mixiユーザー(id:411965)

2020年03月23日00:15

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「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」映画

『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』
<ストーリー>
 学生運動が激化していた1969年5月13日、東大全共闘の申し出を受けて三島由紀夫は全共闘が支配する駒場キャンパスの900番教室で1000人の三島由紀夫に反感を抱く東大全共闘の学生相手の討論会に出席する・・・
<コメント>
 ドキュメンタリーって退屈なんだよなあ・・・と最初は思っていたけれども、観始めるとそのとんでもない迫力にまず圧倒される。学生運動が盛んだった1969年僕はまだ『電撃スパイ作戦』に夢中だった中学生でその存在さえもまだよく理解できていなかった。さらに高校生になってそういう問題に関心を寄せ始めるころになるともう浅間山荘事件から発覚した内ゲバによる内部処刑と言う名の殺し合いが報道され、学生運動自体も収束していった頃だった。だから革マル派とか全共闘とか民青とかの実態を知ったのは大分後で一概に左翼運動というイメージだった
 そんな中での全共闘の団体の中に右翼思想化として知られる三島由紀夫が乗り込んでいって討論会をするというのは今から考えてももう頭がおかしいとしか思えなかった。
 ところがここでドキュメンタリーというか、実際の映像の中で動いてしゃべる三島由紀夫のなんと魅力的でチャーミングなことか。
 いいがかりのように三島に詰め寄る学生たちに決して彼らの言い分を否定したり上げ足をとったりしないでしっかりと聞いてから概念論には概念論で、具体例には具体例でユーモアを交えながら自論で応える三島由紀夫にやがて学生達が圧倒されていくのがなんとなく見えてくるのだ。
 そして全共闘という存在のあり方や立ち位置までもが判ってくるこのあたりは凄い。
 ところで、全共闘一番の論客という青年との討論で彼が舐めきった態度で概念論だけをぶつけてくるのに対して「反知性主義」を唱えながらきちんとサルトルなどを引用しながら知性でこれを退ける。そして「やってられないよ」と退席した論客が現在のインタビューでも時代錯誤な発言を繰り返しているのを観ると「知性」って一体何なのかとさえ思ってしまう。
 ああ、もうなんぼでも書きたいし、しゃべりたいけれどもとりあえず三島由紀夫という矛盾を抱え、それを良しとした作家の動く姿にすっかり魅了されてしまった。

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実
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