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2019年11月20日10:08

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国語で考える2読み書き脳1

私たち日本人は今日の近代文明を幕末から明治初年以降急速に取り入れてきました。帝国主義の萌芽の時代以来、世界中のほとんどの地域の人々も過去百年余りの間に欧米近代文明を取り入れてきました。
その際日本は、欧米近代文明を自国語に翻訳して誰にも理解できるものにしました。日本人が近代科学技術を学ぶに当たって英語や欧州の言葉を学んでから科学技術を学んだのは明治の初期ころだけで、その後は日本語で学びました。日本人はすべての西洋先進文明を日本語に翻訳したのです。
そんなことを、国家を挙げてやったのは世界で日本だけです。
明治になるまで、私たち日本人は弁論というものにほとんど関心を持ちませんでした。江戸時代には都会で芝居や落語が生まれましたが、指導階級である武士の間では、考えを戦わせるのはすべて文書によって行うものでした。ここには中国で官吏登用のために時代(国)を超えて行われてきた科挙の試験がすべて文書=文章で行われてきたことの影響が見えます。
読み書き言葉はもともと中国からもたらされたものです。中国語は今日でも極端な単音節的な言葉で、一語一語が短く、同音異義語が多い言語です。漢字が考案され普及したのは地方によって異なる言語発音を補い統一する意味を持っていました。抽象的な考えや重要な内容を互いに間違いなく伝えるために、国家の力で普及させた漢字が活躍したのです。
それを文字として学んだ日本でもやはり読み書き言葉が主流になって来たのです。このことは日本の歴史研究の中に占める手紙の類の多さにも現れています。例えば激動期の幕末から明治初期の手紙の類が膨大に残っており、しかもそこに具体的に大切な内容がほぼ完全に書き残されている場合が多いことにも現れています。それは当時の人たちが文書で議論していたことの証拠です。
日本語文化にとって、その文化の形は読み書き言葉によって形成されるものであって、決して話し言葉で形成されるものではなかったのです。その後日本が世界最大の新聞大国であり続けてきた理由もここにあるはずです。
世界中の新聞を発行部数でみると、今日なおトップ10のうち5紙は日本の新聞です。庶民は新聞で常識を磨いたのです。それをいま捨てようとしているように見えるのは遺憾なことです。
漢字2文字による熟語は、そのかなりの部分が明治時代に生まれたことをご存知ですか。欧米語の翻訳語は、科学、教育、学習、などなどをはじめその多く、いやほとんどが明治期の産物です。
江戸末期には学問を志す人たちの間に漢音ブームがありました。仏教の呉音読みや江戸初期以来の朱子学の宋音読みに比べて、当時のインテリたちの流行ですからカッコよかったのです。そこから呉音、宋音を卑下する傾向も現れ、これが明治になって近代西欧文明の翻訳に際して影響を与えました。
現代使われる2文字、3文字、4文字の熟語の大半は明治期に創作されたものですから、そのほとんどは漢音読みの熟語です。
その特徴の一つは、ほぼ同じ意味の漢字を2つ続けた熟語です。知識、幼稚、道路などなど。また漢字の意味を繋げて、意味の伝達速度を速め、同時に使用する活字の量を削減するために作った熟語もたくさんあります。口語、調査、航海、なども明治以降に創作された多くの2文字熟語の一部です。
日本では江戸期を通して戦争がありませんでしたから、社会から言えば「余りもの」だった武士階級が教育の授受を主に行いました。寺子屋があったとはいえ、西洋ほど宗教者が知識階級の役割を果たす必要がなかったのでしょう。ちなみに○○往来という数多く残っている江戸期の書物は寺子屋などで使われた教科書のことです。ここで「往来」と呼んだのは「どこでも通じる言葉」の意味があったのだとする学者もいます。

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