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2015年11月01日08:43

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第一日曜日は、それぞれの家の前の溝掃除をかねての「お早うございます」の朝のご挨拶・・・

 町内のそれぞれお互いの挨拶は日常生活の常である。昔ながらの向こう三軒両隣ではないが、人と人との意思疎通は、大切だろうと思う。しかし、人、それぞれにて、ご挨拶をしてもご返事がない方もいらっしゃるし、都会風なマンション階層などは、隣は何をする人か、と言う風なこともあるようだ。
私も、若年時代に都会のアパート暮らしを過ごしたが、隣の人はどういう人なのかは、全く知ることもできなかった。
 地方では、村全体が家族のような馴染が深い意思疎通があって、お互いに認め合っての日常生活が有る。だからなのかはわからないが、お互いに有情で親切な応接が、豊かな人間関係をつくりだしている風にも思う。私は、時々、法事を兼ねて親戚の居る地方へ行く時があるが、まず、その地方の方言が懐かしく暖かく感じることである。その地の当時の中学時代への思いの一時に浸ることは心が癒されるようでもある。その時、方言の心のなごみは心安らかである。

 同じ東洋の黄色の人々であっても、今、その価値観も違うのも当然だが、日本人の謙虚さから見れば、自分の思いを突撃的に遂げようとする強引さを感じる時も有る。ある角度から見れば、とても幼児的で狭い思いでもあり、その事のみに執着するようであるが、一般生活者として、もう少し、お隣り近所のことも考えなくてはならないのではないかと思う昨今でもある。一国的利害損得勘定は、どうにもならないと思うけれども、幼児的から周りが見える大人への成長を願いたいものである。
 一国一個人では、何事もないのであることに気が付いてほしいが・・・共有、共存、などを意識付けでありたいものである。
 平らに和することは、人間動物的本性を背負わされて、なかなか困難であるけれども、そこは人間の叡智が起きるように願いたいものである。このことは、日々の日常生活にも関わることだと私は、思って居るのである。
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