mixiユーザー(id:40742891)

2015年11月12日08:45

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子どもを叱ることと子供に対する躾けるという暴力は、次元が違う・・・

 子供たちに対する暴力は、全人間と言う動物的な動きに過ぎない。そして、その因果は巡るようでもある。
 馬や牛などは、鞭でたたいて人間の思いを遂げさせることしかできないが、人は、言葉を知っていて、日々、言葉の送受で動作している。しかし、その人の心思えば、言葉で知らすことも可能であるが、言葉に不足している時は、その動物的行為に走ってしまうのである。
 人間は、本来、身体的に動物としての存在物であることに時には、気が付くことも大切ではないかとも思うとともに、幼少のころから言葉によって、そのような言葉の習慣で、大人が気づかせることもしなくてはならないと思う。・・・しかし、今、そのことが出来る大人が居るのか居ないのか・・・価値観多様なこの時代、心は、時の流れに浮き沈みしながら移ろい自分自身の「心の真意」に気づくことは、日々の中で、困難ではあるが、・・・今日、道徳と言うような、陳腐な言葉に依存しようと思う人たちも居るようだが、ことを思う前に、今の時代に気が付くことが大切だと思うのである。
 時代と言う物も、歴史的にも諸行無常である。心して今の大人は、大人らしく、でありたいものだね。大人は、子供の内心を含んで居るように思う時も有る。大人は子供に変身することもあるようにも思う。人間老若男女に関しても、一切の存在物に関しても、人間は、その一切の存在物に通じる物を背負わされているようでもあると思う。目に見える物、耳に聞こえる物・・・あっかんべー
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