mixiユーザー(id:40742891)

2016年09月26日08:39

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武士は食わねど高楊枝の大昔から・・・

 今は、自分自身に正直な言動の時代?・・・と思わせる場面に出会うことがある。それはある程度納得できることであるけれども、あまりにも落差が大きいのには驚かざるを得ない時も有る。
 
 スーツ姿の壮年の紳士の読んでいるというよりも見読本がマンガ本だったという今風の情景・・・その場面には、ある事情が有るのかもしれないと思いを改める時も有るけれども・・・
 
 漫画本は、昔、少年少女の見読む本と決めて掛かっていたから、私の思い込みの一つになって居たのであるが、それにしても、何だか解せないのであるけれども、その場面には、複雑怪奇な背景潜在があるのだろうと思う時が有る。表面的には、いろいろと言い分もあるだろうが、私の頭も古いのかな、と思い気がつく時も有る。
 しかし、今は、その前後、今の位地に自分自身を感じるのではなく、その思いをありのままに思うままに実践すること多かりしの多方面的自意識言動の時かもしれないと思うのである。しかし、多方面的我が思いの儘であることであるその位置存在者の一方向であり、その他、多様な多方面自意識実践場面もインターネットの流れに揺れ動いているようである。
 昔は、一方的上下関係的序列秩序の時代であったが、今、多様多方面的並列枝葉などが伸びて行く進行性展開の時のように思う。
 しかし、インターネットには、底しれない物が蠢いている。知らなくてもよいものまでを知ってしまったりしてしまうのである。
 今、教養とか言う物が、ある領域でとやかく言われるようになって居るが、「これを知らなくては恥である」という風な背表紙タイトルを見受けたが、日常生活に必須ではないのであって、恥とは、人間関係内の出来事であり、他人よりも優位に満たされたいと言うことである。人間関係において常に優位でありたいという観念は、個物的動物的属性に無意識比較していると思ってしまうのだが・・・我は我、私は私であれば、恥など無意味であると思って居るのである。ただ、社交的協調は人間関係において大切な場面であるが・・・
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