コロナウィルス問題に大雨なども加わって、
心配な日が続きますが、皆様お元気でしょうか?
日常生活が変わってしまっている方も多いと聞きます。
沢山の仕事の重圧を受け時間に追われる毎日も大変でしょうが、
する仕事が無く暇なのはもっと辛いかもしれません。やはり人は、
気に入りの仕事が適度にできる状態である事が望ましいと思います。
必ずしも職業としてではなく、また世間で称賛されるような活躍でもなく、
個人的なちょっとした用事、日常の簡単な家事や趣味的な作業なども含めて、
自分の仕事があって、それをできるという事は何方にとっても重要でしょう。
特に高齢者や療養中の方たち、心身の不自由になっている方たちにとっては、
自分のできる仕事がある、何らかの作業を自分でする、できるという事が、
精神的な励みになり、身体的なトレーニングにも繋がる重大事でしょう。
私の場合は未だ、この世界で為すべき仕事がありますので、もう暫くは
なるべく心身の健康を保って精進するつもりでおります。それに現実は、
筍の世話が終わればミニトマト、ブルーベリーなどと次々用事が来ます。
人は本来「存在するだけで有意義な役目を担うために生まれてくる」、即ち
天地人「三才」という運営システムの安定に貢献するのが人の仕事ですので、
それができる人に成り且つ実行する事が人に求められています。その人とは、
必ずしも未だ真霊体を自立していなくても、私利私欲の薄い、公心の人ですね。
本来の人の性質は「善良で穏やかで誠実である」との旨が経典にもあります。
その本性を基に各々の個性や能力が発揮される事が最も善い状態でしょう。
この「善い」とは勿論、先天炁が自然に順調に活動できる状態を指します。
そういう性質を発揮できるように成っている人だけでなく、そういう意識に
一時的でも為っている状態の人が三才の運営に貢献できるという道理です。
という訳で、知能や身体に問題があろうと、外見が素晴らしくなかろうと、
この「善良で穏やかで誠実である」という事を踏まえて、あるいは追究して
日々を送っているならば、それだけで道的に有意義な仕事と言えるでしょう。
天地、神仏に感謝する気持ちを起こす事も、善良で誠実な人のラインです。
日々そのような気持ちで過ごし、周囲に、特に若年者や子供たちに善良で
誠実な生き方を示すのは大善事です。それは当然自身にも返ってきます。
安静状態を強いられているような立場でも、意識があって、心坐をしたり、
心の中で鎮心経などをお唱えする作業を実行される場合は、実行しなくて
常識的に暮らしている人たち以上の善事ができていることになる筈です。
そのような意味で、思う活動ができなくて時間を持て余しておられる方、
動的に活躍できない高齢者やご病人にも、今の時間を大いに活用して、
本来の仕事に繋がる善い仕事をして頂きたい、と希望いたします。
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