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2018年07月19日06:13

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おいら84歳だが今日の最高気温予報は京都39℃とか・・・

 東、北、西と山に囲われた京都市内はやはり猛暑になりやすいのかもしれない。酷暑は、外出時、体全体が、もわっとしたような蒸し暑さに包まれる。体の動きが躊躇される。でも、買い物に行かなけりゃならない・・・家の前までの日用雑貨の宅配生協もあるけれども・・・しかし、今までの生活習慣に依存してしまうものだ・・・
 
 猛暑を生きる八十四歳・・・猛暑もめげず?猛者ではなく弱者だが、おいら八十四歳も今日まで
欲生き長らえて居る物だと・・・この不思議、我も知ることなかれなる ただ、日々を意気している・・・
我ながら感心する我なのだが・・・

 テレビのチャンネルを変えるたびごとにそれぞれに人はその場面あの場面などの映像に動画している・・・新聞記事もあちこちとお忙しい記事が目白押し・・・おいらの日常生活範囲は本当に狭い範囲だが、ビジネスなどで地球を周回しているお人もいらっしゃる・・・かと思えば、その地域に生れ落ちその地域でほとんどの生涯を過ごし旅立つ人も居る。
 
 以前から、物と物との比較は単純が大方のようだと思って居るが、その比較なども現実のようでも夢のような物でもある と思う時があるのはなぜだろうか・・・
 現実生活者として思考が即実践へと行き、物を思わなくすればいいのだが、思考主義者は、次から次へと思考回路を回ることをする物だ。それが理屈屋の落ち目かも知れないのだが・・・
 
 おいらはどちらかと言うと、整理整頓ができていない思考回路を彷徨する物のようでもある。
 ある場面に、至る所から視野が覗き見るのと反対に、在る場面から、あちこちそちらへも至る所へ視野が広がって行く時にも出会ったりもする時も、それは非日常と言うものかもしれない。
 
 この内的生活者に対して外的生活者と言うのもある。内と外として区別するのは極端かも知れないが、内的生活者は内に求めて求め内なる者たちで、外的生活者は、思考眺めから広く五感行動に能動する日々を過ごしている風でもある。

 しかしながら、この記述は現実的ではなく日常的ではないのだが、人のその時の生理的習慣も関与するようでもあると思う。

 生理的習慣は各個人の習性のような物でもあり、自分自身にも理解できていない根源的な代物だと思って居る。・・・そして、思考前的行動でもある。直感行動と云ってもいいかもしれない。

 意識中の無意識的行動・・・過去から蓄積されてきた諸行為などを源としたことからの直観的行動である。当然、本人にもわからない因縁果とも言うべき内在である と思っている不思議であるが。おいら自身も人間の一端であるが、私は、おいら自身を理解できない者である。

 ただ、この日常生活内では生活者として生きて居るのだけれども・・・でも、時には、明日のために生きて居るのは決め事があるからなのだと言う風にも理解できるが・・・
 その自分自身をも理解できていない物を生活させているおいらは、何ものか?・・・と・・・非日常的思考回路の中でのお話である・・・失礼しました・・・世人・・・
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