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2015年05月02日09:10

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今日は八十八夜とかで春から夏への節目になる日らしいが・・・

 おいらにとっては汗の季節到来でもある。上半身の汗に悩まされる。特に額からの汗流れは日中ではとめどなく汗は額に滲み流れ出してくるしまつだ。陽射しよりも湿度が高い蒸し暑さに参る。大陸性高気圧の乾燥季節の中での暮らしが七歳から十二歳のころまで続いた。その体質習慣で育ってきたから日本の気候風土に合わない点があるようだ。それと体温が一般正常よりも高めであり、心拍も八十数脈が平常だ。そのせいではないと思うが、人一倍短気で早とちりの気せりは生まれながらの気質のようであると社会人になってから周囲と比べてその相違に気づかされた。とろくて、のろ間の鈍感などは、その若年の当時、とても嫌ったものであったが、高齢になり、人にはそれぞれに気質が有ることに気が付き始めて、これではいかんと思い、いくらかはのんびりするようになった。待てば海路の日和ありではないけれども、気質的に短気は損気であり、なかなか治らないものだが、短気とは、角度を変えて見る時、自分本位で我儘であることでもあるということになり、子ども時代の未熟の感が強いように思うが、人は大方、自分本位で我儘であるが、他との折り合いを要領よくして自分自身を維持しなければならない知恵を背負わせれているのである。
 生まれながらに、人間は、自分自身を生きて行かなくてはならないのであるから、まずは、自己保存永続仕様に入る人間のこの生体と言う身体はその本性で生きる。自己保存は、自尊であり、自分自身を尊ぶ心に芽生えプライドへと高まる生き姿としてその一生を過ごすのである日々である。
 ただ、自尊を捨てた生き様もあるが、それなどは淡白な動物的本性のような諦観の日暮らしのように思う時も有る。一般的に諸動物は人間動物よりもその生きたい業のようなものは淡白なようだと言われているようだ。一方、人間の業は底がない。業の上に業が重なり欲も諸動物よりも人間業は欲が深く欲がどこまでも無限である。人間業欲は無限であるほどに先が見えないのである。
 この上下左右の前後も知らずただ闇雲に生きなければならない業は肉欲その己であると断言できるのである。業は肉であり肉以外の何ものでもないのである。あっかんべー
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