生まれ故郷の千曲川が決壊し新幹線の車両基地が水没してる映像を見せられた。それよりも何よりも川沿いにあれ程の住宅が出来ていたことに驚かされた。7つ離れた兄達同級生にくっ付いて川遊び、ジンケン、ハヤ捕まえに連れてって貰った。土手の下は見渡す限り家なんか一軒も無い。川の瀬には小さい軽石がゴロゴロ、家の建ってる辺りはトマトとスイカ畑だった気がする。土手の上には鬼胡桃の木が一本あってワンサカ拾って来てホウロウで炙って口が開くのを待ってホジクッテおやつ、今時の
だ。ホウロウじゃないホウロクだって。
水もきれいで水量が膝下位しかないのに溺れかけた記憶が今でもある。
水流で横になって流され、(プールでは泳げてたのに、今で云う河童の川流れ?)楽しんで居たが手で川底に捕まろうにも波でシコタマ水を飲んだ。兄貴達は笑いながら「立て立て」と囃してたのが耳に残ってた。なんて事は無い立ったら膝下位だったっけ。大きくなって、溺れるってこんなもんなんだとニュースを聞くたびに思ったものだ。助けてくれなかったので恨んだものだが、タイミングのいいアドバイスが必要なのは子供を持って理解した。
結構恨まれる様な思いを俺もさせたものだ。特に長男には二階のミシンの天板の裏に「オヤジ死ね」には堪えた。数年後ミシンを買い換える為に下の階に降ろす際手伝ってた時妻に言われる迄知らなかった。その頃息子は東京で新聞奨学生。相当恨まれてたって事だ、知らないで良かった。姉や義母には厳しすぎると言われた事も有ったが、病気のせいでマサカこんなに生きていられるとは。もっとノンビリさせてやれば良かったのか?
今週末孫の七五三に先方のご両親と呼ばれるてる際披露してやるかな。
いい事も引き継がれている気がする。風邪で鼻がつまってた際僕が父親にされた様に鼻を口で吸ってくれたお陰で楽になった。鼻がかめ無い子供達にはみんなそうして来た。女房に感心されてる一つでもある。後付けではあるが産んでもらった子供だからね。
FBに載ってるらしい投稿
背負うた子に教えられ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191014-10130973-nksports-spo
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