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2021年05月04日11:54

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霊学70 イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無い穴あきパンの教えと告げた霊声

 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいたのですが、その声は私に告げました。


そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えよ


 その当時、イエスは【愛】の教え主で在るぐらいの知識はありました。だがどうして【イエスの愛の教えを乗り越えて行け】と言われるのか、理解など出来ませんでした。

 私は昭和五十五年から神霊世界の修業に足を踏み入れて、大天使カブリエル等と称している霊などは【食わせ者】であるを知ったなのです。キリスト教とイスラム教とを敵対させて戦わせている。大魂胆の持ち主と言えます。そのおかげで、大本教神諭予告の九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)が【十里(トリ)の羽根(八根)】であることの補強論にもなったなのです。


 世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、【ミカエルなどと呼ばれる天使長などは存在していない。省みるの意味である。】と説いておられますが、私はヴェーダ典の奥義書とされる中にある【人の中に眠るコブラ(眼鏡)蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】を体験したことで、真理の道に向かったと言えます。日本語にすると【巳(蛇)帰る】の現象です。その時、もしかすると日本語はとんでもない仕組で成り立っているのではないかと気づいたのです。  

 私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【旧約聖書は私の書ではあるなれども、邪悪な者達が間違える様に暗号書にしてある。暗号を解く「鍵」を持たないと、その意味を間違える様に創ってある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。私の教えは世界の宗教書には非ず。この日本の昔話や民話やことわざ(諺)や童謡に秘めてある。】と告げられたのです。

 私は子供ながら自分に日本の神の名ではなく、外国の旧約聖書の神と称する声に疑いを持っていましたが、それどころかこの日本の昔話や民話や童謡に私の教えがいれてあると告げられて、いったいこの旧約聖書と神と称する声は何者だ!。それがずっと自分の中に引っ掛かっていたと言えます。ですから昭和五十五年に私の身に起きた摩訶不思議な体験から【神霊世界】に修行の足を踏み入れたなのです。

 私は稲荷神霊界に修業に入って、豊受姫様から【貴方の本守護神は国常立尊様です。】と告げられて、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は【国常立尊】様なのか?。そうした疑問を持ったなのです。


私は稲荷神界に修行に入り、白狐像が銜える【鍵】に?

 (大本教神典には、国常立尊様の世の立替にあたっては白狐は下郎の役で奉仕するとありまして、稲荷神界に何が隠されているのか?。と探っては来たのです。ただ私が稲荷神界での霊界修業のお世話になった豊受姫は、白狐の半数は国常立尊様に従うが、半数の白狐は既に邪神達に従ったと言われていたので、白狐霊だからと言って安心は出来ないなのです。また稲荷神と言っても半数は反国常立尊派だと言われます。実際に反国常立尊派の稲荷神や邪神達の配下になった白狐達も見て来たのです。それがその人に白狐霊が守護していても、国常立尊様の名は口には出さないなのです。)


 当時の私は旧約聖書の神と称する声がどうしてこの日本の昔話や民話や童謡に教えを入れられたのか?。まったく意味不明だったと言えます。豊受姫を初めとして7〜8名の霊能者から貴方の本守護神は【国常立尊】様ですよと告げられて、日本の日本書紀で初発の創造神とされる神のことだと解って来ました。しかし【本守護神】とはいったい何なのか?。そうした一から霊学の学びに入ったのです。

 単に自分には霊が見えるで、その霊の名乗りは本当に正しいのか?。そうしたことを何一つ学ばない。何の疑いも持たないことは、【知らなかったことは罪では無いが、知ろうとしなかったことは罪である。】を理解していないとなります。

 単に霊が見える者は千人に一人はあるとされます。しかし本物と呼ばれる霊能者は百万人に一人程度とも言われています。すると単に霊が見える段階の人は何を見ているのかと?。となります。そこに【霊界の次元層】と呼ばれるものが出て来ます。お釈迦様、イエス、大本教の出口王仁三郎聖師、弘法大師はその霊界次元が高く、スピリチュアルは四次元霊界程度とされるわけです。

 単に霊が見える霊と霊と会話が出来るだけでは、そのほとんどが低級次元界の霊に騙されるなのです。そうした霊達は自分が高い者と見せる為に高い神名を呼称するからです。為に本物の霊能者は僅かしか居ないと言われているわけです。

 
 私はその基準として、単に白狐霊にこき使われている霊能者や行者と、白狐霊を使役する行者とでは【一線】があると見ています。

 
 モーゼ外伝では、最後の審判で蛇の尾を踏む者が【ミカエル】であり、蛇の尾を踏むとは聖書における蛇霊の囁きで蛇と一緒にエデンの園(神の御国)から追放されたのが人類であり、それは【人類の原罪】とされることですが、日本語だとミカエルとはその人類の原罪たる蛇を帰らせる者の意味となります。キリスト教が説くイエス一人を主の一人御子と信じればその原罪が赦されるの話ではないなのです。

 私は子供の頃に自分に臨んで来た旧約聖書の神と称する声に、ある事を尋ねました。【貴方様はイエスの上に臨まれたのでしょうか?】。すると【私はナザレのイエスの上に臨んだことなど一度も無い。ナザレのイエスは我が子には非ず。他の高い神の御子である。】と告げられたのです。他の高い神の御子?。するとその高い神はどなたなのか?。となります。


 日本の秀でた霊能者の方はどなたもイエスが旧約聖書に記載される主の一人御子だとは思っていないがあります。イスラム教の開祖であったマホメット(ムハンマド)は、イエスは尊敬されるべき偉大な「預言者」だと言った様に、高次元霊界から降りた偉大な宗教指導者の一人とは言えるでしょう。

 大本教の出口王仁三郎聖師は、自分と開祖(出口なお師)は旧約聖書で予言された【キリスト登場】前の【男女の二人の預言者】であると自ら言われています。出口王仁三郎聖師は世紀の大予言者ですが、神の言葉を預かるの【大預言者】でもあったなのです。それは【出口なお師】も然りです。

 大本教の出口王仁三郎聖師と出口開祖が旧約聖書で予言されていたキリスト登場前の【男女の預言者】であれば、イエスは当然主の一人御子などではあり得ないとなります。また優秀な霊能者達の大本教の出口王仁三郎聖師とイエスは次元的には同格説が正しいともなります。


 私の最初の師匠は豊受姫のお代さんで、実践霊能者としてはテレビでお馴染みの【木村藤子師】とか【下ヨシ子師】を上回るか同様の霊能力はありました。豊受姫によれば当時の日本の実践霊能者ではベスト10位に入るとのことでした。その師匠は私に対しては弟子扱いと言うよりも、貴い神の子を預かり、そのお世話をさせていただきますの姿勢でした。  

 だがある霊能者から、【あんたの先生はどえらい先生じゃ。これほどの霊能者。男でもめったにおらん。だがそれほどの霊能者でもあんたに教えは出来ん。育てることも出来ん。あんたに教えが出来る者などいない。神も居ない。自分の道は自分で切り開くより道は無し。】と言われました。

 それは私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声からも言われていました。【そなたが歩く道は、これまで人類の誰一人として歩かなかった道である。そなたが初めて者であり。終わりの者である。私はそなたの教えを以て、今の世を終わらせる。】と告げられたなのです。それ自体は豊受姫のお代であった最初の師匠も、【貴方に教えが出来る神等、この日本には居ない。否、世界にも居ない。貴方を動かすのは天帝のみ。】と言ってはいたのです。

 人類の誰一人として歩いたことが無い道。それはお釈迦様が歩かれた道でもなければ、イエスが歩いた道でもないということです。私自身、まさか【言葉の仕組】を以て神の道を説くとは想像すらしていなかった道と言えます。 


 私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫はお代であった最初の師匠を通じて、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の「詔」と同じであり、貴方の言葉による教えが聞けないという神々は如何なる神であろうとも、天帝に対する反逆と見做されて処罰される。】と言われたなのです。

 それ以前に豊受姫から【貴方の本守護神は国常立尊様です。】と告げられていましたので【天帝】の意味は解りましたが、ただ【言葉の神】の意味が私にはよく理解が出来ませんでした。西洋に残されていた予言に、【ユダヤ人では無く。異国の人が異国の言葉で主を語る。その人は異国では「言葉の君」と呼ばれている。その言葉の君は自分は主を知らないと言うが、主は言葉の君を知っておられ、万軍の主である主は全ての裁きを終えた後。言葉の君を主の元に召しいだす。その時を以てユダヤ人は救われる。】がありまして、言葉の仕組を説くにあたって、最初の頃はその【言葉の君】の名称を拝借したしだいです。 まさかその異国の言葉が【日本語】だと思ってもおらずに【言葉の仕組】に取り組んだなのです。 


 私が修業時代。私の前に三千年前のユダヤ民族の族長と称する複数の【羊霊達】が訪れて、【貴方は私達ユダヤ民族が信じて来た救い主たる主の一人御子ではないのですか?。】と質問して来た時、私には何故にこれらの三千年前のユダヤ民族の族長と称する霊達が【羊の姿】なのか?。当時はその意味が解りませんでした。


羊の言葉は善(譱)。単に【善】だけで終わった


 だが、三千年前からこの地球以外の宇宙の霊界に居る彼らが見た二千年ほど前にこの地球に降りたイエスの魂が出していた【光の色】を教えられて、なるほどと解ることがあったなのです。彼らはこの地球以外の霊界からこの地球上の霊界を見張っていて、私の魂が放つ光を見て、もしかしてと思い私を訪ねて来たなのです。


 そうした中で、私にある言葉が臨みました。その声の主が誰であるかは解りませんでしたが、言うなれば天の声でしょう。その内容は、


イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無い穴あきパン


 それ自体は主に大本教が世に広めた【一霊四魂説】で解ります。イエスはお釈迦様の本当の悟りであった【人には良心と呼ばれる神が内在する。】を悟れ無かったと言えます。言うなればイエスの愛(パン)の教えは真ん中が空いているなのです。その位置にイエスは自分自身を置いてしまったと言えます。

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 以前から黒い玉で真ん中が無い魂を見たとの報告は私の元に幾つか寄せられていましたが、最近、黒い玉ではなくて【白い玉で真ん中が無い玉】が見えるの話が寄せられて来ました。


 それは私には如何なる霊なのか解りませんが、まさに【イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無い穴空きパン】と告げられた状態が霊界に出て来たと思われます。


 霊界で一体何が起きているのか!?


悪魔にも「愛」はあるけれども、悪魔に「良心神」は無い


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 日本の神智学ではスピリチュアルの言葉を使って【愛】ばかりを言っている人は蛇霊の容器と化しているとさえ言われています。そうしたスピリチュアル標榜者は【良心神】等絶対と言う程言いません。逆に良心の呵責は重いから捨てましょうです。死んでも【良心神】など口には出さないです。いくら悪行はしていないと言い張っても、それもまた【空く真】の世界に入った者達なのです。

 いくらそのスピリチュアル標榜者が善人でも、その魂は【天帝の分魂である良心神】を捨てているのですから、その魂に穢れが無くても真ん中に穴が開いているとなります。死後の行く先は動物界(四魂のみ)に転生です。優秀な霊能者は世に出ておられる神々を何故に【蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊】等と言うのかといいますと、その魂の中の良心神の働きたる【天帝】の存在を無視しているからと言えるでしょう。


 私は霊界見聞をして来た中で、単なる善人では天国門が開かないを知りました。善人で天国門を開かせるのは世の為人の為に【犠牲(牛と羊の血の捧げ)】を払った方のみです。その【犠牲心】が、良心神の点数を一気に上げているなのです。そこで私はイエスのパン(愛)の教えでは無く、【米】教として、他(田)を救(鋤く)いて世根(米)と成れを説いて来ました。それが【人に内在する良心神】の点数を引き上げるからです。

 それ自体は朝鮮に残されていた予言。【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天罰が降りる。】と内容が重なるなのです。ただその【米】一字の教えは、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】の解読が必要だったのです。


 また、インターネット上には出所が不明な【金神の艮の文(トドメノフミ)】と呼ばれる物が出回っています。内容的には面白いとは言えますが、その内容はあまりにも【戯け(おどけ)すぎ】ていますので絶対的な物とは言えませんが、注目すべき内容はあります。それは【同じ米でも大違い。一厘違いの米と米。同じ人でも大違い。一厘違いの人と人。一厘有るのと無いのは別のものなりぞと申すぞよ。】とありまして、米の教えにその【一厘】があることを解らせる仕組ではあったようです。

 但し、こんな戯(おど)けた文を国常立尊様が直接に出すなどはあり得ません。本当の神霊はどなたも【厳格】だからです。ただ、そこには何等かの「命」を受けた霊の存在はあったでしょう。


 一部の神道家が神界の秘儀だとか言って、高い金額を出さないと教えないではなく、それが神霊界の秘儀であっても私に解れば私は開示します。

 私の元に宇佐八幡宮の使いと称される霊能者の方から、宇佐八幡宮の神霊から私に対する詰問状が送られて来ました。その内容は、【大本教の出口王仁三郎聖師は淡路島の神業で、神界の機密を世に出された。それは神界の規則に違反しており、重大犯罪である。それは出口王仁三郎聖師の上司である貴方の責任だ。どう責任を取る気だ。】と言う内容でした。一部の霊能者も【貴方が大本教を創らせた張本人だ】と言われますが、それは私ではなく国常立尊様御自身と言えます。

 私は神界で自分が出口王仁三郎聖師の上司であるかどうかは知りません。ただ、大本教の出口王仁三郎聖師が一部の信徒に教団には内密で死守して欲しいと頼まれた土地の一角に居をかまえていることもあり。出口王仁三郎聖師らしき霊からは、【世に出て来るのが遅い】と言われただけです。

 しかし出口王仁三郎聖師がなされた行為に神界の規則違反があったとしても、国常立尊様の許可の元と考えられます。それに対して宇佐八幡宮の神霊が私に責任を取れと言われるのであれば、宇佐八幡神は国常立尊様には従えぬということであり、神界戦争をなさる気ですか?。と返事を申し上げておきました。

 それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神(万軍の主ともされる)と称する声は、【私は全ての神々が私に敵対しても私は勝てる。】と言われたからです。スピリチュアルの何をしても神の愛で赦されますではなく、私に臨まれた旧約聖書の神と称する声は【神界全面戦争】を既に覚悟しておられると言えます。それが殺戮の丘(ハルマゲドン)と言われて来たことです。


 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【この私だけを唯一の神とせよ。この私を唯一の神とする者は一人残らず救う。】と告げられました。私自身が国常立尊では無いのです。私は一介の【神の僕】にしか過ぎないのです。ですから何を頼まれても、国常立尊様に口添えなどはしません。頼みたかったならば、自分で直接にお頼みしなさいなのです。


他人を介して唯一の神では、自分が主と繋がらない


何故ならば、【神は汝と共に在り】だからです

 (万物の創造神たる神は、各自の魂の内に在り。各自の良心神を司っています。それをスピリチュアルに走って魂に穴が開くのも個々の魂の責任。唯一神を信じることで、魂の穴は塞がれるのです。)


 私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたの役は大変な苦労の役である。死んで参れというほどの辛い役である。そなたがその役で死んだならば、そなたの骨はこの私が拾ってやる。】と告げられて、そなたを助けやるとか応援してやるではないのです。


 各種の予言として出されてる今の世の終わりの天罰たる天変地異に自分は遭遇しないではなく、私もこの地球上に人としての生を受けた以上、【一蓮托生】の身と言えます。自分だけが助かるでは済みません。だが【主(創造神)の神】を信じるです。

 聖書には【第一の死】と【第二の死】がありますが、第一の死は天変地異等も含めたる肉体の死であり。第二の死とは霊体と成った者達に対する裁きですが、その第二の死の時には天罰には遭わないと言う意味合いと考えられます。ただそうしたことは、自分が【幽体離脱】をした体験を持たないと、感覚的には解らないとは言えます。  

 もし自分が幽体離脱を体験出来たならば、誰でも【死後に生きている自分】を知り得るからです。肉体を離脱した後、自分がこの世から死んだことを理解しない霊は「迷い」ます。死んだはずなのに【生きている自分】が理解出来ないからです。


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