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2022年04月08日09:00

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みろくの夜明け前-13 日本神道は世界の世界の宗教には無い【禊ぎ】と【祓い清め】を説く。禊ぎに阿波岐原?

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=749

 世界の宗教は、イエス一人を主の一人御子と信じるキリスト教徒が世界最多の信徒数を誇ると言えます。現在23億人と言われています。そのイエスは救世主では無く、偉大なる預言者であったとするマホメット(ムハンマド)が起こしたイスラム教が16億人の信徒を持つと言われています。マホメットは最後の預言者とされた。

 世界三大宗教と言えば、キリスト教、イスラム教、仏教と言われていますが仏教徒は4億人とされています。仏教徒よりもヒンズー教徒は11億人とされていますので、正しく言えばキリスト教にイスラム教にヒンズー教が世界三大宗教と言えますが、ヒンズー教はインド民族の宗教と言うことで世界宗教とは言われていないがあります。私達日本人からすれば、ヒンズー教と仏教ではどう違うのとなります。よく解らないがあります。

 私達日本人は主体としては仏教徒ですが、日本神道の信徒として上がる数は各神社から上がる氏子数で実際の信徒の数とはなりません。そこには先祖の墓を仏教に置いているのか。神道に置いているかの要素があります。

 その仏教の根元にはバラモン教がありました。そのバラモン教から出られたお釈迦様が開かれた宗派たる仏教徒になります。そのバラモン教はインドで仏教が下火となるにつれ、やがてバラモン教はヒンズー教に姿を変えて行きました。為にインドでは仏教はヒンズー教の分派として見るなのです。


 そこに私達日本人はお釈迦様が開かれた仏教徒と言えども、ヒンズー教の神々も諸天諸仏として、仏教として受け入れているがあります。

 私達の日本は聖徳太子の時代頃から仏教国家であり、奈良の法隆寺を初めとして多くのお寺が聖徳太子によって建立されました。


日本神道には開祖もいなければ、教えも存在しません


日本神道は日本民族土着の自然信仰・祖霊信仰の混在


 日本神道は世界の宗教からすると不思議な宗教と言えます。キリスト教やイスラム教や仏教の様に【開祖】が存在していません。日本神道は日本民族の宗教で世界的にはローカル宗教の域から脱却出来ないのは、ある意味教えたる【聖典】を持たないがあります。日本の皇室が人類の祖神等と言ったら、世界から馬鹿にされるでしょう。

 私は伊勢神宮に鎮座されている本当の神霊とされている男神に出会いましたが、この地球に関わる神霊界を統括出来るだけの御神霊とはとても言い難いがありました。創造神はどこにも見当たらなくても、盤古大神と呼ばれる神は存在されており、神界は簡単に説明が出来ないとなります。


されど日本神道界に足を踏み入れると旧約聖書の世界


 実際に神霊世界を見聞して来ると、イエス一人が主の御子だという感覚で走っていると天国界など望むべき世界で無いことが解って来ます。それは愛だ!。愛だ!と言って、その信徒を地獄界に案内している自称救世主があまりにも多すぎるなのです。


天国人達は金銀財宝に興味無し。金銀財宝の龍宮城?


 これまでの宗教では天国は【金銀財宝】で埋め尽くされた世界としています。確かに龍宮城と呼ばれる龍神の世界に入ると金銀財宝の世界ですが、龍とは【畜生道】から抜け切れていません。そこに妙法蓮華経には【龍女の解脱】が説かれているのですが、実際には畜生の身から解脱出来ていない龍だらけと言えます。


龍神は解脱すると天人になるが、霊力を失ってしまう


 霊界で修業を積んで霊力を得ても、高次元界に進めない龍神の存在。それでは今の世の人達は永遠に【輪廻転生】から離脱は難しいとなります。



 日本神道の世界では、【神の言葉】を記した聖書の様な経典が存在しません。日本神道は過去に世に出た先祖に近い人を神として拝む氏神等の【祖霊】信仰に自然霊ともされる【稲荷や龍神や天狗】等が混在した信仰形態と言えます。為に蛇や狐や狸や猫の姿をした人霊の存在が出て来ます。

 私の最初の師匠は豊受姫の御代さんで、実践霊能者としては時の日本の霊能者のトップテンに入る霊能者と言われていました。確かにその霊界における実力は霊能者江原啓之さんの段階ではありませんでした。江原啓之さんの師匠格と言えるべき美輪明宏さんは霊能者木村藤子師を挙げておられましたが、それ以上の存在ではありました。

 その最初の師匠は、【自分は神様は蛇や狐だと思っています。】と言っておりましたが、それならば人は死後は何?。となります。その蛇や狐とは動物の蛇や狐からではなく、そのほとんどは【過去世では人としてこの世に在った存在】の変化と言えるのです。その最初の師匠は白狐界から人間界に転生組と言えました。


日本神道で解るのは、過去は人であった存在が身変える


 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【私の書は旧約聖書なれども旧約聖書は暗号化してあり、その暗号解読の鍵を持たずに読もうとすると間違える。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。世界の宗教書に私の教えが入った書は存在しないが、この日本の民話や昔話に私の教えは入れてある。この日本でないとこの私の教えは解らない。】と告げられています。

 日本昔話には【狼がくれた睫毛】の話がありますが、人を見ているとその人が蛇や狐や狸や猫だけでなく、牛、馬、豚、鳥、蝶等に見えるがあります。初めはその意味が解りませんでしたが、人の姿がそうした物に見えるのは【その人の心の在り方】が日本の【言葉で示される状態】になっているなのです。


神は言葉なりきが解るのは日本という国において


 霊能者と呼ばれる存在は別にこの日本だけに存在するのではなく、キリスト教信徒の中にもイスラム教信徒にもヒンズー教信徒の中にも存在します。しかしそうした宗教の元に居る霊能者達はそうしたことを言いません。

 私はその理由の違いは何かと言った時、彼等は【日本語】という【言葉】を知らないことから見えていないなのです。つまり蛇という漢字が示す意味、狐という漢字が示す意味、狸という漢字が示す意味、猫という漢字が示す意味。それらを理解する【言葉】その物を持たないなのです。


アルファベット文字等並べても神の言葉がわからない


 私は中国で創造神とも天子ともされる盤古大神に拝謁し、大本教霊界物語にその盤古大神から国祖国常立尊様に神界の体制奉還の内容が、日本語による【漢字の変換(返還)】を意味した内容だと理解が出来たなのです。



 日本神道では【禊ぎ】が言われる。その禊ぎとは?。


創造神と個々の魂の【契約の示し】が禊(示契約)


自己の魂の汚れを祓い清め、魂を磨く(汚さない)


 キリスト教におけるイエス一人が主の御子論は、魂や霊の汚れに関して何一つ説けていません。自己の信徒の罪を被るとは、個々の信徒が積んだ霊魂の汚れを解消する意味を消し去ってしまったなのです。

 それは旧約聖書における【個々の者が蒔いた悪の種の果実は自分で刈り取りなさい。】の正負(カルマ)の原則を忘れさってしまったなのです。キリスト教の最大の欠点は【カルマ】の存在を信徒に見失わさせた。


 この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ましたが、その言霊とは何かが説かれていませんでした。明治に入り大本教と言う宗教が起こり、その大本教から【スの神】論が出されました。しかし、その【スの神】が何を意味していたのか?。世にまったく理解されていなかったがあります。猫も杓子もただただ【スの神】に踊ったです。


世に出ている神々すら、スの神論に踊らされた


 大本教から出された【スの神】論は、言葉を【いろは】歌で示し、いろは歌の終わりは【ス】ですが、いろはの【い】の前にスが有ったとして、万物の創造神は初めの神にして終わりの神とされることから、最初と終わりが【ス】の神論を出したがあります。

 しかし、いろは歌の前に【ス】の言霊が有ったなど、誰も証明は出来ないのです。大本教から【いろは歌】が出された後、大本教で機関誌の編集長を勤めたことがある岡本天明師から【ひふみ】神示が出されました。ひふみ歌は最初が【ひ】で、終わりが【け】です。岡本天明師の【ひふみ神示(日月神示)】だと、【ス】神論はそもそも出て来ません。

 そこに大本教神諭で行く人と、岡本天明師の日月(ひふみ)神示を重要視する方とでは大きく違うが出ています。


日本語の【イロハ】も【ヒフミ】も祝詞であり霊力はある


 人は肉体という服を汚した時、風呂や水に浸ってその身体の汚れを洗えば汚れは落ちます。ひどい汚れの時は【泡】という洗剤を使います。しかし、人の肉体に宿っている次元が違っている【魂・心の汚れ】はどうしたら【泡】で洗えるのですかとなります。


人の魂・心の汚れは、御経や祝詞の【言霊】で洗って来た


 日本神話は伊弉諾尊が【阿波岐原】で禊ぎ祓え給えを記しています。その場所は宮崎県の宮崎市の阿波岐原ということになっています。仮にその場所が阿波岐原ならば、その僅かな土地から太陽を司る天照大御神。月を司る月読尊。海原を治める素戔嗚尊が誕生したとするならば、地球の一角の僅かな土地から太陽や月や海原が現出したことになってしまいます。非常におかしな神話だと気づきます。


禊ぎ祓いの【阿波岐原】に、誰も疑問を持たなかった?


 私の元に宇佐八幡宮の使いの者と称される霊能者から、宇佐八幡の神霊から私に対する詰問状なる物が送られて来ました。その内容は大本教の出口王仁三郎聖師は神界の許可も得ず。淡路鳴門神業をされた。それは【天則違反】であり、その責任は出口王仁三郎聖師の上司で有る貴方の責任でもある。貴方はその責任をどう取られるのですかという詰問状です。

 私は私を通じて出て来られた大本教の出口なお開祖霊が【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられたことから、大本教と呼ばれる宗教の教えを料理しては来ました。大本教の教えの本当の意味はこうですよです。

 また世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師が大正九年より前に、一部の信徒達に教団には内密でその土地を死守して欲しいと頼まれたとする土地の一画に知らずに居を構えました。ただその地に関しては神霊界修業のお世話になった豊受姫から、その土地は【今の世に出ている神々には出来ない神業】に携わると告げられたなのです。

 私は今の世に出て居る既存の神々を説くことに従事しているのではないのです。



私が求め探しているのは、この宇宙を創ったところの神


 私は子供の頃、私を呼ぶ声は私を【素戔嗚尊】と呼んで来たことから、私は日本神話で素戔嗚尊と呼ばれている存在と何か関わりがあるとは解っていました。また幾人かの霊能力者から貴方は大本教の出口王仁三郎聖師の魂と同類だと指摘されたことから 私も大本教の出口王仁三郎聖師と同じ【素戔嗚尊】と呼ばれる魂の存在の一員で有るとは解っておりました。

 ただ私は大本教の出口王仁三郎聖師の生まれ変わりなどではなく、同じ素戔嗚尊の魂でも出口王仁三郎聖師とは次元界が違った存在です。私には出口王仁三郎聖師の様な役割は与えられていないなのです。為に何の神力も見せないなのです。

 私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【この神がする神業で働くのは肉体たるそなたには非ず。神界に居るそなたの魂が働くぞ。】と告げられいます。肉体の私と神界に居る私は同じ私でも、違う者であるとの認識も出来る者なのです。肉体の私を見ても、私の正守護神が見えるでもなければ、本守護神が人々に見えるではないのです。

 私は大本教の出口王仁三郎聖師その者の魂ではありませんので、大本教の出口王仁三郎聖師がされた【淡路鳴門】神業が如何なるものか?。その内容まで解る立場ではないなのです。ただ【淡路鳴門】となると、泡(阿波)の国に結びつくなのです。私の全国一宮の旅は、阿波の国から始めました。


魂の汚れの洗濯は、【阿波(泡)】を持って為す


大本教から出されたのは【いろは歌】


日月神示で出されたのは【ひふみ歌】


そして魂の洗濯に使うのは【あわの歌】


 あわの歌とは【アイウエオ】の並び方のことで、その元の並びが古来はあわの歌と呼ばれていることはあまり知られていないのです。【あ】の言霊から始まって【わ】の言霊で終えるです。すなわち禊ぎ言葉の並びとして【あわ】の歌です。


 いくら言葉の仕組みと言えども、いったい誰がこんな不思議な仕組みをして来たのか?。


 大本教神諭には、神が解っていると言う者は神が解っていない。神など解らないという者は神が解っている。とあります。世に諸々の神の存在は在ります。諸天諸神。私はそうした存在は見て来ました。しかし、創造神はとなると解らないとなります。


人の魂は住む次元が低いと、上の次元が解らない


神と呼ばれる存在は人の知恵で解る存在では無い


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