「強火をやめると、誰でも料理がうまくなる!」という水島 弘史さんの本を、最近手に入れた。そこそこの味でも私も藤吾さんも問題ないが、あびがうるさい。同じものでも、いまいちな調理だと食べるのに苦労している。あびの体重問題も相変わらずだから、おいしく煮たり焼いたりする基本、味付けの規則などを学びたかった。
この本は、料理を科学的に書いていて、とてもおもしろい。料理は感性と思っていたけど、目からうろこの事実がたくさんあった。
しかも、料理が簡単になった。
たとえば、一昨日は、この本のやり方を踏襲しつつ、うちに残っていた鳥腿肉でクスクスを作った。
特に変わったレシピではなく、ごくごく普通の分量、調味料に従った。玉ねぎ、にんじん、ズッキーニ、蕪がなかったのでマッシュルームを適当な大きさに切り、冷たい鍋に入れ、油をまわしかける。それを強めの弱火にかけてしばらく放っておく。ジューッと小さな音がし始めたら時々かき混ぜ、野菜がしんなりするまで10分くらいいためた。途中でクミン、パプリカなどのクスクスの香辛料も入れた。
鶏腿肉は、軽く塩をして(最終的に全体の6~8%になるようにするのだけど、ここでは焼き色をつけやすくするためなので少しだけ、だそうだ)同じく冷たいフライパンに載せて油をまぶし、片面ずつ弱火で焼く。1~2分してジューッと言い出し、出て来るにごった肉汁はキッチンペーパーでふき取る。それはアクなんだそうだ。焼いたお肉がなんとなく肉臭くて香ばしくなく、あびがまずそうにフォークでつつくのを何度みたことか。私自身はスパイスなんかでごまかせば食べられてしまうけど、あの子はそれが出来ない。この本を読んで、あびの味覚が正しかったことを思い知らされる。
軽く焼き目がつくまで時間をかけて焼くと、厚みの半分くらいが白くなる。そこでひっくり返して同じ作業。
野菜も肉もほとんど「このままでも食べられる」か、それよりちょっとだけ手前の焼き加減のところで、鶏肉を野菜の鍋の野菜の上に載せて、トマトを入れ、あら塩をぱらぱらかけてふたをする。弱火で数分で野菜から水分が出て、具の半分くらいが汁につかった状態。私はそこで、残っていたチキンブイヨンをひたひたよりちょっと少ないくらいに入れて、濃縮トマトペーストを入れたけど、生トマトがたくさんあれば生トマトたくさんで、水分を足さないのでもいいと思う。
数分煮込んでなじんだら、火を止めて1時間くらい置く。煮物の塩分は、冷めるときに食材の中にしみこむらしいので、一回冷ましてから暖めて食べたほうが、大きな野菜のなかまで味があって、苦手な野菜も子どもが食べてくれる。
コロナで家にいるから、このゆっくりな作り方が可能、と言えばそうなのだけど、こういう煮物なら前日の夜に作り置いておけばいいんだから、計画すれば出来る。それに、放っておく時間が長くて、けっこう楽なのだ。弱火で焼くから鍋やフライパンに食材がこびりつかなくて、洗うのも楽。
今までばたばたとやっていたのがバカみたいに、肉も野菜もとろけるような、おいしいクスクスが出来た。
カナダ人レシピで大人3人分の分量作って、藤吾さんは一人分以上食べ、私も結局一人前食べてしまい、母子3人でお鍋を空にした。藤吾さんが、食べ過ぎた~とハイジに出てくるペーターみたいにおなかを抱えてうんうん言う。
サザエさんのかつおとか、アニメでよく見た元気な男の子がいつもおなかを空かしていて、たくさん食べるというの、3人姉妹の我が家ではなんだかステレオタイプと思ったのだけど、藤吾さんを見ていると、これくらいの歳の男の子って本当にこんななんだなーと思う。
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