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2021年05月18日17:00

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【映画叙景】高層化ニアリイコール非人間化

●『空に住む』('20/114分)…(ネット配信)

久々の映画叙景ですが、本作は2020年キネマ旬報ベスト日本映画9位であり、青山真治監督作品ということで興味はありましたが、一般評価はメチャメチャ低いというので恐々観ました。
そして、一般評価の低い原因がよく理解出来ました。
作品の良し悪し以前に生理的に受け付けない人が多かったのだろうと考えられます。というか一般的感覚との共感性を全く無視した物語だった様にも見えました。
私自身、この物語の登場人物に共感する部分は一切見つからなかったし、SF映画以上にまるで別世界の生き物の生態を見せられている様な感覚でした。
そういう意味では、タイトル通りまさに空の上のお話であり、一般評価の低さは、仕事に追われ日々の生活をどう生きるかで精一杯の人間からすると、実感は伴わないし興味も持てない遠い世界の物語と感じてしまったのでしょう。

では何故、専門家筋の評価が高かったのか?ということですが、その共感性の薄さこそが現在社会のリアルと感じたからかも知れません。
私はアルバイトで(映画程の高級感はない)高層マンションを含む統合型マンション群の夜間管理をしていますが、今の社会のリアルな人間関係というのは、むしろこの映画の気持ち悪さの方により近いのかも知れないと、仕事を通して日々感じています。住家とその住人の人間性や知性や精神的安定度や幸福感等々、決して比例も一致もしていないという事が、今の仕事を通してよく分かります。この映画にもコンシェルジュか出てきましたが、毎日其処に住まう住人を眺めていたり会話することによってそういうことが薄っすらと垣間見えてきます。
人間ってそれぞれ個人として関わると人間臭く感じられても、(大型マンションなどの)隣人としての関りだけで見るとみんな宇宙人のようなものですからね。
私も仕事柄見ることがありますが、40階からの風景というものを毎日見ていると、人間としての様々な感覚が確実に失われ狂っていくと思われます。

何故かこの作品を観ながら“秋深き隣は何をする人ぞ”って俳句が頭に浮かんでいました。
これは松尾芭蕉の有名な句で、旅の途中、この句を読んだ2週間後に51歳で芭蕉は亡くなったそうです。
この句を私なりに解釈すると、“秋深き”は人生の終焉の予感であり、“隣は何をする人ぞ”はいざ人生を振り返ると、今あるのは孤独感・寂寥感だけという風に感じたのかも知れません。
で、本作に於いてのこの句の解釈だと、“秋深き”は人間の感覚そのものに冬が見えてきて、“隣は何をする人ぞ”は自己愛の行きつく果ての残り粕の様な、人間関係への渇望なのかも知れないなと思ってしまいました。
そういう意味に於いて、一人の女性を通して描かれている都会の人間の感覚って、決して好きにはなれないけど…あながち遠い人達の話でもないのかも知れませんね。

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