偶然「3本足の妖怪」が気になったので調べてみると、山口県に保存されている文書が見つかった。
■アマビエブームで見逃されたこと 民俗学者がつづる「物言う魚」の本質 ネット時代の「予言獣」の役割
(ウィズニュース - 05月30日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=6101071
■山口県文書館[疫病除天草神霊画]
http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/iyasu10.pdf
天保十四年のとし 1843(天保14)年。
此神霊はつくし(筑紫)天草といふ処の山中に
あらハれ出てことしより三年のあひた(間)は
あしき病はやりて四方の人あまたかの病に
おかされ死すると告給へるとやされ
と此怪異なる神像を画きて日々ミるとき
ハその難をのかるゝといふ
(三本足で、木の葉をまとっているようにみえる)
そもそも、これは何を予言していたのか? を疑問に思ったので、
年表で調べてみると、江戸時代におけるコレラの流行は
天保十四年から九州で記録されていた。
しかし、多くは「天保の大飢饉」の歴史記載で、
本格的なコレラの大流行はもう少し後になる。
山口県文書館に保存されていたものは、
アマビエよりも3年前の日付になっている。
伝承では、山童(やまはらは)との関連性がありそうだ。
ところが、この天草の山童(やまはらは)は、
アマビエと同じ「3本足」なのだ。
■三本足
天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、
同じ太陽から生まれた兄弟であることを示すとしている。
■八咫烏(やたがらす)Jリーグのシンボル
三本足の烏は、日本神話の神武天皇御東征の際に、
タカミムスビ(日本神話の神)によって三足烏が
神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内を
したと言われている。
今だから、ネットで調べられるが、当時はほぼ伝承のみ
地元に神話がこれほどまでに一般化しているとは考えられず
意図的な創作物だとしたら、かなり知識が豊富でないと
神話から生み出すことは難しいだろう。
感染症への警告だとしたら、あまりにも遠回りだし、
そもそも、その当時「伝染病」自体を認識するのは
死者が蔓延してからだ。ほとんどが原因不明の病。
現代人が失った能力が見たものっだったのかも・・・
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