mixiユーザー(id:429476)

2019年09月15日16:36

253 view

奈良大和四寺のみほとけ

東京国立博物館で開催中の“奈良大和四寺のみほとけ”に行って来ました。
フォト フォト

フォト フォト

フォト フォト

フォト フォト

チケットは、毎度お馴染み新聞屋さんからの貰い物。いつもいつも有難う。
なかなかの盛況で、夜間開館でも、そこそこの混み具合でした。平成館で、“三国志展”やってるから、それから流れて来た人も多いのだと思う。

トーハクの公式HP↓
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1966#top

常設展11室(だと思う)でやっているので、常設展の料金(今は640円かな?)で観られる太っ腹仕様。
なのに、なかなかのラインナップで吃驚する。奈良からこんな遠くまでいらしてくれて。仏様有難う〜。これね、岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院と4つのお寺から重文・国宝級の仏像等が来てるんですが、この4つを回ろうと思ったらかなり大変。因みに、私は岡寺しか行ったコトないんですが(日記を遡ると何処かにレポがある)、閉まるギリッギリに行った為に、あんまり良く観てなくて、記憶にそんなにないって言う…。岡寺のご本尊って、土で出来てるのね。それも知らなかった。記憶に残ってるのは「結構な坂を上ったぞ」ってコトくらい(^_^;)。なので、改めて観られて良かったです。
あと、何でも、お寺に行っても通常は観られない仏様も来ているらしい。

奈良四寺は、飛鳥〜奈良に出来たお寺。古い!平安の前。飛鳥なんて、ちょっと前まで古墳時代じゃん!と思ってしまう(笑)。

長谷寺の“十一面観音菩薩立像”。13C。寄木のように各材製の鋳造。右手に蓮、左手に錫杖と数珠を持つ。後背の透かし彫りもとても綺麗だった。顔はおだやかでスッキリした印象。肩かけの布の先の跳ね方が上手くて「スゲエ!」って思った。左足の方が少し前なのは、いつでも助けに飛び出して行けるようにだろうか?因みに、岩座に立って錫杖を持つのは長谷寺の本尊の特徴で、独特らしい。そういう形なら「長谷寺の様式!」と分かると。

長谷寺。“十一面観音菩薩立像”。こちらは12C。1本の楠から両肘と両足先まで作っている。ほぼほぼ1本造りなんだね。平安より古いタイプの仏様に見えるのだが、わざとそう作ったのかも。肩布はスッと下に下りる造り。冠の飾りも残っている。顔は穏やかで、良いお顔。

岡寺。“菩薩半跏像”。8C(奈良)今回の私の一番の推し仏がこれ。私、奈良、飛鳥時代の仏像が好きなんだ。そんなに大きくはないんだケド、なんて良いポーズ!なんて良いお顔!!片脚を組み頬に右手指を当て思案中。因みに、この恰好で思案してる仏様は、弥勒菩薩のコトが多いんだそうな。だから、これもそうじゃね?と。釈迦入滅から56億7千万年後にやって来て、滅びる世界を救う弥勒菩薩。でも、この弥勒様は、そんな重圧を感じてるようには見えず、頬に指を可愛く当て、おだやかにポーズを取ってるように見えてしまった。萌え仏である。
本尊の胎内から出た仏様らしい。胎内仏だったのか。スレンダーで腰もくびれてスタイルも良い。

岡寺。“天人文甎”。7c(飛鳥)焼いた煉瓦。寺院の壁に使う物だそうな。これにはレリーフがある。跪き手に衣を持つ美女。衣が浮遊しているので、これは天女なのだそう。顔は笑顔だ。

岡寺。“義淵僧正坐像”。8c 開基儀淵像。目尻は下がり鷲鼻。顔の彫りは深く皺も深い。耳も大きい。座禅を組み座る。これは中国で定型化した僧侶の理想的な面貌で、必ずしも、義淵がこういう顔だったワケではないらしい。仏弟子の賓頭盧尊者(おびんづる様ね)かも知れないとのコト。あばら骨が浮いた体もリアルだし、皺の描写も写実的。これを奈良時代に作ってるのか。木心乾漆造。後ろを観たら、左にとめた袈裟をかけているのが分かった。(この後ろが観られるってのは美術館展示の一つの利点だね)

室生寺 “釈迦如来坐像”。9c 主要部分を1本の木材から彫り出す一木造。衣は太い襞と細い襞を交互に表す翻波式衣文。彫り出した峰は鋭く衣文の谷は深く彫られ、メリハリがある。顔はふっくらで微笑んでるように見える。でもこのお釈迦様白毫がないよ?取れちゃったの?元々ないの?後ろを観たら、衣の襞がくるんってしてた。ここ、通常は見えない部分よね?そこにまで手を入れる。お洒落!芸が細かい!

室生寺。“十一面観音菩薩立像”。9〜10c 木造。ふっくらとした顔で半眼。表情はあまりないかな。無表情に近いか。冠等の飾りもきちんと残っていた。衣は漣波式衣文。浅い線を細かく刻む。なので、ビジュアルもスッキリして見える。板光背は江戸期の物。因みに、この板光背というのは、通常、透かし彫り等で作る光背が板になってて絵が描かれている。当時の絵画を知る上でも貴重な資料になるらしいのだが(これは江戸期のだケド)何故か奈良の寺院に集中して伝わったそうな。

室生寺。“地蔵菩薩立像”。10c 本来の安置仏がお寺から出た後に他堂から来た仏様。元の仏様は何で出て行っちゃったの?ぶら美では、山田五郎氏が「自分で歩いて出て行ったんだよ。」と言っていたが(笑)。元いた仏様も地蔵菩薩なら、世界を救う為に旅立って行ったのかもね。
木造で、驚くのは当時(平安時代)の光背の絵がきちんと残っている。光背には唐草、火炎、釈迦如来等が描かれていた。江戸期のより、よっぽど綺麗に残ってるじゃん!って思ったら、江戸期の物より、材質が良いから綺麗に残ったのでは?とのコトだった。あ、絵具や板等、高い物を使うと後々まで綺麗に残るってやつだ!(若冲の絵もそうだよね)
顔はふっくらしてるケド、表情はやや厳しめ。額にあるのは水晶かな?

この2体の菩薩を守るぞ!な戦隊ヒーロー!私が好きな“十二神将立像”。今回は巳と酉が来ていた。室生寺 13c 木造。どちらも衣がヒラヒラと舞い躍動的。鎌倉期に作られた仏様らしく強そう。酉の頭の鳥。鶏らしいのだが、どうも鳩に見える(^_^;)。巳は右手を額にやり遠くを見るポーズ。右手に槍。髪に巻き付くのは蛇なのだが、蛇の頭が取れてしまい、普通の紐に見える(笑)。顔もやや蛇っぽい。巳は髪の毛の朱が残っていた。

そういえば。仏様、色がちょこちょこ残っているのもあった。出来た時は彩色してたんだものね。カラフルなんだよな。

長谷寺。“地蔵菩薩立像” 11c。論議地蔵と言うらしい。長谷寺の僧に変身して学生を誘い、長谷寺に入門させ、論議の席で問答した。リクルート!お地蔵様、学生をリクルート!私はこれから、このお地蔵様を「リクルート地蔵」と呼ぶコトにする。
左手首と左足先は後半補われるも針葉樹の一木造り。左手でちょっと衣の裾を摘まんでるのが可愛い。

長谷寺。“赤精童子(雨宝童子)立像”。1530年(室町)雨を司る神。天照大神と同体らしい。右手に宝棒。左手には宝珠を持つ。朱や緑の彩色が残っている。顔は童子の顔だが、服は古代の女神の恰好。あ、天照大神と同体だからか。靴の先が宝珠のマークっぽくて恰好良い。表情はギロリと上から睨みつけられているような感じがした。

長谷寺。“難陀龍王立像”。1316年(鎌倉)木造。雨乞いの本尊だが、長谷寺では童子と共に十一面観音の脇侍になっている。春日明神と同体。服は中国の官吏の恰好っぽい。つまりは閻魔っぽい。頭の上に玉を掴んだ龍を乗せている。水盆を持っているが、水盆からは沢山の龍が出ている。ん?龍?イタチにも見えるんですケド(^_^;)。膝辺りに剣を下げてて、随分下で下げるんだな…と。服の文様も中華の文様ぽかった。顔は眉が下がり困ってるようにも見える。これは作った人が分かっている。中に銘文があるらしく、『瞬慶以下8人が、5月2日から13日で完成』とあるそうな。13日で作ったの?!かなり大急ぎで作ったんだね(^_^;)。「うわぁ〜!!納期間に合わねぇ〜!!」とか、そういう状態になってなかったんだろうか?

他にも、安倍文殊院からは、梵字が美しい仏様の納入品や、背筋ピーンで寝ている岡寺の釈迦如来の涅槃像も面白かったです。

私の推し仏。岡寺の菩薩半跏像のクリアファイルとチケットホルダーがあったので、当然購入。長谷寺のポストカードも2枚買った。
でも、赤精童子と難陀竜王のグッズは何にもなかったぁ〜!仕方ないから、図録を買いました。

展示は9月23日までやっています。1室だけだけど、かなり見ごたえがあり、私、ここに2時間くらいいたよ。単眼鏡で細部まで観た。本当に細かく彫ってある。これは信仰の証と仏師の心意気なんだよね。

ちょっと面白かったコト。この展示を“なむあみだ仏”(ゲーム&アニメ)フリークのお嬢さんが観に来ていた。龍王と地蔵菩薩推しだったらしい(笑)。龍王様がいて良かったね。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年09月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930