の姿では無い。今の人類が知らない超太古の時代の神霊達が押し込められている特殊な土地である。そうした話を聞いて来ました。その超古代の神霊達は閉じ込められた怨念で怪物化しているです。それを私が日々浄化しているです。

 その押し込められた超太古の神達の姿を見た幾人かの霊能力者の方達は、その姿は異様であり、怪物的であり。その姿のあまりにもおぞましさに吐き気がするとまで言われる方達もありました。なまじ見えない方が良いと言われます。


人類が今の様な人の姿になったのは比較的近代か?


 スピリチュアルで語る神社に鎮まる御神霊とは、どの方も若い霊と解ります。どの方も日本神話に書かれていることを事実だと受け取っておられ、そんな超古代たる太古の話を何も語られないからです。何も知らないなのです。

 私は黒海黒龍神と称する霊が告げた自分が【40日間もの大雨を降らした】と、イエスは【40日間荒野をさ迷って悪魔を退けて、41日目に神の御子に成られた】と、モーゼは【紅海を渡って40年間荒野をさ迷ってカナンの地に渡る】に出て来る【40】という数字に何か秘められた意味があるのではないかとなったのです。


大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密?】


 日本神道とは日本の天皇家の為の皇室神道と思われている節がありますが、日本の皇室の御先祖様が宇宙を創造した神等とは成ってはいません。要は日本神道の世界からはお釈迦様やイエスの様な教えを説ける様な人材を輩出しなかったことから、世界的宗教にはなり損ねたなのです。日本の国以外で日本の天皇家は神様などといくら言っても、それを世界が認められることなどはあり得ないとなります。お釈迦様やイエスは高次元霊世界出身の魂の方ですが、天皇家はそうした神の魂と呼ばれる様な方達の魂ではないと言えます。神の魂では無くて、通常の人としての魂を持たれた方達です。

 大本教から【自分はナザレのイエスに何一つ劣らない。】と言われた出口王仁三郎聖師が出られ、霊能力者サイドからも出口王仁三郎聖師はイエスと比べて霊界における魂の高さは何も劣っていないと言われています。その教えの多様の中味から言うと、イエスの愛だけの教えの比では無いことが解ります。大本教から出された教えは愛一辺倒のイエスの教えとはまったく違うからです。


宇宙は神の愛の教えから成り立ったのでは無い


 愛だ!。愛だ!。はスピリチュアルバカがやっていればいいことなのです。


 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から霊界におけるイエスの地位。マホメットの地位。弘法大師さんの地位などと比較して聞かされていますので、客観的にイエスの神界での高さを見ることは出来ます。

 イエスの愛の教えは一見すると美味しいパンの教えに見えますが、その教えの中味はとても及第点とは言い難いと言えます。大本教の出口王仁三郎聖師は【西洋は副食のパンの教えであり、神の主食たる米の教えでは無い】と残しておられますが、


西洋では神の主たる教え飯屋の【米】は出せない


 それだけを言うのであれば、大本教の出口王仁三郎聖師も飯屋たる【米】の教えは出せず、寿(ス)司屋に留まったがあります。自分は救世主だと名乗っていた事柄の看板も下ろされたと言えます。大本教神愉予告【九つ花】が【米】型に成っているのはそこに【飯屋】たる存在が入っているからです。お釈迦様の教えをシャリ(舎利)として入れてあるからです。で、イエス一人を救世主だと仰ぐことは、個々の魂は自分の墓穴を彫りかねないと言えます。

 それはある意味、イエスが出た時代では霊界は次元界(神の高山ピラミッド説)であることが世に知られていなかったことが原因でもあるなのです。それはスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達の魂も低い霊は見える次元界であって、その魂が非常に低いことも解って来ます。光の剣だ!。光の剣だ!。そんな光の剣をいくら振りかざしていても、それで邪神が消えることも無いからです。


行者の世界に【天使の記章】という言葉があります


 それは自分は何々大神ですと呼称している霊の名乗りでその霊の地位の高さを判断するのではなく、どの魂も霊界における【天使の階級】を意味する【記章】を持っており、その記章でその魂の霊界での格や天使としての格の高さを判断するです。

 それは言うならば軍隊における将官とか佐官とか尉官等の将校の格。軍曹や兵長などの下士官の格。一等兵とか二等兵の兵士の格を指すような意味合いで、日本における稲荷の祠に鎮座する白狐霊だと通常は下士官級に値する様な事柄です。スピリチュアル標榜者だとどんなに高くても尉官級将校程度。そのほとんどは軍曹等の下士官級の格と言えます。

 優れた霊能者達はこの地球は宇宙のレベルで言えば【魂の刑務所とか流刑地】と言われますが、魂の成長の学びの為の修学の場と言えます。この地球上に【肉体】をもって生まれて来るというのは三次元世界に住むという話であって、自分の魂が高次元世界を知るということは自己の魂の次元界格を上げなければならないなのです。


創造神を大元帥とすると、下士官や兵の段階に見えない


 大本教から日本書紀では創造神と記載される【国常立尊】をウシトラ金神として、世の表から退かされていた神として出されましたが、出口王仁三郎聖師はそれとは別に自分は【みろく大神】だとも呼称もされました。そのみろく大神とは、当然に仏教における【弥勒菩薩】を指していることは誰でも解ります。


 仏教における【弥勒菩薩】はお釈迦様の死後【56億7千万】年間経過して、お釈迦様悟りを忘れた人々にお釈迦様の悟りを告げて未来の世に渡す【未来仏】の事とされますが、仏教においてはお釈迦様の死後五百年間か千年程度は正法が説かれるが、その後は形だけの像法が千年間ほど続き、そして末法に入ったとされています。その末法の時期は1万年間続いて今の人類の歴史は終わるです。

 仏教から言えば未だ人類が滅び絶える末法の終わりまでには多少の時間は残されていることになりますが、人類を【みろくの世】と呼ばれる永遠の命を持った嬉し嬉しの世に渡す弥勒菩薩が【五六億七千万】の型で示す【みろく】として出たならば、その事柄だけで人の世の歴史は必然として終わるとなるなのです。


人類は弥勒菩薩のお釈迦様の悟りで、永遠の世に渡る


 そうしたことからも日本等では救世主は【イエス】ではなく、弥勒菩薩(マイトレーヤ)だともされて来たわけです。巷には出口王仁三郎聖師が演じられた救世主は【素戔嗚尊】から、自分は素戔嗚尊の魂で救世主ですと自称されている霊能者の方が多数出ておられました。その素戔嗚尊と弥勒菩薩が同意義かとなると違うとなります。また自分が【みろく菩薩】ですと自称されている霊能者の方も多数出ました。

 ある自分が弥勒菩薩ですと自称されている霊能者の方は、自分の夢枕にお釈迦様が出て来られて、おまえが【みろく菩薩】だと告げられたと言われていました。自分の夢枕にお釈迦様の姿をした存在が出て来ると、それで自分は本物だと錯覚もしますが、霊的世界では霊が【夢の世界】まで干渉して来るを知らなければならないのです。私でも霊的にはお釈迦様にもイエスにも出会っています。しかしそれは本物かとなった時、誰もそれは本物だと証明など出来ないのです。


霊的世界で見た事柄と、事実とは必ず同じでは無い


 その仏教のお釈迦様と弟子とされる弥勒菩薩の存在を調べますと、お釈迦様の弟子には弥勒菩薩に該当する人物は存在していないことが解ります。それはお釈迦様死後1000年ほど経過した頃に大乗仏教が中央アジアに広がる過程の中で、ペルシャなどにあったミスラ教の最高神を弥勒菩薩として仏教が取り入れて行った歴史があるわけです。


お釈迦様の弟子に、そもそも弥勒菩薩は存在していない


 西洋系の霊能者達はマイトレーヤ(弥勒菩薩)はミスラ教の最高神を取り込んだ存在と理解されているのですが、日本などでは弥勒菩薩はお釈迦様の弟子扱いになっていたです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【拝火教(ゾロアスター教)】を知りなさいと告げられましたが、【火を拝する教】ということを知らないと神の一端が解らないだったのです。お釈迦様の弟子では無い存在の【みろく】を知らないといけなかったのです。


神と言う存在は、多様な角度と方面から見ないと解らない


 巷には自分が【みろく菩薩】ですと自称される方達は多数輩出しましたが、どなたも【お釈迦様の悟り】を告げることは出来なかったがあります。つまりどなたも弥勒菩薩という言葉に乗っかっていただけで、弥勒菩薩の言葉の意味を何も理解していなかったなのです。

 大本教の出口王仁三郎聖師も神界の演技として自分が【みろく大神】ですと呼称はされましたが、【五十六億七千万】の意味は出さなかったなのです。霊界物語にはこの地球が出来て五十六億七千万年とありますが、この地球は出来て四十五億万年±五千万年とされています。未だ五十六億七千万には至っていない。だとすれば五十六億七千万という数字は、何等かの意味が秘められた物と解釈すべき数字だったなのです。

 聖書のヨハネの黙示録には【反イエス】の存在として【666】の数字が使われました。大本教の出口王仁三郎聖師はその666を【みろく大神】として世に発表されました。その時は反イエスの存在たる悪魔がどうして【みろく大神】なのかの謎が言われましたが、誰も深い意味が解りませんでした。みろく大神は【反イエス】の立場の必要があるからです。

 私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声に対して、【貴方様はイエスの上に臨まれたのでしょうか?。】と問うたところ、その答えは【私は一度なりともナザレのイエスの上に臨んだことはない。ナザレのイエスは我が子には当たらず。私では無い他の高い神の御子である。】と答えられたなのです。私にとっての謎は、イエスは誰を指してそれを父なる神と説いたのか?。でした。そこには母なる神は存在しないのか?。


666でみろくと読ませる。それ自体に言葉の仕掛けがある


 大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】の九つ花を見ていると、そこには縦も横も斜めも総和が【369】となり、その盤から【九霊界】を知るならば【五十六億七千万】の数値が出せるのです。そしてそこにお釈迦様の悟りが何であったかもが解るです。ただその為には【言霊学】や【数霊】。そうした【霊学】も基礎知識として必要なのです。しかしイエスにはそうした霊学の基礎知識が無かったことは確かなのです。奇跡の現出に溺れたです。

 それはスピリチュアルで単に自分には霊が見えるとか霊と会話する程度では理解等出来ないのと同じと言えます。何故ならばこの日本の国の中に鎮座されるどの御神霊をしても、そんな言葉の仕組みが何一つ紐解けなかったからです。


西洋のマイトレーヤを弥勒菩薩と呼ぶでは何も解らない


 それは大本教神諭予告の【九つ花】が縦も横も斜めも369と成っている仕組みのみならず、それで【みろく】と呼ぶ。それだけでなく弥勒菩薩として使われる【弥勒】の漢字に秘められた意味すら解らないとなります。弥勒の弥は、満ちる。いよいよ。終わる等で、勒(革力)は改革の力。


弥勒の漢字に、今の世を終える改革の力が秘められた


 日本語による創造神の言葉の仕組みは、日本語を知らない西洋人達に理解されることはあり得ないでしょう。否、日本人ですら理解出来る人は皆無に近いと言えます。この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と呼ばれては来ました。しかしその【ことだま】に【木霊】の漢字を振った等は、【ことだま】の意味も間違えたと言えます。

 大本教からその【言霊】の存在が説かれて、世の大立替と【みろく大神】の存在が説かれ、出口王仁三郎聖師はお釈迦様もイエスもムハンマドも誰も出来なかった未だ起きていない未来に起きる出来事の数々を予言して、それらの予言は悉く当たりました。


 広島や長崎に原子爆弾が落ちて火の海となった事に関して、そうしたことが事前に解っているのならば止めるのが神だろうと反論をされる方もありますが、それ以前に神の世界はどうしてそうしたことがどうして起きると解っているのか?。そこに目を向けるべきなのです。視点を外して、いくら論じても意味が解らなくなるだけです。

 私の最初の師匠は豊受姫の御代で、豊受姫より阪神淡路大震災や普賢岳爆発等を事前に告げられて難を逃れていますが、どの御神霊も全ての人を助ける気は持たれていません。そもそも世に出ている神霊に人類を助けなければならない【義務】そののものがないのです。またこの世の人類にそうした災いを事前に教えて貰う【権利】すらないのです。


 この世に起きる災害を事前に教えて貰うのは、神霊と繋がる一部の人達だけです。 


 ほとんどのスピリチュアルとは金儲け主義から来ていますので、電話鑑定だけで何万円も要求される様な方達が大多数と言えます。それで相談者の魂の汚れが浄霊出来るかとなると出来ていません。そうしたスピリチュアル標榜者は御本人自身が霊媒体質者では無く、浄霊の苦しさを何も認識しておられないがあります。浄霊ともなれば何十万円。何百万円とも要求されるのが相場ですが、浄霊の苦しさが解っていれば、金銭で浄霊など引き受けられるものではないのです。特に龍神の浄霊ともなれば自分の命と引き換えが起きかねません。


 私の元を訪ねて来られたあるスピリチュアル標榜者の方は私の家に何十匹物の犬の霊を連れて来られたがあります。それを指摘すると神奈川から私の家に来る為の乗り換えで降りた名古屋駅で何十匹物もの犬の霊が自分に憑いたので何事かと思っておりましたがと言い訳されましたが、そのスピリチュアルの方に憑依した多数の犬の霊が私に救いを求めるなどもありました。私の家に来られた霊感者達は私の家に自分が憑依されていた霊を多々置いていかれるがあります。そこには自己の浄霊能力の弱さがあります。

 私は霊能者と呼ばれる物では無くて霊媒体質者で、汚れた霊達の憑依で苦しんでいる者であり、少しでもこの地球が霊的な汚れで崩壊しないように動いているであり、自分にとっては一銭にもならない事柄に取り組んでいる者となります。


神は言葉成りは日本人に解っても、西洋人は解けない


 大本教から【世の大立替】と【みろく大神】が連動して出された時、誰もその意味に気付かなかったがあります。確かに弥勒菩薩は人類の歴史が終わる前に現れて人類を未来の世に渡す仏として古来から予言されて来た存在ですから、それは【世の大立替】時とは言えます。が、そこには魂(鬼が云う)論が無ければ誰にも意味が解りません。何故ならば人の肉体は必ず死ぬ者であり、永遠に生きる者ではないからです。助けることが出来るのは肉体で無く、魂だからです。


永遠に生きる命とは何か?、宗教にはその説明が無い


言葉の世界と言えども、誰が【みろく】を仕組んだ!


 何も考えない思わない者は別として、誰がどう考えても【みろく大神】は自然に成り立った仕組みでは無くて、明らかに何等かの力の存在が作為の元に【組み立てた仕組み】と解ることです。


 私は自分に霊が見えるとか見えないでは無く、私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が私に告げた。【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で在る。】。それは揺るぎようがない事実と言えるでしょう。
 

私は【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国】から、揺らぐことが無い神の存在を信じるに入ったと言えます。


 私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声は、常に【刹那心(今の今が良ければそれで良い)に溺れて、自分の永遠の命である魂を腐らせてはならない。】でした。
34 11

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年05月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031