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2020年05月27日14:00

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【極限状態】での人生の選択

「死にたい」私の息子が昨年の暮れに漏らした言葉だ。高校3年、9月から不登校になり受験を控えて出席日数が足りなくなる恐れが出た頃だ。

発達障害、命を絶った息子
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6096763

結果を先に書くと、心療内科に通い、薬の投与で
人生が180度変わり、「自分には何でも出来る」
と、受験も合格して希望通りの大学に進学した。

原因はよく分からないが、成績優秀で学校や
友人からの期待が大きく、そのプレッシャーからか
学校へ近づくと呼吸が乱れ、心拍数も上がり、
足が学校へ向かなくなってしまったようだ。

孤立はしていないので、まったく逆のケースであるが、
「自分を極限状態に追いつめる」と、
・なんとか頑張って生き続けたい
・こんなに苦しいなら死んだ方がましだ
の二択の結論に至ってしまう。

このとき、重要になるのが、周りの人間だ。
学校を「無人島」に漂流した集団だとすると、
次のような例がある。

・全員生還した例
「パールアンドハーミーズ環礁での龍睡丸の漂流」

・殺し合いになった例
「アナタハンの女王事件」

この違いは何か?というと、
・平等であること
・リーダーがいること
この二つが最も重要な要素だ。

世界大戦の時代には、こうした漂流事件が結構あり
子供たちだけで生還した「蠅の王」などもある。
(ロビンソン漂流記は、最初自殺しようとしたけどね)

個性を超えて特性の行動が、平等から外れてしまった
のかもしれないが、理屈での平等ではなく、集団での役割
(個性や特性を生かした)を与えてやれば、プロフェッショナル
になる可能性だってあったはずだ。

それには、特性を見抜いて、活かすことが出来る
リーダー(教師)が必要なのだが・・・
サラリーマン教師の「事なかれ主義」だと期待は出来ない。

人は周りの人間に影響されて形成されていく、
身近な親の存在は、ものすごく大きい。

冒頭の「死にたい」の本質は「死にたくなんかない」だ。
その苦しみに気づくことが、親なんじゃないかな。
だから迷わず医者に行ったのだ。
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