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2015年05月03日08:38

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人は、この世に生まれ出た時から・・・

 この年齢にはこの容貌がモデルであるという年齢相応規定はないが、何となく根拠理はないが年齢相応と言う個人的に規定された見方があるようで、五十、六十歳頃までは、それなりに相応していて、その年なりの容貌で大差はないが、七十、八十歳頃から自ずと各個人間に姿、容貌などの差が出てくるようだ。つまり、概して年齢よりも年老いて見えたり、年齢よりも若く見えたりである。
 しかし、幼い頃は、その数字年齢に相応していて、ほとんどの幼児は、その年齢の子供たちとしての背格好に見えるし、少年少女などは、それらの外見的にも一般的少年少女に見える。

 しかし、人がそれぞれに一個の社会人になって行く時、彼らは個々的にもそれらの気質の性格などにより、その場などそれらの出会いにより良性ストレスや悪性ストレスに出会う。良性は躍動的活気を湧き立たせるが、悪性は、彼ら自身を萎縮の方向へ誘導したりであったり、社会的に過激へと脱出を垣間見ようとしたり、社会の影に沈む様になったり、その陰の方へと具現化してしまう始末に流されることをするようだ。

 人は、人それぞれに、過去因縁果を負わされているのは否定できないが、その事は科学的には論述不能で論外に不明であり複雑怪奇的非領域的であるが、過去的にも血統的とか家系的になどの憶測は人間智以内でありそれを抜け出てしまう時、人間知の及ばない非領域であらざるを得ないのである。
 
 日常生活とは、具現化して居る領域における日々の過ごしである。その日常視野は具現化内である。過去因縁気質による少数的個人において非領域的現象に出会った不思議体験者達は徐々に広がって行くように考えられるが、一般的生活者の一般的日常には非領域はほとんどの場合不明である。不思議体験者にとっては、そのような地球星の住人である地球人であるという考え方もできるのである。地球星と言う表現は、今、馴染まないかもしれないが、他にも地球星的な星があると考えることのできる人と、そのことを考えることの出来ない人に分けられるのは事実だろう。後者は、実利的で日常生活者としての具現以外は構想に無いのだろう。ロマンがないということは言いたくないが・・・日常生活に内心沈殿する内を信仰する人達なのだと考えることにもなるのである。一般的科学者も大方、この人たちだと推測に値するように思うのである。その具現的思考世界から抜け出ることが思いつかない非日常者ではない何者かに確立された日常生活者なのだろう。一般生活者にとっては、一般的科学者などは、神的信仰に値する存在者なのだろう・・・多分・・・何の疑問の無くて・・・疑問無き人達の幸せか・・・疑問ある人間の不幸かも・・・

 
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