アニメの「演出」というものがどれほど大事かと言うと、普通の人気作だった『鬼滅の刃』がここまで大ヒットとなっているのはやはりアニメの影響が大きいと思う。と、いうよりも善逸の凄さはアニメでないと表現できない類のものだし、鼓屋敷の面白さ(鬼が鼓を打つたびに重力が変化して部屋の上下左右が入れ替わる)もアニメならではだと思う。
マンガとしての面白さに声優の表現力やら演出やらが加わったらどんどん面白くなるのは当然だけれども、面白い原作をあまり面白くなくする演出があることもまた事実。(面白い原作を全く面白くなくさせる『7SEEDS』みたいな作品もあるし)
そうなるとやはり良い監督に当たるかどうかは重要だなあ。
実は大分前に『絶園のテンペスト』を観たときに、ほんの一瞬の演出にものすごい衝撃を受けた。物語がクライマックスになって主人公の一人真広の両親と妹の愛花を殺した犯人の正体が遂に明らかになる。それはなんと・・・で、物語のラストで真広と吉野は愛花が残した映像のメッセージを見るのだが、そこにはあっけらかんと自分の死ぬ寸前に撮影した愛花がいるのだが、マンガでは「では今度こそお元気で」と明るく笑った映像で終わっている。ところが、アニメでは明るく挨拶した後、一瞬暗い顔で映像を切る愛花が映るのだ。多分マンガ通りなら絵コンテでもそのまま映像を切るはずなのだが、おそらく演出家は「いやいや、それは違うだろう。どんなに宿命に準じる決心をしていても、愛する男たちに最後の別れを告げたとしても今から両親を殺して死ぬ人間が笑ったままでいるわけがない。絶園の魔法使いだろうがなんだろうが、中学三年生の素顔が一瞬現れるはずだ」という多分演出家の判断でほんの一瞬だけ(多分0.5秒)真顔に戻る愛花が描かれているのだ。この0.5秒の演出でどれほど物語が広がってどれだけ登場人物が深く描かれるかがつまりアニメの演出だと思う。この0.5秒の変化というのは戯画化されたアニメだからこそ表現できるものだと思うからこそアニメというのは素晴らしいとつくづく思う。
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