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2021年11月01日11:00

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自己祝い 型を演じる。ブログを書いて【丸(〇)十】年 

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=721

 世紀の大予言者と言うべき大本教の出口王仁三郎聖師は、世界の型はこの日本で、その日本の型は大本教にあると述べられました。一般的に言うと、【型】?。とは何だとなります。

 この日本は世界の大陸の【雛形】になっていると一部で言われて来ました。本州がユーラシア大陸、北海道が北米大陸。九州がアフリカ大陸。四国がオーストラリア大陸。すると南米大陸が無いではないかとなりますが、南米大陸の型はかっては日本領であった【台湾】を当てます。

 台湾に旅行すると現地の台湾の人達から自分達は【大和魂】だと言われる方もあります。自分の親や祖父の代だと日本名を名乗っていた。心情的には中国人より日本人に近いなのです。同じ日本の統治下にあっても台湾の人達は日本国であった時代を懐かしく思い。朝鮮の人達は日本を何かと敵視しています。日本に対する親近感が正反対なのです。台湾が親日国家であることは周知の事実ですが、魂的には日本人と同様の【大和魂】が付与されているのかも知れません。


 その反対意見として、本州がユーラシア大陸に似通っている?。台湾が南米大陸に似通っている?。そうした論議は起きて来るでしょうが、北米大陸と北海道。アフリカ大陸と九州。オーストラリア大陸と四国は似通っていると言えば似通っているとも言えます。その場合、ユーラシア大陸は地図を横に引っ張る必要が出で来ます。そして気候的に言えば、北海道は寒く。九州は温かいとなります。

 そしてこの日本が世界の【雛形】論を支持する方の中には、伊勢神宮がある伊勢の山田の地を【エルサレム】の型だと主張される方もあるわけです。


日本列島は世界の大陸の雛形で、型とは何を語るのか?


 日本列島が世界の大陸の【雛形】論はその見方とも言えますが、考えようによっては【不思議だ!。】となります。そこに出て来るのが大本教から出された【型】の論議なのです。

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 私がブログ記事を最初に出したのは西暦2011年11月2日付けでした。この記事は2021年11月1日付けとしましたので、【丸十】年となりました。別に最初から十年間の目標を立てていたわけではありませんが、霊学シリーズを終えたことで一段落となり、ふとブログ開設時を見ると【丸(○)十年】となるのです。

 私が神霊界に修業の足を踏み入れたのが昭和【五十五】年で【三十五】歳の時でした。不思議なことに大本教から出された【三五(アナナイ)教】。【五十五の世の立替】の数字とも連動していました。


私は数玉(かずたま)と呼ばれる数霊の働きを知った


 一般的に【数霊】と呼ばれる言葉は存在していますが、その数霊が私達人類に作用していることは一部の霊能者を除いて知られていません。私は自分が霊媒体質者であったことで、甚だしい数霊の影響を受けました。そんなことが実際に起きるのかです。それが方位と時間とが結びつくと大きなことが起きます。その影響を受けるなのです。それも【型】となるのです。

 大本教神諭が告げた【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(火水)】は、単なる数字の羅列ではなく、その数霊の働きと【言霊】とが組み合わさっているなのです。そこに【アイウエオ】とか【いろは】とか【ひふみ】という日本独特の言葉の並びたる言霊の働きがあると言えます。それ自体が【祝詞】となっているなのです。


 私が出した内容は、大本教霊界物語に【○十】はみろくの神の御紋章の定めなりとありますが、それを見て私が勝手に○に十字の【神紋】を掲げたのではありません。霊的世界から、そなたの神紋は【青い玉に白十字】が入った玉と見させられて、私自身が【瑞霊魂】の持ち主であると知ったのです。ただその時に青い玉に白十字だけでなく、他に赤い玉に白十字が入った玉もあることも見させられたのです。その赤玉とは【厳霊魂】とのことでした。

 その瑞霊魂とか厳霊魂は聞き慣れぬ言葉ですが、大本教から初めて世に出されたと言えるでしょう。それは【みづ(瑞)の魂】とか【いづ(厳)の魂】と言う表現がなされています。神を【十】字記号で表すのは縦が厳霊で、横が瑞霊の関係からと言えます。キリスト教で使う長十字は、イエスが磔になった【磔】の記号と言えます。それはイエスだけに関わらず、世界中で磔にする時は長十字を使ったわけです。長十字で磔にされたからと言って、それで人類を救ったなどは大きな誤った教義と言えます。


神を表す記号は長十字で無く【正十字】となります


 私は【〇十】と呼ばれる神紋を出してみろく大神に関するブログ記事を書いていましたが、癸院銑癸隠娃阿泙任領邀悒轡蝓璽困鮟えたところで【丸十】年となったのも、それも【型】と言えます。自分では意図もせず、神の手で操られているです。


 大本教の出口王仁三郎聖師が救世主は【素戔嗚尊の魂】で【瑞霊魂】だと出されてから、巷には自分が素戔嗚尊の魂で救世主ですと名乗る方が続出しました。本当にそうなのかどうかは【その人の魂】の確認が必要で、単に自分は素戔嗚尊の魂ですと言う話ではないのです。またさほどの霊能力者でも無い者が、貴方は素戔嗚尊だと言う話をまともに受けたのでは墓穴を掘るともなるのです。

 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、その声は【日本神話の神代篇は、そうした事実が実際にあったのではない。この私が最後の審判(天の岩戸開け)をする為に、人を使って創作させた物語である。そなたは日本神話の意味を考えなさい。】と告げられました。それは私がお世話になった豊受姫も、【日本神話の神代の話は、そうした事実があったのではない。】と告げられました。神代時代の話をもつともらしく語る御神霊はどの方も若い霊で、実際は何も知らないで日本神話を語っていると見られます。


 日本神話にあるのは素戔嗚尊の乱暴狼藉で天照大御神が天の岩戸にお隠れになったの話ですが、実に深い仕組としてなされたものなのです。誰が考えても太陽が隠れてしまうほどの巨大な洞窟などありません。これが何を意味しているのか?、誰も考えなかったのかです。もしそうした物があるとすれば、それは太陽が宇宙のブラックホールに飲み込まれてしまうような話になるからです。


赤玉厳霊(天照大御神)と青玉瑞霊(素戔嗚尊)の戦い


赤(火)と青(水)の戦いで、これを火水(秘密)とする


 神の世界を知るには【型】を知らなければなりません。その時、火を意味する厳霊と水を意味する瑞霊は相反する立場となるのです。そこに天照大御神と素戔嗚尊の話を創らなければならないのです。


神は言葉で示し申すの【叩曚伐仗紂覆み)たる神がある


 実際に神社などを回れば、そこに天照大御神とか素戔嗚尊と呼称される御神霊は鎮座されています。だがそうした御神霊をもってして、日本神話の太陽が隠れたという話にはなりません。

 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていたのですが、ある事を言われたのです。【この神が見せる神の世界の舞台。観客は舞台に上がらない神々や人民達。舞台を演じる役者も、この神の筋書きを知らずに演じることになる。どの神も私の筋書きを知らず。】です。

 大本教神諭には、【この神が世に出ておられる神達を誑かして使って来た。】とありますが、天照大御神をお祭りしていますと言われる神社に鎮座されている御神霊。素戔嗚尊をお祭りされている神社に鎮座されている御神霊。そうした方達の存在は確かに有りますが、日本神話の中味と噛み合わない(神合わない)なのです。

 日本で天照大御神を祭る教団として知られる某教団に関して、大本教の出口王仁三郎聖師をして、自分よりも霊的世界を見る目が卓越していると言わさせた弟子であった世界救世教の開祖岡田茂吉師は、その教団の祭神は【赤龍】だと述べておられます。だが、その開祖は天照大御神と名乗る霊が赤龍だとは何も知らなかったがあります。その赤龍とは【厳霊】で表す【火】の神のことでは無いなのです。


 そもそも霊感女子とかスピリチュアル女子が見る伊勢神宮の御祭神は女神でも、優秀な霊能力者達は伊勢神宮の御祭神は男神と言われるように男神です。それはかなり優秀な霊能者であれば指摘されることです。明らかに日本神話は何者かによって作為されたものと言えるのです。

 日本における記紀神話など、世界の歴史で考えれば浅い物です。お釈迦様に関しては諸説有り。今から二千五百年前から三千年ほど昔に出られた方と言われています。中国では紀元前221年に始皇帝による【天下統一】がありました。エジプトにおける最初の王朝とみなされるファラオはナルメルで、今から五千年前と言われています。

 ところが日本ではそれらの時代は縄文時代と呼ばれてしまいます。そんな縄文時代に天之御中主とか国常立尊と名乗る人が世に出たではないのです。伊勢神宮に鎮座している天照大御神とされる女神は【卑弥呼】霊ではないかの話がありますが、太陽とか月とかはそうした人霊ではないのです。それらをこの世の人だとすると明らかに日本神話の【天の岩戸開け】などはおかしな話なのです。


 そこに日本神話は何故?、となった時。


日本神話は、創造神が仕組んだ【型】見せと言えます


厳霊(火)魂と瑞霊(水)魂とで、戦わせる


 そこに大本教における【型】演技が見られます。厳霊魂役に出口なお開祖。瑞霊魂役に出口王仁三郎聖師となります。で、男子と女子の闘いと出されたなのです。

 霊たる存在は四次元世界以上を指しますが、私達肉体人は三次元世界で生きています。そして霊はどのようにも変化が出来る特徴があります。狐狸に欺されたと言う言葉がありますが、私など伏見稲荷山に関わっていた関係で、白狐達が衣冠束帯や姫姿で出て来るなどは日常的に見ていたと言えます。白狐は人の姿で出て来ます。そうした霊の数から言えば圧倒的に蛇霊なのです。それは聖書にある人類の原罪。蛇の囁きで神の園から追放された人類なのです。イエス一人を主の御子だと信じたからと言って、その原罪が赦されるなど霊界を駆け巡っても無いなのです。


 日本の神智学では【愛】ばかりを言うスピリチュアルは【蛇霊の容器】と化しているとまで言われますが、


人霊であった存在が蛇、狐、狸、猫等に身変えるも【型】


この世に生きる人は、【型】で示されないと神が解らない


 優秀な霊能者達はスピリチュアル標榜者と違って、この地球は【魂の刑務所】。【魂の流刑地】と言います。


この地球上の人達は大地の刑たる【型】に嵌められている


そこに、そろそろ【天に帰りましょう】のみろく世が説かれる  


 スピリチュアルでも、間もなくこの地球が【五次元世界に上昇(アセンション)】しますと説かれる人が大多数なのですが、大本教から出された【五六七(みろく)】に関しては、スピリチュアル標榜者は何も言いません。大本教から出された【みろく(五六七)大神とは、仏教における予言、【お釈迦様の死後、五六億七千万経過して現れて人類を未来の世に渡す仏をみろく菩薩と言う】に関係しての話です。誰が考えてもそんな途方も無い五六億七千万も先を予言するなどはあり得ないわけです。


 みろく(369)の仕組が成り立っていなければ、お釈迦様の悟りが【人には良心と呼ばれる神が内在する】であった等、誰をもってしても説明すら出来なかったなのです。確かにそれは小乗だと言えば小乗の教えです。だがお釈迦様が覚られた意味は非常に深いものであり。それを小乗と批判して大乗に走った人達は、お釈迦様の様にそこに到るだけの深い悟りがあったわけではないのです。愛とか慈悲ばかりを言っている者の教えの為に、自己責任とかカルマ(因果)が問われる【良心神】の教えなど埋没するだけなのです。

 スピリチュアル標榜で、自分には天使長ミカエルが大天使カブリエルが出て来る。その正体をよく見なさいということです。


 私は西暦2020年の1月16日付けのブログ記事に、【地獄の釜の蓋開け】を書きました。それは日月神示(ひふみ神示)の岡本天明氏が説かれた【345(みよいづ)】の三次元、四次元、五次元界を区切る【霊壁】が消えたということです。それは一部の霊能者の意見にはなりますが、その反面として【みろく世の門】が開けられたともなります。地獄界に居た霊も解き放たれ、悔い改めいかんで高次元界に進める道が開かれたです。何人者の霊能者がそれを語っていますので、みろく世の門が開いたと言う話は必ずしもデタラメとは言えません。そうした霊界次元界に関わっているか関わっていないかです。

 霊的世界に関わる者の間でもそうした視点は違っていますが、もうみろく世の門が開いたとする霊能者と、未だにのほほんとしたことを言っているスピリチュアルとでは【その差は開く一方】となります。


 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【最後の審判はそなたがこの世に生きている間に行う。】と告げられましたが、私がその時期は何時ですかと尋ねたならば、【この世を見渡していれば、その時期はおのずから見えて来る。】と、何時になるかは教えて貰えませんでした。しかしながら、未だその数は少なくても、みろく世に渡る門が開いているとする霊能者達が出て来ていることは、最後の審判(天の岩戸開け)が起きる時期はそれほど先では無いとなります。


最後の審判は各自に内在する良心神の点数で決まる


自分で後始末をつけるならば、悪とて赦される

 
 旧約聖書は、自分が蒔いた悪の種の果実は自分で刈り取らなければならい。私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、【旧約聖書は我が書であるなれども、新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。】と告げられました。新約聖書では自分が蒔いた悪の種の果実は自分で刈り取りなさいの【因果の法則】が、イエス一人を主の御子と信じたら赦されるとなってしまったなのです。

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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年11月10日 12:05
    こんにちは。神之公園さん、長らくブログを続けて下さってありがとうございます。

    私は幸いにして伏見稲荷+天台と言う神仏習合のオダイさんにお世話になっていたので一般の方よりも多少は神霊世界を知ることが出来ましたが、知らなかった事も一杯で神之公園さんから教えてもらった事も数多くあります。

    2020年に地獄の釜明けと言う事ですが、前後して日本では柑橘のレモンが急に流行しだしました。これも神之公園さんが言われる雛型の一つかなと個人的には考えています。欧米ではレモンには不良品とか玉石混合とか言った隠れた意味合いがあるそうで中古車の事をレモンカーとも言いますので世の中の流れが「見た目で判断できない」とか「浮き上がる人、沈む人がこれまで以上にハッキリと出てくる」と見ています。

    少し前に書いておられたように大きな世の中の流れに逆らう事は出来ないが個々人はそれぞれの道を行くことになるんでしょうかね・・・。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年11月10日 16:29
    > mixiユーザー 諸外国の様子を見入ると、?と思うようなことが続出しています。しかし霊的世界に関わってる人からは何も出て来ません。お気楽そのものです。未だ低い霊世界は危機感が無いのかも知れません。さりとて対処法も無いでしょう。個々でどう乗り切るのか。そうしたことになる可能性もあります。

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