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2019年09月23日16:23

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サン・ハウス

ブルースマンの生きざまはロマンをかきたてる。想像力が及びにくい戦前ブルースマンであれば尚更だ。

『BSR』誌147号(19年6月号)のミシシッピ/デルタブルース特集記事のひとつに、主要な戦前ブルースマンについて解説された章がある。いずれも興味深い内容である。今回は、その中からサン・ハウスをご紹介する。

サン・ハウスは、ミシシッピ州クラークスデイル郊外の生まれ。両親の離婚後母と一緒にニューオーリンズへ。しかし、父のいるクラークスデイルも度々訪れていた。父はバンドを組んでいたらしいが、サン・ハウスは音楽には興味を示さず、熱心に教会に通い、やがて20歳で教会の主任牧師となる。

母親が亡くなると放浪の日々を送りやがて結婚してルイジアナに移るが離婚。そんな時、ブラインド・レモン・ジェファーソンのブルースを聴き、ブルースにのめり込み始める。人生の波風を感じた頃合いも関係するのだろうか。

すっかり、ブルースマンに転身した28年、トラブルに巻き込まれ人を撃ち殺す。後に正当防衛が認められるが、獄中生活を味わう事になる。故郷であるクラークスデイル周辺から立ち去るという条件付きで釈放された。その後、チャーリー・パットン、ウィリー・ブラウンと運命的な出会いを果たす。「デルタ最強の3人」を、ロバート・ジョンソンとマディ・ウォーターズ両名が体験し、教えを受けているのは、後の歴史を考えると、これまたロマンを醸し出す。泥臭いデルタ・ブルースに繊細な感覚をミックスしたロバート・ジョンソン、やがて「都市のブルース」にまでデルタ・フィーリングを引きずっていくマディ・ウォーターズ・・・伝統は肉体感覚を持って引き継がれていたのだ。

パットン亡き後も、ウィリー・ブラウンを良き相棒としてブルースを演奏し続けた。52年ブラウンが亡くなると、サン・ハウスは潔くギターを置く。64年「再発見」された後もレベルの高いパフォーマンスを見せた事を考えると、空白が惜しいような気もするが、サン・ハウスの、仲間やブルースに対する深い想いが伝わるのも確かだ。

最後に付録CDに収録されている、チャーリー・パットンとサン・ハウスの演奏を貼り付けておく。パットンの演奏を増幅したようなサン・ハウスの熱演。並べて聴くとふたりの絆とデルタ・ブルースの旨味が堪能できる。

Charlie Patton "Screamin' and Hollerin' the Blues"



Son House - Jinx Blues Part 1



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