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2018年07月27日06:18

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猛暑は終わりかなと思う次には・・・

 台風がやってくる日本列島・・・やりきれまへんな〜…地震、猛暑に夏台風の襲来よ・・・猛暑の中で土砂除去作業・・・ボランテアさんも熱中症に気を付けながら・・・

 右の聴覚機能の低下?・・・三ヶ月以前から・・・老いると個人差はあるが機能低下の部位が出てくる・・・右側の聴覚不全が忍び寄って来た感じがする・・・老いると全ての機能は徐々に低下へと進むのだが、全ての機能が足並みそろえて徐々に低下をすればそれは老衰と言うことになるようだが、、
 一機能の弱体が激しい時も有るようだ・・・それら機能不全は、体全体のバランスが破壊されて終わる、ことになる一つの旅立ちの様子。
 
 老いると骨類も密度が低下、筋肉も減少する老体である・・・これは物理的法則その物であると思う。筋肉が減少すれば骨密度は低下する・・・これは比例関係にある・・・これは物質と言う身体の因縁果であることから逃れられないことでもある。

 特に八十代にでもなれば個人差はあっても完全なる老化が身体的に襲来する物である。例え気持ちは若いと思って居ても身体は物質であるから正確に老いて行く。
 そして身体は日々、老化の一途をたどるのである。身体的にそれが微妙であれば刻々の低下は知ることは出来ない
 
 気力は有っても、人間人体には限界がある物である。・・・生きるだけ生き続ければ、後は大自然に沿うのみである。そして次の世へ思いを馳せる・・・ことが出来ればいいのだけれども・・・人それぞれに思いは違うのである。
 
 その人世は、やはり夢であるのであり、いかようなこの世であっても、万物から抜け出てこの世を脱出せざるを得ないのである。

 このおいらの八十四年間は、夢だったを実感する物である。そして、この先々は、想像できても全く不明であるのである。

 未来死は確定できても、その時点の確定は不可能である。そして先々の夢は、どうなんだろうか?・・・

 しかし、ゼロにはならない この体は消滅しても 念は永遠である・・・個々的に・・・大いに慌てることはあっても、恐れることはないのであることを忘却せず・・・
 
 八十四歳にでもなれば、先々を思う者でもある。過去を懐かしみながらも・・・

 たとえ百歳まで生きたとしても業から脱出せざるを得ないのである。

 「業」とは底のない物であることに気がつく・・・人の一生とは、「業」その物である。「業」とは、生活欲だと考えているおいらである。

 「業」の定義は諸説あると思うけれど、おいら的には生活欲を言う。

 日々分かりやすく生きて居るのだから・・・日常表面として・・・日常の裏側は、知りて知らざる潜在的蠢きか・・・そこに「業」カルマと言うものが鎮座してござるのか?・・・

 「業」と言う文字を知らされても その根底が不明で何もかもわからないのである・・・永遠に・・・

人達は、日常生活をそれなりに過ごして居ても、人間存在には無関心であるのが大方だが・・・なぜならば、「業」に「生活欲」に振り回されているからである・・・

 勿論、自分自身は知り得る範囲で知っているのであり、自分自身を根源的に知ることは出来ないのである。

 なぜなのか?・・・そのことは文字言葉以前のことでもあるからだ とも考えることをするのであるけれども・・・それより先は思考世界以前であるからだ と思うからでもあるが・・・人間存在の不明に行き当たるのである。しかし、生きて生きて生き抜きななはれ!・・・

 世人
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