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2021年11月30日10:09

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人類は涅槃(輪廻転生が無い世界)に入る。魂は根の国底の国から脱出

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 お釈迦様は涅槃(輪廻転生が無い世界)に入られたことは、仏教の教えを少しでもかじって来た者であれば常識の範疇になります。巷で自分の前世は【釈尊】だと称している方は全て贋物だと解るようになっています。何故ならば涅槃に入られたお釈迦様が、またもやこの世に降りて来るはずがないからです。

 しかしながら涅槃(輪廻転生が無い世界)の理解は、仏教の教えだけでは理解は出来ないとなります。それは涅槃の説明が出来る僧侶が居ないことからも解る様に、涅槃の説明には【次元界】と呼ばれる霊世界の構造や日本の新神道系宗教で説かれる【本守護神】の意味が解らないと難しいのです。

 日本の新神道系宗教で説く本守護神とは、スピリチュアルで言う【ハイヤーセルフ】等の存在のことではないのです。また西洋の宗教の教えでは理解は無理です。そもそも旧約聖書にはそうしたことが何も記載されないので、キリスト教でもイスラム教でもユダヤ教でも知らない解らないとなります。

 それらは近代の霊学において【霊界には次元と呼ばれる層(壁)があると解って来てからとなります。お釈迦様が行かれた涅槃(輪廻転生が無い世界)とは、高次元も高次元の霊世界だからです。その世界には【輪廻転生】は無いのです。ですからその世界に入れば、この世には二度とこの世には降りて来ないとなります。


スピリチュアル標榜では【涅槃】のことは解らない


 大本教の出口王仁三郎聖師は、この世は【天人の苗床】と説かれましたが苗床とは育てる場ですが、苗床だけでは誰もが天人に成れるではないのです。それで日本の神道では【人は青人草】とあるのですが、何の【草】かが書かれてはいません。稲のような草もあれば、雑草と呼ばれるような草もあるなのです。そこで私は稲生りの稲荷で【稲】の修業に入ったとなります。その実りが【米】と実ったなのです。

 著名な行者筋は、この地球は【魂の流刑地(刑務所)】等と言われますが、人の魂が輪廻転生をしているのはこの地球が天人に成れる苗床であり、魂の刑務所的な存在の場所でもあるからです。この世に住む人達は全て何らかのカルマ(過去世のからの罪)を背負っているなのです。その罪の洗いに【前世】を記憶していると邪魔になるので、その前世を忘れているなのです。

 スピリチュアルに走ってしまいますと、カルマの解消たる目的を亡失してしまうなのです。ただただ低次元霊界に関わろうとするのです。ですからそこに出て来る霊は蛇霊や狐霊等が化けた天使などと称する霊に惑わされるとなるのです。


 スピリチュアル標榜者は除いて、霊世界に正しく関わっている方は魂を審査する時、神の高山たる合目説で行く時は山の合目を【次元格】で言われます。それとは別に【識界レベル】で判定するがあります。一般的には神の高山合目説が多いようですが識界レベルで見た時、創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。マホメット(ムハンマド)は第四識界とされています。その場合イエスの第五識界はお釈迦様に比べると非常に低いのですが、一般的に言えば簡単に到達できません。

 しかもこの識界レベルの判定は神の高山の合目説とは一致しません。それは識界レベルとは【識】の漢字が意味することの理解力がどれほどあるかにかに関わるからです。そこに仏教では修業に入る場合、常に【識】とは何ぞやが問われるわけです。


 識の漢字は仏教の【般若心経】のお経のいたるところに出て来ます。しかしその【識】に対する深い洞察力を持った僧侶がどれぐらい世に居るかです。末法とされる今の時期には、識の言葉は有れども理解はされていないでしょう。

 キリスト教にはその【識】に対してイエスの教えが見られません。何も考えなくてもよい。ただただイエス一人を神の御子と信じるだけの論では、識など解るはずもありません。


 私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声が臨んで来たのですが、それは私が小学校に入ってからです。それ以前の幼稚園児の頃に幼稚園の先生に連れられて集団で地元のキリスト教会に見学に行った時、私は十字架に磔になっているイエス像に向かって、【イエスよ。私は必ず貴方をその十字架から助けてあげる。】と言ったのです。自分で言っていても、幼い自分にその意味は解りませんでした。ただ自分が発した言葉を覚えているです。

 お釈迦様は【涅槃(輪廻転生が無い世界)】に入られたことは仏教を学ぶ者であれば常識ですが、イエスはその世界までは到達していなかったのです。そこには【悟り】に対する認識不足があるのです。


 私は米の教えを理解すれば、イエスクラスには成ると言っています。逆にイエスクラスの魂でないと、完全に理解は出来ないでしょう。

 何故ならば、大本教の出口王仁三郎聖師をもってしても【米の教え】は出されなかったことだからです。


 私は私の霊界修行はどうして稲荷の世界からなのか最初は意味が解りませんでした。朝鮮に残されていた最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その【米】一字の教えが【涅槃】まで進む教えであることに、自分でも驚いているなのです。


 キリスト教ではイエスが再来してきて【神の千年王国】が創られると説かれますが、神の千年王国どころかイエスが死んでから既に二千年です。普通ならばキリスト教の教えはおかしいぞと気がつかなければならないのです。ところがそうした事柄に盲目になっていると、そうした【疑問】すら出さずにただ【神の千年王国】を言うとなるのです。

 私ならば、イエスが旧約聖書で予言されている主の御子ならば、その【証】を求めます。単に奇跡を起こした程度では証明には成らないです。

 インドのサイババは日本のテレビクールの前に日本製のセイコー社の腕時計を出して、それを霊界からの贈り物だと出しましたが、それは霊界で製造された物ではなくて、この世の物を移動させる物質移動の術が披露されたにすぎません。イエスの奇跡も霊界の術なのです。それをもって主の一人御子の証とは成らないのです。


人はカルマにより輪廻転生し、救世主でカルマは取れない


 霊能者によって違いますが、イエスは磔の後に幾度かこの世に人として降り、その中の人生には羊飼いとして生きたなどを言う方もあります。イエスとて輪廻転生の中に入っているです。私は霊的にはイエスと思われる霊に3度遭遇しています。

 最初の時、イエスと覚しき霊は私に【友よ】と語りかけて来ました。私はそれはイエスの霊だと思いましたが、私はあえて【私は貴方を知らない。】と言い放ちました。すると悲しい顔をしてその場から去りました。

 次にその姿を現した時は、鉄の足枷に鎖で結ばれた重い十字架を引きずっていました。それはイエスが刑場に連れて行かれる時の光景にも思えますが、その光景を見た時、私は号泣をしました。それはイエスは人類の罪を背負ったではなく、天帝から罰を受けているなのです。

 私が幼稚園児の時、キリスト教会で十字架に磔になっているイエス像を見て、私がその十字架から解き放ってあげると思わず言ったのはこのことかです。人は自分に良心があれば自分の罪は自分で払おうとします。決して人任せにはしないでしょう。キリスト教徒は自分の罪は自分が払うを何も知らないのかです。


 3度目に現れた時、イエスと覚しき霊は自分は【瑞霊】の立場であることを明らかにしました。大本教の出口王仁三郎聖師は最初の頃、自分は素戔嗚尊の魂で瑞霊で救世主だと呼称されました。そして自分はイエスと同等だと。しかし救世主の看板を下ろされて【聖師】という称号に変えられたがあります。そのまま救世主だと称していれば、出口王仁三郎聖師とて危なかったなのです。

 一部にイエスは出口王仁三郎聖師と同じで素戔嗚尊の魂で瑞霊だと言っている方達はありますが、私が旧約聖書の神と称する声から聞かされた内容だと、イエスは素戔嗚尊の魂では無いのです。しかし瑞霊魂ではあるです。この瑞霊とか厳霊はスピリチュアルだと理解不能の言葉となります。

 私は霊界物語の中のイエスに関する記述と、私が旧約聖書の神と称する声から聞かされたイエスの立場はまるで違い。私に臨んだ旧約聖書の神と称する声の主は大本教から出られた存在とはまったく別物かで、より慎重にイエスに関して調べたのです。私の結論は旧約聖書の神と称した霊の言葉が正しかったのです。ただ霊界物語はどうして違うことが書いてあるのか?。それは解らないなのです。神がされることは人間の身では解らず。事が終わって、初めてそうだったのかと解るのです。


 スピリチュアルで自分にはイエス霊が現れると自慢気に言われる方は多々あります。そうした霊界に現れるイエスらしき霊を優秀な霊能者はそれは本当のイエスの霊ではなく、イエスを神として仰いでキリスト教を国教にした当時のローマ皇帝コンスタンティヌス1世の霊がイエス霊に扮していると言われるがあります。

 日本の優秀な霊能者で、イエスを主の一人御子だと持ち上げている様な方はありません。大本教の出口王仁三郎聖師と同格の存在とまでは言われますが、それ以上の存在では無いなのです。一致した見方は、旧約聖書が告げる主の一人御子では無いなのです。それは既にイスラム教開祖のムハンマドも言って来たことです。ムハンマドにそれを言わせたのが大天使ガブリエルとすると、まったく無責任な存在と言えます。

 日本における伊勢神宮の女神の天照大御神は、太陽を拝んでいた【卑弥呼】の霊だとする説と同じ様なことです。どう考えたって卑弥呼は太陽そのものではないでしょう。


 確かコンスタンティヌス1世がキリスト教をローマ帝国の国教にしなければ、今のキリスト教など存在し得たか?。その意味ではキリスト教の最大の立役者はローマ皇帝コンスタンティヌス1世であることは間違いではないのです。コンスタンティヌス1世が自分がイエスその者だと言えば、結果として言えなくもないのです。

 私は霊的世界に関わって、頭からイエスだと言っているのではなく、そうした見解もあるなと思ったなのです。それは聖母マリアとして出て来る多くの霊が蛇霊であることにも関わっているからです。


 イエスは愛の人で、多くの人を助けたいと願っていたはずです。が、そこには【カルマ】の概念が薄かったのです。個々の人の【カルマ】は個々の魂に帰すものであり、旧約聖書の自分が蒔いた悪の種の果実は自分が刈り取らなければならないからです。

 イエスは人類の罪を背負って犠牲になられたと称えるスピリチュアルであってはならないのです。どこにも信者のカルマが取れる人などいないからです。そうしたスビリチュアル標榜者には、それならば貴方にも死後の世界ではそうした鉄の足枷を着けてあげましょうかとなります。

 私の霊界見聞の中では、そうした鉄の足枷は別にイエスのみならず、高次元界の魂の者が地上界に降りて、その時の罪により霊界で鎖の足かせを受けているが見受けられます。私はある時、神代の時代の女神に課せられていた鉄の足枷の鎖を私の権限において切断するをしたことがあります。


高次元の魂でも、罪により霊界で鉄の鎖の足枷がある


 それを豊受姫のお代であった師匠を通じて豊受姫に報告したところ、その処置に間違いはありません。と言われたがあります。それは私が閻魔大王の直属の配下の判官職でもあるからです。私が閻魔庁の判断としてしたからです。

 しかしキリスト教ではその冥府の長官たる閻魔大王を悪魔(サタン)と教義している以上、悪魔呼ばわりされている閻魔大王様がイエス霊を救うというわけには行かないのです。イエス霊を十字架の磔像から降ろしてあげれられるのは、キリスト教そのものを廃教にした後なのです。キリスト教には【みろくの世】の概念はそもそも無いでしょうし、みろくの世にキリスト教は存在しません。


 大本教からみろく大神を【六六六】とした時、多くの人はそれはキリスト教で説く悪魔、反キリストでないかとしましたが、キリスト教では輪廻転生の司る冥府の長官たる閻魔大王たる存在を悪魔としているからです。ですからキリスト教には【輪廻転生】の教えが頭から無いなのです。

 そして出口王仁三郎聖師の【地獄を覗けば牧師で一杯だ!】となるのです。


 私はこのブログの最初の頃、【まもなく輪廻転生の世界は終了しますよ。】と説いて来ました。それは仏教で説かれる涅槃(輪廻転生が無い世)に至ることですが、肉体を持った者が私を神と信じれば連れて行って上げるなどと言っても、絶対に連れて行けない世界です。為か、お釈迦様はそうした言葉を一言も発しておられないのです。自らが【仏陀】と成る道を説かれたのです。


全ての人がお釈迦に成れば、この世はおシャカでいい


 為には、どうしてもお釈迦様が本当は何を悟られたのか?。それを知る必要があったのです。


 天岩戸開けの光の世界のことにしても、涅槃にしても、そこにはお釈迦様の悟りが必要だったのです。お釈迦様は三千年ほど昔に、既に【人には良心と呼ばれる神が内在している。】と告げられており、故に【涅槃】に入られたなのです。


 日本神道でこの世は【根の国・底の国】と言いますが、この世は三次元界と呼ばれていますが次元界的に低い世界なのです。それは魂に制約を与える肉体を課しているからです。人に肉体を課しているのは国常立尊(閻魔大王)だから、国常立尊(閻魔大王)は悪神だとする神智学者達はいます。西洋系だとそれを旧約聖書の神と言っておられます。旧約聖書の神は悪神だ!。です。

 確かに魂に三次元世界の肉体を課すことは魂にとっては罰たる制約ですが、そこには魂は汚れを取る肉体が無いと霊の浄化が出来ない。それが抜けた思考なのです。人に【霊憑依】が起きるかの理由を見ていないのです。汚れた霊の浄霊には人間だけでなく、肉体があれば犬や猫や馬や牛でもいいのです。そこに【他の世界に転生】が出て来るのです。それを総合して【輪廻転生】と呼ぶのです。そうした意味では仏教は優れていたのです。


 仏教には【三途川】の教えがあるわけですが、ほとんどの人が死後に行く世界は霊界でも【中有界】と呼ばれる世界で、またもや人として生まれ出る世界のことです。本当の天国界では無いのです。スピリチュアルはそうした中有界を見ているなのです。で、四次元スピリチュアルとされるわけです。

 天国界に渡っても、更なる上級天国界に進む為にこの世に降りて来るはありますが、お釈迦が行かれた涅槃(輪廻転生が無い世界)とは、そうした天国界よりも上の世界のことです。その世界を【八九十】次元と言います。大本教で出されたみろく【五六七】の世よりも上の世界です。


ようやく創造神を知る世界(涅槃)が見えて来た


 一部の霊能者の方は貴方の前世はイエスではないかと言われますが、私が違いますと言うのはこうした内容にも関係しているからです。そして私を神として拝んでも無意味ですと私が言う意味も、こうした内容にあるからです。


人の身は誰しも創造神に対しては僕であらねばならない
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