「年をとると涙もろくなる」というのは普通によく聞く話で確かに最近はとみに涙もろくなってきた。しかし、元々感激屋で映画とか本など読んで感動して涙ぐむことが多かったので別段涙もろくなって困ることはないと思っていた。ところが実は涙もろくなるというのは受動的な場合だけでなく、能動的な場合にも発揮されることに気づいて愕然としてしまった。
つまり、本を読んだり映画を見たときだけでなく、他人と話をしている場合でも自分の琴線に触れる作品の話をしたらそれだけで涙ぐんでくるのだ。
先日も娘に「医者だったらヤングの『ジャングル・ドクター』は読んどいた方がいいよ」と言ってストーリーを紹介してクライマックスを語ろうとしたときに「それで男が・・・もうどうなってもいいと思って手が血にまみれた状態で座り込んだときに・・・あの奇妙なサンダルの彼女が現れて言うんだよ。『もう大丈夫、だって私がきたんだから』・・・って・・・」半分泣きながら語ってしまった。娘は呆れながらも「判った、読んでみるよ」と言ってくれたけれどもきっと心の中は(何、この親父)と思っていることだろう。
このままでは他人に自分が感動した話を語れなくなるのではないかと戦慄している。
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