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2016年09月03日08:16

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男性も女性も繊細さに使われながらの日々だけれども・・・

 日々の過ごしの中で、思い入れの繊細さを欠かすことのできない場面もあるが、思い込みの激しいという性格的様子は、生まれながらの気質とその体験的無意識で内包されて居て、それは固定化されるものであって、自分自身には意識的にわからない場面でもある。日々とは、思い込みや思い入れなどの連続でもあるが・・・良き方向と悪しき方向が有るのである。そのことになかなか気が付きにくいが・・・
 しかし、男性の事細かさと女性の事細かさには差異もあり、当然個人差もある。人には、何かとの出会いで、それがきっかけで、様子が、がらりと違ってくる人もいらっしゃる。

 ついこの間まで愛想がとてもいい方だったが、急に、近所で出会っても、顔をうつむき加減にしてご挨拶もなく素通りされてしまうのである。「なんだろうな!・・・以前はとても愛想のいい方だったのに・・・」・・・。
 以前は、数年前まで従業員十数名の小さな民間の会社をされていたが、その後は、ご子息さんへ社長の椅子を譲られて、現役的には、隠居の身?のような日々を過ごされている風だが・・・奥様はどちらかと言えば男性的で朗らかでご愛嬌の言い方だが。最近外で、奥様もお見受けしない日が多い・・・。ご夫婦で隠遁生活されているのかな、と思ったりしているが、よそ様のことで、まあ、そんなものなのかとあまり気にも留めないのであるが・・・
 
 この町内は、昭和39年に建てられた新興住宅群である。入居当時、おいらは、30歳・・・次兄とお袋と姉のおいらの4人家族だったが、次兄は、幼稚園児だった男の子を交通事故で失い連れ合いとも離婚で一人者・・・姉は、夫がフイリッピンに海兵隊士官として駐屯していたが、喧嘩仲裁で事故死して一人者になってしまった。お袋も、連れ合いを亡くし二十数年になって居た。そこへ家内が嫁として入ってきた。
 その当時、この家には昔風に姑と小姑二人が居た。とても古風な考え方に固まっていた三人衆。新婚当時の家内には、今、考えてみると相当ストレスがかかり気を使いっぱなしの日々だったように思うが、その当時のおいらは、自分自身に凝り固まっていたから相手の気持ちを理解することはできなかった。本当に未熟で幼児的性格が強い人間だったと言うのだが・・・人の気持ちを無視する、想わない人間を反省することに気がつかされたが。やはり、自己意志が強い時も有るようだ。

 今、過ぎ去った過去を思う時、出会って来た無数の場面の記憶もあるが、八十歳代になり、おいらとは一体何んだったのかと、ふと、思う時が有る。・・・人間存在とは、一体何?と思わざるを得ないのである。このようなことを思う暇がないことが幸せなのか・・・不思議さは摩訶不思議と言う語句で不明でござるかな・・・しかし、この身業に生き抜かねばならない身でもある。
老いればさ、やはり、同じことを繰り返す以外にないのかな?とふと思うこともあるが・・・不思議で解せないことが居座っているからなのかもしれない。おいら自身決して認知症にはならないと思って居るが・・・自分自身で文字列を創ることに思考世界が広がって行くおいらに、おいら流であっても非物質的信念としての満足があるのである。
 
 人は それぞれそれなりに 生まれし地上に生まれ出て 地球の周りに宿りして 年月経って立ち去りぬ 良きにつけも悪しきについても 立ち去る先に 意味はない 文字も無くて言葉もなくて
ただ、念は永遠かな (この「念」は、辞書的意味解釈の外にある・・・)このことは、おいら的意味である・・・おいらの「念」は、物質的文字言語ではなく非物質的実在である。
このようなことを、おいらは時々、思考する癖がござるが・・・生まれながらの因果かもしれない。
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