mixiユーザー(id:40742891)

2015年11月08日08:36

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日々、言葉の不思議に不思議さを思う時があるけれども・・・

 日常生活は、言葉自身と一体であると言わざるを得ない。文字言葉を不思議と思う暇もない生活を過ごして居る。当然、自分自身を感じない時は、健康なのだろうと思うが、頭が痛かったり体調が悪い時などは自分自身を感じてしまう。 自分の指を痛めて自分自身の指であることを知らされる。
 常日頃、五体満足であれば、思考世界に自分自身が居るのか居ないのかも分からない時もあるが、自己意識が強いと思考の中に自己を感じ、その時、身体は棚上げの状態である。
 思いは流れて考えがまとまろうとしながらも、自己反芻如き思いが角度を広げて行き、記述に依存せざるを得ない。書くことにより仕訳が明確になり自意識に添付する。そして、解ったようなふりをするおいらが居る時も有る。
 この身体とおいら自身は、日常的に別のものではない一体感に包まれているけれども、ままならない時に出会うこともある。自分自身を「張り倒したい」思いに浸ることもあったり、自己憤怒に陥ることになり、そのような時は、視野風景に思いを拡散することにして視野風景が主役に躍り出てくる。
 自分自身をコントロールすることの楽しさのようなものが思考にお蔭を感じるのであるが、自己独白は、散歩の身体にもリズムを遅速させる。その時のこの身体と自己自身は、妙に離合を調整している風に思う。・・・
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