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2019年09月24日02:51

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☢️「臨界」の残像―JCO事故20年―(上)(中)(下)

☢「臨界」の残像―JCO事故20年―
(上)タブーだった被ばく医療 当時の医師「人命軽視だった」 教訓生かされたか
2019年9月21日 14時19分
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20190921/k00/00m/040/129000c
日本の原子力産業で、初めて被ばくによる死者が出たのが、1999年に起こったJCO臨界事故だった。この20年の間に、福島第1原発事故も発生。二つの原子力災害から浮かび上がる課題を追った。
「バシッ」。99年9月30日、核燃料を加工していた「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所(茨城県東海村)で異音とともに青い閃光(せんこう)が放たれた。その瞬間、放射性物質のウラン溶液を扱う作業中だった社員の大内久さんと篠原理人(まさと)さんの体を、強烈な放射線が通過した。



☢「臨界」の残像―JCO事故20年―
(中)変わらない原子力の現場 元作業員「放射線の怖さ 教えてもらえなかった」
2019年9月22日 14時00分
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20190921/k00/00m/040/136000c
「放射線から正しく身を守る方法について、誰かに教えてもらったことはなかった。現場ではそれが普通のことで、その怖さを理解しきれていなかった」
九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)で下請け作業をし、東京電力福島第1原発(福島県)では廃炉作業に携わった作業員の男性(45)=北九州市=は、自らが経験した現場を振り返った。



☢「臨界」の残像―JCO事故20年―
(下)「そんなにやばいことが」情報なく 住民避難 福島事故でも浮かぶ課題
2019年9月23日 14時00分
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20190921/k00/00m/040/143000c
1999年9月30日午前10時35分ごろ、茨城県東海村で臨界事故が起きた。「情報が乏しく、どうしていいか分からなかった」。原子力関連施設が並ぶ海沿いから内陸へ約5キロ入った茨城県東海村の市街地。そこで旅館を営む坂場誠さん(57)が覚えている印象だ。

坂場さんは防災無線で事故発生を知ったが、「場所は(原子力関連施設が多い)どうせ海側だろう」と思っていた。昼過ぎ、テレビ局の電話取材で、事故現場が旅館から約400メートル離れたジェー・シー・オー(JCO)東海事業所と知った。

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