哲学者の西田幾多郎氏は金沢出身です。ですが、この方の思想はとても難解でちょっとやそっとでは完全に理解することは難しいです。
しかし先日Eテレの100分de名著という番組で「善の研究」という西田氏の名著をやっていたのを途中からですが、見させていただきました。
この中で出てきた「純粋経験」という概念は、遠藤先生という私の指圧の先生がおっしゃっている「氣」と「経絡」に向き合うときの姿勢を最も分かりやすく伝える概念だと悟りました。遠藤先生は「我を捨てなさい」と書かれています。「治したい」と思うことも捨てなさいと教えておられます。「我」を捨て去った時に本当の氣の経絡が見えてくると伝えておられますが、それは西田氏がおっしゃっていいる「純粋経験」という状態を自らの中に生み出すことなのだと思います。
経絡というものはその存在がまだ立証されていないものです。あくまでの今のところ人の想念の中にしかありえないものだと言われています。しかし西田哲学の中に在る「実在」という概念で捉えるならば「経絡」は純粋経験によってそれを実在と捉えられるものだということになるみたいです。
思想や思慮分別、判断というものを取っ払った後に純粋経験というものが人を「本当に物事の真実を見る」境地へと誘ってくれます。
私はまだ経絡の片鱗をつかんだ状態にすぎないのですが、今も常に経絡にアクセスすることに挑戦し続けて行こうと思っております。それは西田哲学の思想にもつながることなのだと思いいたりました。
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