お客様の身体の氣の通り方を足裏の湧泉というツボから視ることにしています。きれいに通っていると身体の中をすーーっと通って頭の百会というツボにつながります。
けれどなかなかそういう方はおられません。どこかで滞っていて、そこを解して通してあげることがほとんどです。それも一つの「診」になります。身体を視る、診ることが大切です。足裏の反射区の状態、身体の経絡線(仮)の状態、お腹の反射区の状態、痛みやくすぐったさの様子、体全体の氣の状態を視ていきます。判断は逐一していきますが、決して決断はしません。人の身体というものはそんなに簡単に分かりきるものではありません。
こういう状態かもしれないというのが最後まで続くのがほとんどです。それでも最初の状態よりも氣の通り方は格段によくなっています。それは人の氣というものが他者に気づいてもらうと嬉しくなって元気になるのが普通だからです。人の「氣」というのは他者の氣に敏感で、しかも気づいてもらったり労わってもらうという「気遣い」に対してとてもプラスな反応をするのが普通です。
逆に誰にも気遣ってもらえない状態が続くと身体の氣は弱っていきます。そういう意味では人の身体は他者の「愛情」でエネルギーをもらっていると言うことなのかもしれません。
中には自然界を流れる「氣」と通じ合って自らの氣にエネルギーを与える修行者の方もおられますが、ほとんどの人は他者の親切やお世話や愛情や気遣いで気力をもらっているのだということです。
親の愛で子供の身体の氣は育ちます。気力というのは生命力と同じものです。人の命は大地や大気からの愛と愛するものの氣によって生かされているのだと私は施術をしながらいつも感じています。
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