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2020年07月05日10:42

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愛宮真備 エノミヤ・ラッサール

イェーガー神父の研究書、清水大介『波即海』の注記にエノミヤ・ラッサールの名前を見て、学生時代に本を立ち読みしただけで、大して興味を持たなかったことを思い出しました。
著書を確認していたらAmazon Prime Video に彼の伝記映画を見つけました。

「愛−雲 フーゴ真備 愛宮・ラサ−ル  禅とキリスト教の架け橋」
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07WPWWYYL

字幕の出来があまり良くなく(なぜか平仮名の「く」が全て抜けているなど)、時々一時停止しないと字幕が読めなかったりしますが、とても興味深い内容でした。そういえば彼は広島で被曝していたんだっけと朧げな記憶が蘇ってきました。
間に十牛図の解説が挟まりますが、これは飛ばしながら見ていきました。エノミヤ・ラッサールについてクラウス・リーゼンフーバーやイェーガー事件のヴィリギス・イェーガー神父がコメントしています。
クラウス・リーゼンフーバーは中世哲学の専門家とだけ思っていましたが、彼自身禅に打ち込んでいる方であるのを初めて知りました。
イェーガーは6年間エノミヤ・ラッサールの指導を鎌倉で受けられた方でした。
ラッサールの友人としてライモン・パニッカーが広島に訪ねて来たときのメモがありましたが、彼の名をエスタニスラウ・ヨパルト神父の伝記で見かけたことがあります。
確認してみると64ページにこうあります。
La mare del conegut Raimon Panikkar, per exemple, considerava el P. Estanislau com el seu Guru.
カタロニア語なのでGoogle翻訳を使って、その訳文を直してみるとこうなります。
「たとえば、有名なライモン・パニッカーの母親は、エスタニスラウ神父を彼女のグルと見なしていました。」
Wikipediaを見るとインド人のヒンドゥー教徒の父とカタロニア地方のカトリックの母親から生まれた方ですね。
押田成人神父の本にもライモン・パニッカーは出てきますし、諸宗教の統合に向かう巨大な霊的潮流のようなものを感じます。(松岡由香子さんも押田神父に可愛がられたそうです)

ローマ教皇パウロ6世に謁見したとき、何をしているのか尋ねられて「仏教です」と答えたエピソードに驚きました。異端の嫌疑をかけられそうになったのに、こう言うことができるまでになったのかと…

もうすぐ七夕ですが、ラッサールは1990年7月7日正午過ぎ、ドイツのミュンスターで没しました。遺体は日本の仏教の慣習に倣い荼毘に付され、遺骨は広島の世界平和記念聖堂に納められているそうですが、身体の復活の教義を持つカトリックの神父として遺体を火葬するのは考えられないことと驚きました。
一度世界平和記念聖堂を訪ねてみたいと思いました。

以下その伝記映画のメモと字幕の抜き書きです。

00:37:33 クラウス・リーゼンフーバーのコメント

1:00:37
ローマでの如才ない巧みな論法が功を奏し、異端との非難は免れた。
が、禅の教導の禁止は解かれなかった。
時が経つにつれ彼は心身ともに消耗し、
修道会を去ることまで思い詰めた。
ヒンドゥー教とキリスト教の対話の開拓者であるライモン・パニッカーは、ローマから戻った友人ラサールを広島に訪ね、当時のことをこう記している。
「私は一人の偉大な人間が微妙な苦しい立場にいるのを見た。異種の文化と宗教の遭遇は戯れではない。彼は65歳にして総ての道を閉ざされてしまったように見えた。信奉者も後継者もなく、彼自身の修道会からもローマからも認められる見通しはなかった。彼は何に従うべきなのだろうか、彼の心にか、あるいは修道会にか。」

1:13:50 クラウス・リーゼンフーバー
ラサール神父は、禅仏教をキリスト教に近い存在でありうるものとして受け入れました。
それはキリスト教全体に重要な役割を果たしうる、確固とした業績です。
それは禅において大変良いことです。
なぜなら禅仏教はドグマを持たないからです。
禅は概念や問答を通してのものではなく、禅とは経験であるからこそなのです。
ただ坐るのです。
他の人たちがどのような意図を持っているかは全く関係ありません。
共に坐ることで、どのようにか、自分自身の確信、親交の信念の有無を、疑問視することなく、内奥深く連帯が生じるのです。

1:15:56
エルマウ城でのラサールの講演の成功は反響を巻き起こした。
1968年8月24日、ラサールはニーダーアルタイヒでドイツで初めての禅の講習会を開催した。
このときだけでも10月までに980名もの興味を持った人々が参加した。
同年10月13日、ラサールは教皇パウロ6世に個人謁見をした。
ラサールは日記にこう記している。
「教皇は、私が何をしているのか訊ねられました。
仏教です、と私は答えました。
教皇は直ぐに言われました。
それは重要なことです。そのようなものを私たちは見いだし、接触しなければなりません。ありがとう。あなたのために祈ります。
私は続けました。より詳しく言いますと、禅の瞑想を修行しています、と。
それは精神集中の一種だろうか、と教皇は問われました。
教皇は更に、私が禅について本を書いたか訊かれ、私ははいと答えました。」

1:23:48 ラサール
私は何十年も禅を修行してきました。
始めた頃、私は言いました。
「禅は禅、私のキリスト教の信仰は信仰。
そのキリスト教の信仰の妨げにならないうちは、老師の言うことには総て盲目的に従おう」と。
止めだ、終わりだ。
時とともに一体になったのです。
今やそれは完全に一つ。ただ、一つなのです。

1:24:18 イェーガー
私たち人間は無限の流れの、ほんの小さな一滴にすぎません。
そして私たちは、この一滴から、本来の自分とは何であるか真に把握するために、この限定された自己から、解脱することを理解せねばならないのです。
これこそ禅の、キリスト教神秘主義の、そしてイスラム神秘主義の課題なのです。

これには三つの次元があります。
人間性を持つ次元、人格神。
単純に観念の次元、知性による理解の次元です。
しかしそれはすべてまだ『自己』の中に留まります。
もし私が「自我」を脱却したら、「自我」は脱却できるのですが、そして私がその道を進めば、ある境地に到達するのです。
そこでは私は沈黙し、何も語るべきものが無いのです。
ラサール神父は、私は六年間、日本の鎌倉で一緒に過ごしましたが、彼は常に敬虔なキリスト教徒でした。
鎌倉の接心では彼は全く一人で隅に坐り、そしてミサも行いました。
ラサールにとってミサのない日は一日もありませんでした。
生涯最後の日までそれは変わりませんでした。
彼は確かに悟り経験をしましたが、しかし根本的にキリスト教の枠から脱却することは決してなかったのです。

1:34:25 クラウス・リーゼンフーバーのコメント

1:37:05
フーゴ・真備 愛宮ラサールは多くの人々の人生に影響を及ぼした。
彼らの多くは生前彼を敬っていた。
彼は見性し、悟りに達し、経験した。
にもかかわらず、ラサールは最後まで自己疑心と闘い続けた。
死が迫った頃、彼はこう書き記している。
「私は不安とともに生きねばならない。
私を知る人はそれに気づかない。
しかし彼らは私の心の奥深いところまで知っている訳ではない。
私は片端だ、けれど私の友人にも崇拝者にもそれは見えていないし、また信じないのだ。
一方では私は精神的意味において余りあるほど恵まれている。
けれどこれは私の秘密だ。死に至るまでの秘密なのだ。」

私註:道元は見性という言葉を嫌っていました。ラッサールの師事した老師は曹洞禅ですが、臨済宗の影響を受け見性を重視する方でした。
ラッサールは道元の悟り体験を目指さない坐禅を受け継がなかったので、晩年こんな苦悩を背負ったのでしょうか?

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