mixiユーザー(id:40742891)

2015年11月20日09:10

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一般的私感として、イデオロギーと主義主張はあっても人社会は、自給自足と言う生き姿から・・・

 業を分けた生き姿へ発展せざるを得ない生き様から業の広深さに物々交換的延長上の金銭手段を資本と言わせて、先住民社会にも物々交換的間に先進諸国との交流が有る今、金融、金銭手段は、多少なりとも欠くことが出来ないように思うが、それぞれのイデオロギーも金融、金銭手段は生活の生きる全域であると言える時代に居るのだと思うのである。
 資本については、種々の方向、方法、論考、思考もあるけれども、要は、大昔以来の商い的根源に生かされているのである。
 今の時代、その経済的表現方は、言語的表現にも種々雑多があるが、今、いかなる社会も大方を、全て根源的商いによって、それら社会は成り立っているように思うのである。
 具体的には、アメリカ的資本主義は、自由圏として抽象されているけれども、ロシア、中国なども資本、金融などを抜き差しならぬ国家的生活者基本としながらも、そのイデオロギーは、不自由な独断を強要する囲いを譲らない一塊的支配として、今、ここに、依然といて守り通そうとしながらも日本語的共産と言う表現は、生活者実体とは相違している意味が通らない無意味に過ぎている。
 
 今、国際的経済と言う囲いの中では、地球上にて大方、関係性を共有せざるを得ない流通の流れの中に居る。大方の視野としての自由主義圏と共産主義圏のような思考生き様世界と宗教的思い込みなどの中の過激的狭さは、人々の日常的生活を不穏にさせて居る。
 このような時、殺人の道具としての爆発物などは、やはり、ノーベルの「陰」の部分だろうと思わざるを得ないのである。「陽」としてのノーベル賞は、讃えられるべき偉大さであるけれども、やはり、この時、人間の未熟さ未完さを思わずにはいられない。
 イデオロギーと言う言葉表現的実践の狭間で、人間達は、その矛盾と、その主張を堅持し争いながらの生き様は、人間存在の未熟未完のなせることであると思はざるを得ない。この地球と言う星も、因縁的途上なのだろうか・・・
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