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2021年10月13日12:17

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霊学97 人の身は社会の【流れ(龍)】に逆らうことは出来ないが、個人としては神霊にも成れる

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 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は【旧約聖書】を聖典としていることから【三姉妹】教とも呼ばれています。しかしユダヤ教徒やキリスト教徒やイスラム教徒がその【旧約聖書の神】を見たことがあるのかとなると、【モーゼ(後にエリアとも言われている)】以外は懐疑的にならざる得ません。モーゼだけは間違いなく旧約聖書の神に接したであろうことは解ります。

 その理由の一つが、モーゼは【牛頭(牛角)】の主であったとされるからです。仏教の開祖であるお釈迦様の【祇園精舎】の守護神は【牛頭天王】の名で知られます。当然にモーゼの様に【牛角】が見られたのだろうと思われます。私は神霊界修行中、牛頭(牛角)の人姿の霊を見て驚いたがあります。自分の前世は【牛】かと思ったほどです。


 大本教神諭に、【艮(ウシトラ)】だけでなく、【牛虎(ウシトラ)】もあるぞよとありますが、自分が実際に【牛頭(牛角)】の人姿の霊を見るとは予想すらしていなかったと言えます。

 大本教霊界物語ではモーゼはこの世に出る前、【天道別命(あまじわけのみこと)】で国常立尊の御子の長男としています。大本教では【天道別命】と漢字を振りましたが、私には【天路別命】の漢字が出て来ました。読み方は霊界物語と同じですが、天道と天路では受ける印象が変化します。


天路別だと、各々の足が行く天路は二つに別れるです


 モーゼは四十年間荒野を彷徨い。カナンの地を目指した。この【カナン】の地とは聖書で語る【カナン】ではないのです。そこには最後の審判と言われる【火難】から逃げるがあります。


 日本では祇園精舎の【牛頭天王】を【素戔嗚尊】と間違えるが起きたと思われます。それは日本の【祇園神社】は素戔嗚尊を御祭神としていることからです。その祇園は本来は仏教の【祇園精舎】の祇園から来ている言葉だからです。大本教の出口王仁三郎聖師は自分は【素戔嗚尊】の魂だとは自称されましたが、さすがに自分が【牛頭天王】だとは名乗っておられません。牛頭天王を名乗るとすれば、自分が【国常立尊】その者ですと言っていることになるからです。


 聖書には人類の【原罪】として【蛇霊】の囁きが書かれています。蛇霊に囁かれたのはアダムとイブであるとか、禁断の実はリンゴ等の記述は別にそれが違っていてもいいのです。それらを論議すると本質でなく【枝葉】ばかりを議論することになります。それは創造神は言葉に何を秘めたかったかです。言葉の表現の違いに固執すると、それに関わる本質を見失うなのです。

 キリスト教にはイエス一人が主の御子であり、イエス一人を主の御子と信じた者はその【原罪】が赦されるとしたことに大きな過ちがみられます。それだとキリスト教徒は【カルマ(因果応報)】の原理原則を何も知らない者達となります。


霊世界を見聞して来ると、カルマ(因果応報)が重要


 大本教神諭に【ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組】が出て来ますが、ユダヤの悪鬼にしてもわざと泥海にしようとして泥海に向かったのではなく、未来たる先を見通す神力を持たない強い霊(悪鬼)達が敷いた施策(線路)がこの世をにっちもさっちも行かない状態にしてしまったです。鬼とは力が強い者の意です。ですから鬼と云う言葉だけでは意味は解りません。鬼も悪鬼とか善鬼等の区別が要るのです。

 では国常立尊は、そのことを見通していながら何も手を打たなかったのかとなります。本来は創造神の立場で地上神霊界の主宰神でありながら、後発の神々の多数決によって悪神としてその座を追われていたがあります。それが大本教霊界物語における国常立尊の【御引退劇】の経緯です。

 その国常立尊様の主宰神の座を襲って地上神界の主宰神に就かれたのが【盤古大神】となるのです。盤古大神は西洋で言うと【ゼウス】神と呼ばれるのです。西洋人には【盤古大神】は解らなくても、【ゼウス】であれば解るとなります。


 私は鍾馗神の御案内で一緒に盤古大神の宮殿に案内されて、無数の将軍霊やその部下の兵士達を見て、伊勢神宮の男神である天照大御神から見せられた霊界兵力の差で、神の世界とは【自分は困っていますから助けてください。】と頼む世界では無いと知りました。


神霊世界は勝てば官軍、負ければ賊軍、力で勝負


 自分を助けて下さいなどの願いは、蛇霊や狐霊と呼ばれる段階の神霊に頼めばいいなのです。霊能者やスピリチュアルでよく貴方に守護神を付けてあげます等の話がありますが、それで付けられるは蛇霊や狐霊等の存在です。それ自体は別に高い金額を出して霊能者やスピリチュアルに頼まなくても神社に行けばいいとなります。伏見稲荷大社に行けば【おみたま】が授与されます。御分霊と呼ばれるものです。そうした類いの物に乗って伏見稲荷大社等では狐霊等が来てくれます。しかしその人の為に働いてくれるかどうかは別の問題なのです。その人が狐霊から嫌われしまうと、逆に災いとなる場合もあります。

 ただそうした存在は【副守護神】格と呼ばれている存在であり、自分自身の魂の本体ではないのです。自己の魂の本体は【正守護神】【本守護神】と呼ばれている存在になるからです。だが、自己の魂のルーツたる正守護神は自分が困っていますだけでは動いてくれないがあります。この世での苦労は自己の魂磨きと解っているので、簡単には助けないのです。

 スピリチュアルとは副守護神とされる段階の霊との関わりであるので、自己の魂を磨くなど一言も言わないわけです。神霊界の上界に行けば、この世の個人が困っています。助けてください等は誰も見向きもしてくれないなのです。

 それこそ【おまえは自分でこの世に出ることを願ったのであろうがに。】と一蹴されます。自分は人として出る気が無かったならば、別に犬や猫の社会に生まれ出てもよかったはずなのです。どうして貴方は【人】として出たかったのですか?。


人は誰かに無理矢理、この世に出されたのではない


為に、人はこの世で自分がした行為に全面的責任を負う


 だが、人はこの世に出される時、それまでの記憶は【一時封印】となります。自分が前世で誰であったかを思い出せないなのです。そしてこの世で自分の境遇に【不平不満】をタラタラ言うとなります。霊能者の前世商売は絶対ではありません。その人に憑依している霊をその人の前世と間違えるがあるからです。その人の本当の前世を知るには、その人に憑依している霊を幾体も剥がしていかないと本当のことは解らないのです。

 スピリチュアルの世界では、【人はこの世で遊ぶ為に出て来たのです。楽しく暮らす為に生まれて来たのです。】などの嘘八百を言いますが、霊学の分野では仏の声が聞こえる者は千人に一人あり。神の声が聞こえる者は万人に一人あり。そうした者達が修業して千人、万人に一人程度、本物と呼ばれる霊能者が出ると言われています。そうでは無かった者達は邪神の餌食になるです。


霊的世界は上がれば上がれほど、天魔の嘘を浴びる


 為に霊的世界の修業は進むに連れて【嘘】を暴く力が要求されます。ですから霊が見える能力がある人は多数出ますが、本物の霊能者と呼ばれる存在では無く。スピリチュアルという名の低次元霊世界でウロウロするとなるのです。もし自分に霊的修業を課せられていれば、【この世は遊ぶところです】などと絶対に発言が出来ないのです。


自分に本物の霊能者に成る素質が無ければ早く足を洗う


 もし足を洗わなかったならばどうなるかです。岡本天明氏の日月神示には【九分九厘は邪神】とありますが、邪神界に身を投じることになります。霊が見えるで蛇神霊の言葉に従っていれば行く先は蛇霊の世界です。

 ある自称救世主の方は、自分は七次元界の素戔嗚尊の魂だと複数の霊能者から言われた。三輪山の神は六次元界の黒龍神で、その配下に400万体もの黒龍神が存在する。全て自分の配下となった。と言って来られました。三輪山の神の六次元格は別にいいとしても、本当に400万体もの黒龍神が居るかと思っていましたら、数は400万体ぐらいはあるのでしょうが龍神と言うよりも黒色の大蛇霊達でした。聖書に【龍神とは霊界で年老いた大蛇霊】とあるところの大蛇霊です。

 私が霊界修業のお世話になった豊受姫は三輪山の神を嫌っておられましたが、同じ豊受姫を呼称している霊の中には三輪山の神とブスブスの関係の豊受姫と自称している霊もありました。同じ神名を名乗る霊でも立場がまったく違っているがあります。そこにあるのは現在の神霊世界が【勝てば官軍。負ければ賊軍】の中にあるからです。同じ神名だから同一系統の神では無いなのです。そこに【霊界の俺俺詐欺】があり、ほとんどのスピリチュアルはそれに引っ掛かるのです。

 天魔とは第六天魔と呼ばれる言葉がありますが、神の高山で言う次元界説では邪神とか魔神とか悪神は【六次元界】が頂点に成るとも言われています。いくらみろくの世は【五次元界以上】だと言われていても、五次元界では悪魔や邪神には勝てません。そこに自称救世主と名乗る方は、皆さん自分は神の高山説の【七次元界以上】の者だと言われるのです。


 日本では【龍神】と呼ばれる存在が語られますが、霊的世界の源泉はそうした【龍神】にあります。


龍神の存在を知らずして、神を語ることなかれ  


 私は伏見稲荷大社講に所属している時は龍神と呼ばれる存在を見ても、それをあまり重要視していませんでした。それは龍神とは眷族的存在と見ていたからです。だが言霊師である方を師匠としてから、神界においては【龍神】と呼ばれる存在のウェートが非常に大きいことを知りました。

 聖書には【龍神とは霊界で年老いた大蛇霊】とありますが、大本教から国常立尊は金龍神。豊雲野尊は銀龍神。素戔嗚尊は白龍神などが出されましたが、この龍神とは聖書に記載される霊界で年老いた大蛇霊のことではないのです。だが多くのスピリチュアルなどが見る龍神とは、聖書の霊界で年老いた大蛇霊の方と言えます。

 その違いはどこにあるかとなりますと、その大きさ(神的パワー)と言えます。かたや宇宙を創造して来た神の力(エネルギー)であり、大蛇霊達がこの宇宙を創造したのではないのです。


神霊界は次元格が違うと、出す霊的パワーが桁違い


 この世ではあまり知られていませんが、一部に【龍男・龍女】と呼ばれる方達がおられます。その存在の記載は【法華経】に龍女の解脱として一部書かれていますが、そこを読んでも理解することは出来ません。元々が神的存在なのです。そうした龍男・龍女の背後には蛇霊では無い【龍神】と呼ばれる存在があります。歴史上知られた戦国大名の背後等にはそうした存在があったのです。背後に龍が見られた有名な人物としては【独眼竜政宗】が特に知られますが、世に偉大な功績を見せた人や時代が求めた一代の風雲児の背後には必ずそうした【龍神】が控えていたと言えます。龍男・龍女でないと力が出せなかったです。

 スピリチュアル系の方が言う龍神は、聖書の霊界で年老いたところの大蛇霊と言えます。


龍とは【流】で、霊力(エネルギー)を流す存在


 ですから、霊界で年老いた大蛇霊とは3000年に渡る霊界修業の結果、本来の高次元界の龍神とは霊力の桁は違いますが、同じように霊力(霊界エネルギー)を出して来ます。そして【奇跡】の数々を私達人間に見せて来るとなります。本来の龍神と大蛇霊上がりの龍神はエネルギー体として同じ形容の姿となりますので、外形では簡単に見分けがつかなくなります。判断するのはその大きさになります。


悪しき霊能者と悪龍が結ばれた時、神々も手が出せない


 新興宗教の教祖でもスピリチュアル教祖でも【霊能力者】です。宗教組織を起こすだけの力がその方の背後に有るか無いかが宗教家との差の決め手となります。その奇跡力の背後には必ず【龍神】と呼ばれる存在が見られます。そうした中には当然、悪龍と呼ばれる存在もあります。そうした新興宗教でもスピリチュアルグループでも自分がそこに入ってしまうと、そこから簡単に抜けることが許されないが起きます。抜けるならば殺すぞです。


新興宗教もスピも入り込むと、抜け出すのが難しくなる


 その時、神社の氏神様に助けを求めても誰も助けてくれません。神社を預かる神霊と言えども、龍神と一戦を交える覚悟が無いとそれらの勢力と戦えるではありません。戦えばその神霊の家臣団に多大な被害が出ます。自分と関係が無い者の為に、動こうとされる神霊等無いのに等しいのです。神社に助けてくださいと行っても何も助けてくれない。誰も普段からの付き合いが無い者の願い事を聞いてくれますかなのです。

 私の前のブログに新興スピリチュアル教団の開祖と縁を切りたいと言われたスピリチュアル系霊能者の方が、その教祖が自分との縁を切ってくれないで相談を受けましたが、その教祖の背後には六次元界格の黒龍神があり。神霊とて簡単に手が出せないでした。幸い仏界の神将霊さんが動いてくれたので、そのスピリチュアル霊能者は教祖との縁切りが出来たがあります。


自分は霊が見えるで甘く見ていると、抜き差しが出来ない


 仏界に関して言えば武器を持つ神将霊は別として、ある著名な行者さんが【仏の世界】には龍が存在しない。為に【神の世界】から龍たる存在を借り受けていると書いておられます。それは【龍は簡単には解脱しない存在で、ほとんどが自らが仏に成る気はない。】からです。仏に成ったところで、さほどの力が無いとなります。そこにあるのは力の固執です。


 大本教神諭に【神も時節には敵わない】の記述がありますが、黒龍神と呼ばれる存在が神霊世界を実質的に支配している現状では、立替など容易ではありません。それは自民党の若手改革派でも旧来の路線を守ろうとする守旧派の壁を崩せないことで解る様に簡単では無いのです。権力の世界など簡単には崩せないのです。


 イエスにしろマホメットにしろ、そうしたことが解っていたのかとなりますと、何も解ってはいなかったでしょう。イエスが見せた奇跡なども、その背後に【龍】が居なければ見せられないものです。

 日本のテレビで大人気を博した【日本昔話】の出だしは、龍に乗った赤子の映像に「坊や良い子だ。ねんねしな」の歌から始まりますが、キリスト教で飼い慣らされた西洋人には龍とは解る存在ではありません。そもそも東洋で語る龍と西洋で言うドラゴンは別物のです。西洋人が持つ龍の感覚とは【恐竜】の類いなのです。とても神と呼べる代物ではありません。


 私を本当に見ることが出来る霊能力者であれば、白色系の龍でありながら【白金色】の光を放つ龍を背後に見ることが出来るでしょう。人によってはそれをプラチナ龍と言う方もありますが、基本は白龍です。放つ光が黄金色に見えたり白色に見えるはずなのです。だがスピリチュアル標榜者では見るなどとても無理でしょう。

 私自身は【龍】たる存在から人間の姿に成った部類の者ですが、その龍の当時、今の様な人間が存在していたのではないのです。今の様な人類が誕生して来たのは、もっともっと後の話なのです。西洋で言う翼を持った天使と呼ばれる存在は、アメリカで眠れる偉大な預言者と言われた【エドガー・ケーシー】は、今から約一万五千年程度前の存在と言っています。比較的新しい存在の霊達です。

 大本教から出された【国常立尊は三五万年前に御引退】は、スピリチュアルでは理解の度を超えた話になっているのです。


私達人間の魂は、そうした恐竜を先祖に持つ魂ではない


人は神の子・神の宮で語られる【創造神から魂の分派】


 私はこの日本で生まれたことから、霊世界で語られる【蛇、狐、狸、猫、龍、天狗】などが何を意味するか解って来ました。それが西洋に生まれてキリスト教の家系であれば、【イエス様、イエス様】で神の世界のことなど何も解らない者になっていたなのです。イスラム教の世界で生まれていれば、【アラーの神は偉大なり】を言っているだけとなっていました。それが旧約聖書の神と称する声の、【この日本にはキリスト教、イスラム教の必要無し】の言葉なのです。

 この日本を仏教国にされたのは創造神(牛頭天王)の思惑なのです。大本教ではそこに【和光同塵】を説いたのです。和光同塵とは、孔子の言葉では【智慧ある人がその智の光を和らげ隠し、俗世の人と同化して交わる】ことです。それは神が【天の岩戸の光】を出していないことなのです。もし天の岩戸を開いたならば、その光は自分はスピリチュアルで神が見えますと言っている程度では焼け死ぬなのです。


 私が何故に【人に内在する良心神】を説いているのかは、その天の岩戸の光と各自の魂の核に存在する光は同じ物だからです。自己の良心神を出せば、天の岩戸の光の中に自分が居るのと同じことだからです。これが大本教で告げられた天の岩戸が開いたならば、【光輝く人達】なのです。

 その時、イエスが出て来て愛で【犠牲】になってくれればで、片付くような話ではないのです。一人一人が火たる光を直接に浴びるなのです。他人に対する手助けは誰も出来ないのです。自分の尻は自分で拭けなのです。誰も他人様の尻拭いは出来ないのです。


お釈迦様の悟りは、この日本の【三六九】で花開く


 世の大立替を宣伝した大本教からは、【みろく神】が出されましたが、そこにはあることが出されませんでした。


みろく菩薩の【兜率天】とは、天が兜の者達を率いる


弥勒とは、いよいよ始まる【改革の力(勒)】


 大本教が出した【みろく】大神から、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を紐解くならば、お釈迦様の悟りのみならず。五十六億七千万。第八の世。兜を被った天軍が降りて来る兜率天。始まる改革の力。そうしたことが日本の言葉で紐解けるなのです。


三千年修業した大蛇霊の龍と、天の兜が率いる軍は戦う


 それはスピリチュアルで、自分には天使長ミカエルが降りて来るなどの【ミカエルさんこんにちは】でないのです。ミカエルとは最後の審判の時、蛇霊の尾を踏む者ともされるように


ミカエルとは、悪龍達に対して剣を持って戦う者


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